ネット通販の普及と活字離れの影響で、昔ながらの街の本屋さんが次々と姿を消しています。本を取り巻く環境が大きく変わりつつある今、注目されているのが新たな流れ“サードウェーブ”ともいえる「独立系書店」です。独自の視点や感性で、個性ある選書をする“新たな街の本屋さん”は、何を目指し、どのような店づくりをしているのでしょうか。



【連載31】
トンネルを抜けてたどり着いた、本屋という“最高に幸せな仕事”
本屋ロカンタン(東京・西荻窪)萩野 亮さん

本屋になりたいとも、なれるとも思っていなかった
2019年9月、西荻窪にある木造アパートの自室で仮店舗をはじめ、2020年1月に現在の場所で本格的にオープンした「本屋ロカンタン」。およそ5.5坪のスペースで本屋を商い、暮らす店主の萩野亮さんは、ドキュメンタリーを専門とする映画批評家でもあります。お店があるのはJR中央線「西荻窪」駅南口から徒歩6分の住宅地。白い建物、白い出窓、白い布看板が目印の本屋ロカンタンで、萩野さんにお話を伺いました。
── 映画批評家の萩野さんが、なぜ本屋をはじめることになったのか、その経緯をお聞かせください。
長く患っていた病のトンネルを、ようやく抜け出せたのが2018年の秋でした。その病というのは鬱とアトピーです。完治が難しい2つの病気を抱えながら、一般的な社会復帰は難しい。そう思ったので、自分の部屋で稼ぐ方法を、ああでもない、こうでもないと、探しはじめました。ちょうどその頃、パソコンをWindowsからMacに変えようと思っていたので、古い機種を買い、自分でメモリーやバッテリーを交換するため、入手方法を検索するうちに、海外から輸入すれば安く仕入れられることに気づきました。それではじめたのが型落ちのMacをアップグレードして売ることです。でもこれは、あまりに手間がかかるので、シンプルにパーツを仕入れて売るだけの商売に替えました。

── まだ、本屋は出てきませんね(笑)。
ええ、その時点で本屋になるという発想はゼロです。次に個人輸入をするなら、自分の得意なことを活かそうと、映画の輸入盤DVDを扱うことにしました。店を構えるなんて無理だと思っていたので、ネット販売をしていたわけですが、あるとき調べてみると、駅から近い物件でも5坪とかなら手頃な賃料で借りられることが分かった。「もしかして、店やれるんちゃうの?」と思うようになり、どうせ店をやるなら、DVDだけでなく、むしろ本を中心に置きたい。そんなふうに生き方を模索していった結果、本屋にたどり着いた、という流れです。

── 本屋をはじめるにあたり、仕入れ方法など、誰かからアドバイスを受けましたか?
直接アドバイスを受けたわけではありませんが、ネットで公開されていた内沼晋太郎さんの『これからの本屋読本』(NHK出版)に出合い、そこから本屋に関する本を読みあさりました。実際に事業計画を立てるときには、本屋Title店主・辻山良雄さんの『本屋、はじめました』(苦楽堂)はとても参考になりましたね。

いろいろな書店員さんが「“書店”はお店を指す言葉だけど、“本屋”はお店と店主(店員)の両方を指す」と発しています。それに共感して、うちも書店ではなく本屋にしました。「ロカンタン」はサルトルの『嘔吐』に出てくる主人公の名前ですが、そこに深い意味はなく、音の響きとカタカナにすること、そして店のイラストロゴを吐いている人物にしたら面白いかな、という3つの理由で決めました。本屋のノウハウはおもに内沼さんと辻山さんの本から学び、その考え方を勝手に(笑)引き継いでいます。


泣きそうになった、ある朝のこと
── こちらは新刊の人文書や芸術書がメインで、映画に関する本もたくさんありますが、古本は萩野さんの蔵書だけですか?
はい、バーゲンブックは置いていますが、基本的にここにある古本はすべて私物で、買い取りはしていません。新刊は定価販売なので、仕入れルートさえ確立すれば扱えますが、古本は相場を知らない素人が手を出せる商売ではないと考えています。この店を、僕の趣味を押しつけるセレクト書店にはしないよう心がけていますが、ひとりで選ぶからどうしても偏ってしまう。そうなると世界も広がらないし、自分も楽しくないんです。

どうしたものかと考えていたとき、お母さんと一緒に来た小さな子が「ここは大人向けの本屋さんなんだ……」とがっかりした様子で帰っていくのを見て、それまでまったく興味のなかった絵本を置きはじめました。すると、一気に世界が広がって、本屋ってほんとうに素晴らしい仕事だと実感することが増えました。


── 素晴らしい仕事だと実感したのは、どういうときでしょう。
ある朝、僕がまだ布団のなかにいるときに、窓の外から駄々をこねる女の子と、それをなだめるお母さんの声が聞こえてきました。……「行きたい、行きたい!」「ダメ」、「本屋さんに行きたいの!」「ダーメ、本屋さんもお休みの日は、なかでねんねしてるんだよ」……慌てて布団を片づけてドアを開けたけど、親子の姿はもうそこにありませんでした。小さな子がお母さんを困らせてまで、この店に来たいと思ってくれている。それが無性にうれしくて、泣きそうになりました。絵本を置かなければ、こんな体験をすることはなかったでしょうね。

ほかにもあります。俳優を目指す恋人のために本を選んでほしいという大学生の女の子が来たとき、僕は諏訪敦彦監督の『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために』と、「ジョーズ」など映画の地理を想像で描いた『空想映画地図[シネマップ]』(ともにフィルムアート社)を選びました。「気楽にプレゼントできるのはこっち。諏訪監督の本は重いけど、あなたの気持ちが伝わるのはこっちだよ」と言うと、その子は迷わず諏訪監督の本を選んだ。それを見て、「このカップルはきっとうまくいく」と思ったり……。こんな幸せな仕事って、ほかにありますか? そういう出会いがいくつもあるんです。

書くことから、棚で表現することへ
── お客さんから受けた影響や気づかされたことはありますか?
あるお客さんに「もう書かなくていいんじゃないですか?」って言われたんです。批評を書かなくても、この店全体で僕の伝えたいことは表現しうる、と。映画批評では1本の映画を論じるときに、別の映画やほかの作品を並べ、こっちはこうだけど、こっちはこうだ、という書き方をよくします。ある意味、いまは棚に本を並べることで批評めいたことをやっている。だから、その人が言うように、ほんとうは書かなくてもいいのかもしれません。でも、本屋になって力みがとれたからでしょうか。最近、いままでになく、いい文章を書けていると自分で思うんです。

── 萩野さんのなかで、あくまでも本業は本屋なんですね。
そうですね。今年はコロナのせいで特殊な年でしたが、1年やってみて、いまの自分の力量だと本屋の収入だけではとても食べていけないことがよく分かりました。なんとか続けてこられたのは、輸入販売や書く仕事もしてきたから。お金にはならないけれど、本屋という仕事、この生き方がいま楽しくて仕方ない。それに自分で言うのもなんですが、どうやら僕には本をすすめ、伝える能力があるのかもしれません。

これから先、コロナが収まったら、いっそう本屋としての力量が問われてきます。書店業だけで食べていけるようになることが、ひとまずの目標です。そのためにも、もっと多彩な本を揃えたいですね。棚はDIYで、いくらでも増設できますから(笑)。


実は、小学生の頃からお笑い芸人を目指し、高校卒業後は吉本興業が運営する養成所NSCに通っていたという萩野さん。そこでは書くネタは面白いのに、声が小さいといつも指摘されていたそうです。演じるより書くほうが向いていることに気づき、大学、大学院で世界を広げて、映画批評の道へ。そして、“最高に幸せな仕事”である本屋という生き方にたどり着きました。形は変われど、お客さんに届けよう、伝えたいという思いは同じ。それに声が大きすぎないことも、本屋さん向きなのかもしれません。5.5坪の萩野劇場「本屋ロカンタン」は、今日も正午に幕が開きます。


本屋ロカンタン 萩野さんのおすすめ本

『あいたくて ききたくて 旅にでる』小野和子著(PUMP QUAKES)
約半世紀にわたり、東北の村々へ民話を求めて訪ね歩いた小野和子さんの旅の記録。お年寄りに話してもらうまでのプロセス、語られた民話、それを聞いた解釈が丁寧に綴られています。地の文と民話、手紙などはフォントの濃さを変えたり、小野さんのバックショットが効果的に入ったりと、映像的な編集がなされているところも魅力です。内容といい、造本といい、こんなに美しい本にはめったに出合えません。

『芥川賞候補傑作選』戦前・戦中編(1935-1944) 鵜飼哲夫編(春陽堂書店)
芥川賞を逃した14候補作をまとめたこの本は、単なるアンソロジーではなく、そもそも賞とは何なのかという制度の部分に触れているところが面白く、はじまりが太宰治の「逆光」というのもくすぐられます。あらゆる賞は選ぶ側が問われ、試される。選者と作者が幸福に出会うときに賞が与えられるわけですが、同書が近代小説の黎明期を知る春陽堂書店から刊行されたことにも、ある種のセレンディピティを感じます。

本屋ロカンタン
住所:167-0053東京都杉並区西荻南2-10-10 KUビル102
電話番号:090-6165-6248
営業時間:月・水 12:00-18:00、金土日 12:00-19:00
定休日:毎週火曜・木曜、第4水曜
https://www.roquentin.tokyo/

プロフィール
萩野亮(はぎの・りょう)
1982年、奈良県生まれ。映画批評家として、書籍、雑誌、映画パンフレットなどへ寄稿のほか、ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員、立教大学兼任講師などを務めたのち、2019年9月に「本屋ロカンタン」仮店舗、2020年1月に現店舗を開店。現在は本屋の傍らで、毎日映画コンクールドキュメンタリー部門一次選考委員など映画批評の活動・執筆も行っている。編著『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』(フィルムアート社)など
写真 / 隈部周作
取材・文 / 山本千尋
この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。