もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『新美南吉30選』に収録した、
<新美南吉童話紀行>を5回に分けて転載いたします。
編者は愛知県半田市に赴き、新美南吉の生誕地や作品の舞台を訪ねました。
作家ゆかりの地を知ることで、より深く作品を味わうことができるでしょう。

「紙の童話」と「口の童話」
 南吉が投稿した「ごん狐」が掲載されたのは、「赤い鳥」1932年1月号だった。「赤い鳥」は、夏目漱石門下の小説家だった鈴木三重吉が1918年7月に創刊した児童雑誌である。日本の児童文学・児童文化の芸術的な水準を飛躍的に引き上げた雑誌だった。南吉は、童謡や童話を熱心に投稿し、「ごん狐」がのる前年の1931年には、童話「正坊とクロ」や「張紅倫」が掲載されている。

東京都豊島区目白の赤い鳥社跡。南吉の投稿時代には、西大久保(現在の新宿区)に移転していた。

「これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。その中山から、少しはなれた山の中に、『ごん狐』と言う狐がいました。」
 上が「ごん狐」の書き出し。南吉は、「ごん狐」を村のおじいさんの話を書き留めたものとして書いている。ここから連想するのは、南吉の1941年のエッセイ「童話に於ける物語性の喪失」だ。このエッセイで、南吉は、「何故口で語られる童話と紙に印刷される童話が全然別種なものとされねばならぬのか。私には紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。」と述べた。「口の童話」というのは、いわゆる「口演童話」のこと。「口演童話」は、子どものために物語を語り聞かせること。「ストーリーテリング」の日本ふうの言い方だ。「赤い鳥」への投稿から出発した新美南吉は、紙に印刷される童話の書き手にほかならなかったけれども、「ごん狐」においても、その「紙の童話」が「口の童話」でもあるような工夫をしている。エッセイと同時期の「おじいさんのランプ」でも、まず、作中に、おじいさんが語り、子どもがそれを聞くという場、「語りの場」とでも呼ぶべきものをつくり、そこで語られた話として書いていく。「紙の童話」なのに、「口の童話」のふりをしていくのだ。つぎは、その「おじいさんのランプ」から。
「東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。おじいさんはがみがみと叱りつけたから、怒っていたのかと思ったら、昔のランプに逢うことができて喜んでいたのである。
『ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て坐れ。』
 とおじいさんがいった。
 東一君は話が好きだから、いわれるままにおじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話をきくときにとる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる芸当をしたのである。
 おじいさんの話というのは次のようであった。
 今から五十年ぐらいまえ、ちょうど日露戦争のじぶんのことである。岩滑新田の村に巳之助という十三の少年がいた。」
 南吉のいう「口の童話」、「口演童話」をはじめたのは、巌谷小波(いわや・さざなみ)だった。そして、小波は、「紙の童話」をはじめた人でもあった。
 1891年に、みずから「少年用文学」と名のって刊行された、巌谷小波の『こがね丸』を日本の近代的な児童文学のはじまりとするのが通俗的な説である。1891年というのは明治24年だが、この時期の「少年」ということばは、「少女」と対になるものではなく、「青年」や「壮年」に対するもので、「少年」とは子どものこと、「少年用文学」とは「子どものための文学」のことだった。これ以前、小説家時代の巌谷小波は、言文一致体を試みていたのに、『こがね丸』では、あえて文語調で書くことをえらぶことによって、かえって、それを音読する「声」を呼びこむことになった。そればかりか、小波は、活字メディアではなく、「声」による「口演童話」の創始者にもなったのである。
 南吉は、「紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。」としたが、「河童の話」(1927年)などで、やはり、おじいさんが語る場をつくった坪田譲治や、山家の炉ばたで大造爺さんが語った「話を土台として、この物語を書いてみました。」という前書きのある「大造爺さんと雁」(1943年)の作者、椋鳩十(むくはとじゅう)にも、南吉の意識に重なるものがあったにちがいない。童話作家たちは、近代の活字メディアによる「紙の童話」が発展するなかでも、「声」を手放さない努力をしていた。そこには、子ども読者に直に語りかけたいという思いがあったのだろう。
「声」という観点から、日本の児童文学史を見直したい……かねてから、そんなふうに考えてきた。そのことのスケッチのようなものは、すでに二、三書いている(宮川健郎「『声』のわかれ」2000年など)。そこでも、南吉らの「声」を手放さない努力にふれたのだが、このことについては、すでに、中国近現代文学研究者の千野拓政が批判的な注釈をくわえてくれている(「声・語りの場・リズム」2001年)。千野は、私の「『声』という言い方はあまりに文学的」といい、私が「声」ということばで考えていることのうち、近代文学がうしなったものという意味で重要なのは「語りの場」であるとする。そして、その「語りの場」ついては、「『音声が媒介している』ことよりも、『語り手』と『聞き手』がいる構造、言い換えれば読者が『語り手』の存在を感じる構造に重点をおいて考えている。」という。
「声」は、語り手の身体のつづき、いや、語り手の身体そのもののはずだし、その「声」がむかうのも、聞き手の身体なのだから、「声」は、当然、語り手と聞き手がいる構造にむすびついている。逆に、たとえば、新美南吉が、作中に、おじいさんが語り、子ども(たち)がそれを聞くという場をつくったときに、はじめて、作品から「声」が聞こえてくる。あるいは、そこではじめて、「声」が虚構されるといってもよい。
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
宮沢賢治童話紀行「二重の風景」への旅 【2】に続く
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。