岡崎 武志

第26回 山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』を読んで小平霊園へ

 今年(2024年)春、東京の桜は開花が遅く、3月28日にようやく開花宣言が出された。これは前年に比べ半月近くも遅い。おかげで、小学校の入学式などは、満開に近い桜の下で行われたのである。私が住む東京西郊では、桜の品種や条件にもよるのか、4月第2週に入ってまだ鑑賞に堪える華やぎを見せる樹もあった。
 まだ盛りには早く、ちらほらと花をつける段階の4月2日、思い立って小平霊園へ墓巡りに行った。私が住む国分寺市の自宅からは30~40分、約6キロぐらいの距離だろうか。20数年前までは小平市の住民だったから、その気になればいつでも行けたのだが、行かなかったのは30代終わりから40代にかけてそういう趣味がなかったからだ。思えば私も若かった。
 東京散歩を本格的に始めるようになって、あちこち墓地(霊園)を散歩するようになった。墓に水をかけ苔を落とし、花を置き線香を立て、手を合わせることを「掃苔そうたい」というが、もともと年寄り臭い趣味である。私もそれに見合う年齢になったということか。
 いや、それだけではない。東京のような過密都市で、どこへ行っても雑踏にまみれることから避けられないと、静かな場所を求めたくもなるではないか。

「東京人」(1994年10月号)の特集「『東京掃苔録』墓地を歩く楽しみ。」の巻頭ページにこうある。
「故人の生前の姿に思いを馳せ、無言の対話をするとき、死者はなお生き続けることを知る。『掃苔』は、心休まる、都会人の趣味である」
 私もこのラインで都内の墓地に足を伸ばし、しばし故人(多くは文学者)との対話に憩うことを覚えたのである。山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』(文春文庫)に取り上げられる中では、多磨霊園、雑司ヶ谷ぞうしがや霊園、禅林寺、谷中霊園、青山霊園、東慶寺へ。けっこう行っているな。それでもわりあい近い小平霊園は未踏であった。「その気になればいつでも行ける」という安心感は、意外にその地を遠ざける。今回は、『文豪お墓まいり記』(以下『文豪』と表記)があまりに面白く、感化された格好で即出発だ。小平霊園は「有吉佐和子」の章に登場。ちゃんと有吉の墓にも手を合わせてきました。
 ところで小平霊園だが、行って驚いたのはその広さ。65haと言われてピンとこないが、東京ドームが4・6ha。敷地の一番長い対角線が1・2キロはあり、自転車で行ったのは正解であった。1948年の開園だから戦後まもなく。今回初めて知ったが、「小平霊園」と言いながら、隣接する東村山、東久留米両市にまたがっている。墓地と緑や樹木の割合が半々ぐらいで、公園の機能も果たし、事実この日も地域住民と思われる人々が、犬を散歩させたりベンチでくつろぐ姿を散見した。大きな音楽も流れず、悪ふざけする若者や悪臭もなく、くつろげる空間となっているのだ。

 私はこの日、事前に下調べして佐分利さぶりしん、有吉佐和子、児島善三郎、やなぎ宗悦むねよし十返とがえりはじめの墓に詣で、花と線香を手向けた。伊藤整と小沼丹もチェックしたが見当たらず、佐分利信も本名の姓になっていて気づくのに遅れた。帰宅して『文豪』を読むと、管理事務所で地図を渡してくれるようだ。ぜひ再チャレンジしたい。春を過ぎたら、今度は秋が「掃苔」にはいい季節か。

さすがは人気作家による独自の視点と感想
 山崎ナオコーラさんは、文庫の袖プロフィールを見ると、生年はおろか「性別非公表」と男女の別も明らかにしていない。自虐的な発言も多く、ちょっとこじれたところがあるようだが、本書を読むとその「屈折」が文章にいい味をもたらしている。私はずいぶん以前に著者インタビューでお会いしているが、好印象を持った。
 ここで取り上げられるのは、中島敦(多磨霊園)、永井荷風(雑司ヶ谷霊園)、澁澤龍彦(浄智寺)、太宰治(禅林寺)、幸田文(池上本門寺)、武田百合子(長泉院)などである。扉の作家似顔絵のカットは著者自身による。これがなかなかの腕前。たいていは書店員の夫と二人連れ、ときに津村記久子、西加奈子が同道する。
 大事なのは、墓巡りでありながら親切なガイドブックではないということ。純文学雑誌『文學界』に連載されたこともあり、自立したエッセイになっている。墓の住所やアプローチには触れてあるものの、詳細ではない。たとえば金子光晴の「上川霊園」(八王子市)は、中央線もしくは京王線の八王子駅からバスに乗ったようだが、駅前何番乗り場から西東京バスうんぬんは省略。また同霊園へは、JR武蔵増戸駅より無料の送迎バスの運行があることにも触れない。本当に行きたければ自分で調べればいいだけのこと。なお、上川霊園にはほかにも安部公房、石川淳、臼井吉見、菊田一夫、山田風太郎の墓もあるが以下同文。著者には何より、言いたいことがもっとほかにある。
 金子光晴の墓も探しながらたどりつく。「あ、森三千代さんも」と叫んだのは夫で、夫婦して夫婦で眠る墓を見つけた。
 
 お墓の隅にホトケノザが咲いている。
 花を活け、手を合わせる。
 「見て、月」
 と夫が上を指さす。
 真っ青な空に白いアイスクリームのような月。

 映画の一シーンのように美しい文章だ。このあと夫婦は、流産で亡くした二人の子どもを祀る神社(八王子市)へ立ち寄るのだが、気持ちの流れが連環している。「自立したエッセイ」と言ったのはこのことだ。文章は、何を書いて何を書かないかの絶えざる戦いであるが、山崎ナオコーラさんには現役作家としての筆加減がじつに冴えている。私はほとんど文章読本のようにして読んだ。
 谷崎潤一郎の章では京都・法然院へ。20代の私が下宿していた左京区銀閣寺町からすぐのところにあったが、法然院すら足を踏み入れたことがなかった。この回も夫婦による旅で、『細雪』の花見の描写をもとに、半日かけて嵐山周辺をめぐっている。「これだけ歩くとぐったりしてしまう。体力もだが時間もかなり消費し、夕闇が迫ってくるので焦る。それでも私は小説に忠実に行動しようとした。同行していた夫はくたくたになり、ケンカになった」という事態に。夫の登場がほとんど名脇役のポジションを占め、実に面白い。
 そこで得た結論は「旅行が楽しくないこともないのだが、どう考えても読書の方が面白い」。え、そんな結論でいいのと思うが、言われて私もその通りだと思った。
「考えてみれば、小説というものがそもそも人の影を味わうものだ。生身の人間とぶつかり合いたい人は本など読まない。フィクションは弟のように近くて遠い異性だ」は幸田文の章で『おとうと』について触れて導き出された感想。唐突に生まれた感想ではなく、すべて墓とそこに眠る作家の人生について考えたことがベースとなっている。
 高見順の章では「死と言うのは時間が止まるだけのことなのだ。/死ぬのが怖くなくなってくる」とドスの効いた締めで終わる。
 優秀な書き手による文章は立ちどまり、考えさせながら、時間としては速やかに流れていく。墓と対する姿勢と同じではないか。やや強引に落ちをつけて、近々、山崎ナオコーラ号に乗って、八王子「上川霊園」へ行く準備をしている。

(写真は全て筆者撮影)
【お詫びと訂正】
当記事公開当初、『文豪お墓まいり記』を(集英社文庫)としていましたが、正しくは(文春文庫)となります。お詫びして訂正いたします。(春陽堂書店編集部)


『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。