仲のよいふたり テレビを詩のようにみる

どうしてこんなにテレビが好きなの! と怒られたことがある。ちょっと振り返ってみると、ずっと、ひとを変えて、どうしてそんなにテレビが好きなの! と怒られてきたようなきがする。そんなにテレビが好きなひとみたことないわ、と。

テレビがきになって旅にもでられない。
でも、じぶんにとっては、テレビが詩のように感じられることがあって、ぜんぜん飽きることがない。まるで詩を読むようにまいにちテレビをみている。すてきな詩句のようなものをクイズ番組に発見しては、胸をおさえたりしている。なんでこうなっちゃったか。

俳句もテレビから教わった。わたしは高熱であたまをくらくらさせながら、テレビをみていた。神野紗希さんが司会をしている俳句の番組がうつって、たまたま見たにもかかわらず、それはおもしろく、わたしは高熱で意識がとびそうになりながら、ちょっと思わずわらってしまったりしていた。いっしょにたまたまみていたひともわらっていた。俳句の番組なのに、おもわずわらっていたのがわたしにはなんだか不思議におもわれて、それからなんとなく、俳句にきょうみをもっていった。不思議なテレビとの通じ方だった。

それから何年かたって、ある会の出席者みんなで昼ご飯を食べていたとき、たまたま神野さんが隣にいて、あのときのテレビ番組が、とよっぽど言おうとしたけれど、いうひつようはないことだよなあ、と思ってなんだか言わなかった。あのときいっしょにテレビを見ていたひとにも伝えたかった。ねえねえあのねえ、あのときテレビに出ていたひとがいま僕のとなりにいるよ、と。話しかけている。でももうそのひともいなくなっていた。みんな、木の椅子にすわって、木のおおきなテーブルで、スープをのんでいた。あのときたまたまつけたテレビで、思いがけなくわらったことで、いまここにいるのかもなあ、といっしゅんわたしは思った。きっとそうだ、とわたしは思った。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター