ふとんの詩いろんな横の夢がある
西鶴研究者の浅沼璞さんと往復書簡をさせてもらっていたときにひとが横になるってどういうことなのかというテーマが出た(俳句や短歌や川柳は縦に書いていくものだから、その逆の横の話がでてきた)。
もともとさん、西鶴の『好色一代男』ではね、主人公の世之介は浜にうちあげられて身体が横になってから人生が変わりはじめるんだ、横になってからじんせいが動きはじめるんだよ、という浅沼璞さんから教えてもらった横にまつわること。
ときどきこんこんといやになるまでねむってみるのはどうだろうか。漱石の小説ではたびたび人物たちが横になることから始まるが、横になることでじんせいが変わる場合もあるんだし。内田百閒もいつもいやになるまでねむっていたそうだ。おやすみなさいと言ったあともういやになるまでこちらの世界に帰ってこない。こんこんとねむりつづける。あるくように。それもちょっとすてきなことだよなあとおもう。それにほら、もう、春だからね。