スポーツ文化評論家 玉木正之

2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために── 数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第10回は、野球などで使われる「サウスポー」という言葉の謎に迫ります。


「サウスポー=南の手」が
「左腕投手」を意味するのはなぜ?
 丸いモノ(球体)は地球上にはほとんど存在せず、存在しているのは空の上、すなわち太陽だった。だから「丸いモノ=球体=ボール」は太陽の象徴で、それを奪い合うゲーム、たとえばフットボールやホッケーは「太陽の奪い合い」、すなわち「世界を支配するモノの奪い合い」と考えられた──と以前この連載で紹介した。そのボールゲームは紀元前メソポタミアを起源に、西はヨーロッパ、アメリカ大陸にまで広がり、東はインド、中国を経て、日本にも伝わった。現在では世界中に広がるスポーツ文化、フットボール文化となっている。
 もうひとつ、ボールを打ち合うテニスのようなゲームは、「太陽の奪い合い」というほどの大袈裟な球技(チームプレイ)ではなく、個人の遊戯として発展した。
 明治の歌人・俳人である正岡子規は、大谷是空への手紙の中で次のような俳句を残している。
  恋知らぬ猫のふり也球あそび
 コロコロと転げる小さな「タマ(球・鞠)」は、猫だけでなく、子供も大人も戯れ遊ぶにはおもしろい玩具であると言えそうだ。テニスや卓球、それにバドミントンのようにボール(あるいはシャトルコック)を打ち合う遊びは、きっと猫が丸いモノと戯れるのと同じような遊びから生まれ、発展したに違いない。
正岡子規は、明治時代にアメリカから伝わったベースボールに熱中した、日本最初の「野球狂(ファン)」と言える人物。この一句は、愛する女性との恋も忘れるほどに野球に熱中する自分の気持ちを詠ったものでもある。
 では、そんなベースボール──フットボール系の闘争型ボールゲームとも、テニス系の遊戯型ボールゲームとも異なる、ボール(丸いモノ)を棒(長いもの)で打つ(打ち飛ばす)ゲーム──は、いったいどこを起源に、どのように発展してきたのだろうか?
 それについては詩人で、草野球チーム「ファウルズ」の監督兼三塁手として活躍した平出隆さんが、著書『ベースボールの詩学』や『白球礼讃』のなかでおもしろい「起源論」を書いている。それは「ベースボール=古代エジプト起源論」と言えるものだ。
 古代メソポタミアでは多くの民族が次々と闘い、激しい興亡を繰り返すなかで「太陽を奪い合う」ゲームが生まれ、発展した。が、地中海と紅海に囲まれ、異民族の流入が少なかった古代エジプトでは、ピラミッドの建設に見られるように、ひとつの王朝(または同類の王朝)の支配が長いあいだ続いた。そこで、太陽を奪い合うような闘争型のボールゲームは生まれず、「丸いモノ=太陽の象徴」を「長いモノ=王の手にする王笏=地上権力の象徴」で打ち飛ばし、その飛び方によって、「その年のナイル川の氾濫が、いつ頃どのように起こるか」ということを占ったという。ベースボールは、太陽を奪い合って世界の支配者を決めるフットボールのような闘争型ゲームとは異なり、太陽の動き(飛び方)で世界の未来を予測する占い型ゲームと言えるのだ。じっさいエジプトのピラミッドには、ファラオ(古代エジプトの王)が、長いモノ(王笏)で丸いモノ(太陽)を打とうとしているかのような、まるで野球のノックをしているかのようにも見える絵が残されている。
 闘争型のフットボールと較べて、平和的な占い型のボールゲームは、エジプトから北上して東ヨーロッパに伝わる。たとえばロシアには、「ラプタ」と呼ばれる、球を打って、走って、戻ってくるゲームがある。それが北欧(ノルマン人の文化)を経て(フィンランドにもラプタと同様の雪のなかで行われるボールゲームが存在する)、16世紀頃にイギリスに伝わり、「ラウンダーズ」というベースボールの元祖と言える「バット・アンド・ボール・ゲーム」に整えられたらしい。そのラウンダーズから、ゴールボール、タウンボール、ベースボール、そしてクリケットなどの「バット・アンド・ボール・ゲーム」が生まれ、アメリカに渡ると、前回書いたように、ニッカーボッカー・ベースボールクラブの創設者によって1845年にルールが整えられ、今日のベースボールへとつながる発展の基礎が築かれたのだ。
 そんなベースボールに、少々不思議な意味不明の言葉がある。それは、「サウスポー south paw」という言葉だ。ピンク・レディーの「サウスポー」という曲でもよく知られているように、「サウスポー」とは、もともと「左利きの投手」のことを表す言葉。それがいまでは、「左利きの打者」や「左利きの野手」にも使われるようになり、「左利きのボクサー」や「左利きのテニス選手」にも使う人が現れるようになった。が、サウスポーの本来の意味となると、「サウス south」は「南」。「ポー paw」は「(人間の)手」を表す言葉。つまり「南の手」。それがなぜ「左利き投手」を表すようになったかというと、諸説イロイロあるそうだが、野球のルールで野球場の方角が定められていることに起因しているという説がもっとも納得できるし、オモシロイ。ルールブックの「第2条 競技場」には、古くから次のように書かれている部分がある。
  「本塁から投手板を経て二塁に向かう線は、東北東に向かっていることを理想とする」
 これはナイトゲームの照明設備がなかった時代に、太陽の光が、数の多かった右打者の目を射ることのないように配慮されたルールだ。が、この場合、「左投手の手」は「南側から出る」ことになる。だから左投手はサウスポーというわけだ。他に、「メジャーリーガーの南部出身のピッチャーに、左利きの投手が多かったから「サウスポー」という言葉が生まれた」との説もあるようだが、コレは少々「ホンマカイナ」と首を傾げたくなる。
 語源の正解はワカラナイにしても、「サウスポー」→「南の手」→「左利きの投手」→なぜ? という疑問の流れを身につけるようにしたいですね。そのような疑問の連鎖から、最後には「スポーツって、なんだ?」という疑問にたどりつくのですからね。


『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店) 玉木正之(著)
本のサイズ:四六判/並製
発行日:2020/2/28
ISBN:978-4-394-99001-7
価格:1,650 円(税込)

この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com