第10回 ジュール・ヴェルヌ『阿非利加内地三十五日間空中旅行』さまざまな日本語

清泉女子大学教授 今野真二
 今回はジュール・ヴェルヌが1863年に発表した Cinq semaines en ballon(現在は『気球に乗って五週間』と訳されることが多い)を井上勤が訳した『阿非利加内地三十五日間空中旅行』を採りあげてみよう(【図1】表紙)。「阿非利加」はもちろん「アフリカ」であるが、表紙、扉では「亞非利加」と漢字があてられている。本文中は「阿」と「亞」が混在している。なお奥付には書名が記されていない。
 一つの本で「アフリカ」が「阿非利加」と書かれたり、「亞非利加」と書かれたりするのは、不統一といえば不統一であるが、「いろいろな書き方があったのだな」と思えばよいだろう。そして、これら二つの書き方には差がないと思われていたからこそ、二つの書き方が(いわば)「平気で」使われたということだろう。

【図1】

 明治期に日本語に翻訳されたヴェルヌの作品は少なくない。春陽堂から出版された本としては、『阿非利加内地三十五日間空中旅行』が最初と思われるが、明治20(1887)年には『万里絶域北極旅行』が出版されている。
『阿非利加内地三十五日間空中旅行』の奥付には「明治十六年八月十六日版権免許」「同十九年二月十八日版権譲受」とあり、それに続いて「同十九年四月再版」「同二十年五月第三版」「同二十年十一月第四版」「同廿一年十一月第五版」とある。つまり筆者の所持本は第五版ということになる。
春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』の9頁のなかほどより下に「明治十九年」の出版物が載せられているが、4月の出版物として『三十五日間空中旅行』があげられている。「価(円)」の欄には「〇・一八」とある。18銭ということになるが、筆者所持のボール表紙本には「定価いち円七十銭」とあって一致しない。また先に記したように、「明治十九年四月」は「再版」の出版年月になっている。したがって、この総目録のデータが筆者所持本のそれであるかどうか、疑問がある。むしろ異なるものとみるのが自然かもしれない。
 それはそれとして、【図2】は「空中旅行総目録」の最終頁(4頁)で、それに続いて挿絵が掲げられている。精密な挿絵といえるだろう。「風舩ニテ大象ヲ引揚ル図」というキャプションが附されている。4頁をみると、「第廿九回」から「第三十五回」までの章題が記されているが、中国の章回小説のような体をなしている。第三十回は、「談往事慰旅情」「泥中錨知有命」と訓点を附して記され、それぞれに「わうじをだんじてりよじやうをなぐさむ」(往事を談じて旅情を慰む)、「でいちうのいかりめいあるをしる」(泥中の錨、命有るを知る)と振仮名が施されており、漢文を読まなくてもわかるようになっている。

【図2】

【図3】の左頁にはやはり挿絵が入れられている。「野蛮ノ土民手ヲ挙ケテ気球ヲ捉ヘントス」とキャプションが附されている。右頁をみると、「破壊やぶるべき」「言語ことば」「寸時すこし」「巧妙たくみ」「発程かどいで」「生命いのち」「許多あまた」「遭遇であひ」「凍寒さむさ」といった書き方がなされている。これは、漢語「セイメイ」に使う漢字列「生命」によって和語「イノチ」を書くということで、漢字列によって漢語の語義を想起させながら、振仮名によって和語を示すという、「二重表現」が行なわれているといってよい。こうした書き方は、『阿非利加内地三十五日間空中旅行』全巻にわたってみられる。それは、明治期の書き方の一つといってもよいだろう。

【図3】

 なお1行目の「ケ子ジー」は人名であるが、「ケネジー」を書いたものだ。「子」は漢字に見えてしまうかもしれないが、これは「ネ」にあたる片仮名である。49頁には次のようなくだりがある。振仮名の多くを省き、句読点を補って示す。
 僕も亦陪して餓を凌がんとす。邊児月孫ヘルゲツソン氏は不審いぶかり問て曰く、汝、実に珈琲カーヒーを製したるか。果してしからんには汝は非常に手早きものなり。或はいぶかる。汝が斯く早く製したるは如何いかなる手段てだてを用ゐしやを。
 ここでは、和語「イブカル」にまず漢字列「不審」をあて、次には単漢字「訝」をあてている。漢字列「不審」は漢語「フシン」に使う漢字列であるので、和語「イブカル」にあてると、自然に漢語「フシン」が想起されるであろう。単漢字「訝」は、観智院本かんちいんぼん類聚名義抄るいじゅみょうぎしょう』(12世紀頃には成っていたと考えられている漢和辞典)において、すでに「イブカル」という和訓を与えられている。よって長く「イブカル」と結びついていた単漢字といえよう。しかしそうだからといって、和語「イブカル」を書くにあたって、漢字列「不審」を使った時には、書き手は漢語「フシン」(の語義)を想起させようとしていて、単漢字「訝」を使った時には、想起させようとしていなかった、ということではないと筆者は考える。
「統一的に書く」ということをひとまずは大事にしていると思われる現代日本語であれば、「不審」を使って「イブカル」を書いた次の行で「訝」を使って「イブカル」を書けば、「何か理由があるのだろう」とまず考えるはずだ。そこに「使い分け」といったことばも飛び出してくるかもしれない。しかしそれは「統一的に書く」ということを前提とした場合のことであって、「同じ語をいろいろなかたちで文字化してもよい」という枠組みの中においては、何ら奇異なことではなくなる。
 明治期に印刷出版された本を読んでいると、さまざまな「ことばとの出会い」があり、その「出会い」はいろいろなことを思わせ、ひいては、現代の日本語がどういう状況下にあるのかを自覚させてくれる。現代日本語のみが日本語なのではないことを実感するには恰好の読書だ。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。