「なんとなくあいされるよ、なんとなくあいされてたよ」
せかいのひとびとがきゅうにやさしくなることがあって、せかいってもっと過酷なものだとおもってたのになあ、とおもうことがある。
でもそのやさしさがどういったものかは、わからない。なんとなく、しかわからない。
うたたねをしていたら、ぜんぜんしたしくないひとがわたしに布をかけていく。おいおいこれ布だよ、とわたしはおもうけれど、なんだろうこのやさしさは、したしくないのにどうしてわたしに布をかけたんだろう、とおもう。わたしがきづかなければ、わたしは布をかけられた存在、布をまとってもうひとつの世界に(つまり夢だが)あたまから入り込んでいた存在、なのかなあとおもう。
それをどういうふうに表現したらいいかわからない。この布もどうやってかえすのか、洗濯はするのか、それともそのままでいいのか、話しかけるとき、あの布のことなんですが、と言えばいいのか、それともこれはいい布でわたしが名前がわからないだけなのか、なにか致命的に気づき損ねていることがあるのか、過去にかんしてはどうだったか、過去に布をめぐってなんかなかったか。
どういうふうにあらわしたらいいのかわからない。いろんなひとがわたしにていねいにいろんなことをおしえてくれる。そうなの、ここのしわはね、こうやって伸ばすんだよ、うんうんだいじょうぶ、それはわたしがかしてあげるからね、ああそうなんだ、それはね、押すんじゃないんだよ、まわすんだよ、いいかい、まわすんだ、まわせばひらくんだよ。
きょうもわたしは声をかけられた。悩んでるようだったから、とそのひとはわたしにてほんをみせてくれた。わたしはくるくるまわるそれをずっとみつめていた。それはなにかを乾燥させるためのものだ。ね、かんたんでしょ、手順がわかればなんにもたいしたことないよ、ずっとシンプルで、かんたんなことなんだよ。たいしたことないんだよ。
そうですね、ほんとうにそうですね、と私は言った。