なにもかもなくなるってことはないとおもう

あなた、ということばが好きなのだが、あなた、ということばは、一種の賭のようなきもする。

あなた、とくちにしたしゅんかん、あなたはわたしに反応してしまう。

わたしがわたしといっているかぎり、あなたはわたしをみないだろうけど。あなたにあなたと呼びかけてしまったら、わたしもあなたにとっての、あなた、になってしまう。

あなたとわたしでわたしたちはあなたたちになってしまう。

中目黒の目黒川に沿ってあるいているときに、あなたさん、と呼ばれたことがあった。

あなたさん。

あなたが名前になってしまったら、あなたさん、と呼ばれることになる。もうそれは、わたしなのかあなたなのかなにがなんなのかわからない。でも、あなた、はゆきかう。

そのひとを見送るときに、そのひとがいなくなるまでみていたら、いちどふりかえって、しばらくして、もういちどふりかえった。わたしはおじぎした。すごく中途半端なおじぎだった。でもいなくなるまでそのひとをみていてよかったなあともおもった。そのときは思わなかったかもしれないけれど、今はそうおもう。そのひとがいなくなると、あ、そうか、今は春だし、そうか、とおもった。桜でいっぱいだった、のそうかだった。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター