ふとったからだで一年前とおなじからだの猫を抱く

いろいろないらないものを捨てて部屋がひろくなっていくときにふしぎだなあとおもったりする。うしなうことがいいことだなんて。

やせて、すっきりして、今まできつめだったシャツがぴったりしたときも、ふしぎだなあとおもう。うしなうことがいいことだなんて。

うしなうっていいことなんだよ、とかつて岡野玲子さんのマンガのキャラクターがいっていたことがある。たしか安倍晴明がワトソン役の博雅にいうのだ。博雅が手をついて泣いているなかで、失うことはいいことなんだよ、と。それは、再生なのだ、と。博雅は泣いている。泣き続けている。いろんなものがうしなわれていくなかで。

うしなうことがいいことだなんていまだにSFのように感じることもある。一回捨てた服をあたまをかたむけながら袋から取り出してしまうこともある。もううしなったらであえないんじゃないかと。たとえば悪い咳をして身をかがめている体調が悪そうなミッキーのTシャツ。なんどかこの、もうであえないんじゃないの、を繰り返した。でもなあ、晴明のいうとおりなんだよなあ、ともおもう。

うしなうことで、なにかの生活のチャンネルがかわる。でもなあ。体調の悪いミッキーがいったりきたりする。うしなうことはいいことなのだよ、ということばも、いったりきたりする。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター