しかたのない旅
コーエン兄弟の映画が昔から好きなのだが、かれらの映画では、なんでもないようなくだらないことで、おまぬけなことで、どんどん、ひとが殺されたり、しんだりしていく。でも、じんせいって、そういうもんなのかなあとときどきおもうことがある。
わたしがある日とてもつまらない理由でしんでしまうかもしれない可能性。ものすごくまぬけな理由でころされてしまうかもしれない可能性。
高貴な死をだれしもあこがれるだろうけれど、どうしようもなかった死もあるだろう。ケアレスミスのような死だってあるかもしれない。
いちじき、不思議な孤独におちいったことがあった。ひとが、さーっとひいていったようにかんじられ、わたしは不思議な孤独をかんじていた。宇宙連絡船にいるようなかんじだった。でもぜったいの孤独でもなかった。難破した宇宙連絡船がかろうじて通信がとれるようににさんにん連絡がとれるひとがいた。
「なんだか不思議な孤独なんだけれどもね、しかたのない孤独かもしれないともおもう」「しかたのない孤独」「そう、しかたのない孤独」「そう」
なんの意味もない通信。でもさいごにたったいちどだけ通信ができますよといわれたらこんなことを言って終わるかもしれない。
コーエン兄弟の『バーバー』という映画にはこんなシーンがある。街をただゆきかい歩くひとびとがなんだかとても不思議に感じられた。
しかたのない不思議。