ネット通販の普及と活字離れの影響で、昔ながらの街の本屋さんが次々と姿を消しています。本を取り巻く環境が大きく変わりつつある今、注目されているのが新たな流れ“サードウェーブ”ともいえる「独立系書店」です。独自の視点や感性で、個性ある選書をする“新たな街の本屋さん”は、何を目指し、どのような店づくりをしているのでしょうか。


【連載45】
ここは「冒険家の本屋」じゃなくて、荻田という人間がやっている本屋
冒険研究所書店(神奈川・大和)荻田泰永さん

2021年1月に思いたち、5月に書店を開店
小田急江ノ島線「桜ヶ丘駅」東口を降りてすぐ、ロータリー正面にある「冒険研究所書店」は、世界有数の北極冒険キャリアを持つ、日本唯一の北極冒険家・荻田泰永さんが店主を務める本屋さんです。ここはもともと荻田さんが事務所兼、冒険装備を保管する場所として使用していたスペース。駅に近く、歯科医の2階という便利なところにありますが、昼間はかなり静かなエリアです。2022年5月、オープン1周年を迎えたばかりの冒険研究所書店に荻田さんを訪ねました。
── 2020年の春にコロナで一斉休校になったとき、この場所を子どもたちに開放されたそうですが、それが書店オープンのきっかけでしょうか。
直接のきっかけではないけれど、コロナもまったく無関係ではないですね。この辺りはベッドタウンなので近くに小中学校や学習塾もあり、たくさんの人が住んでいます。それなのに書店が1軒もないのは残念だと思っていたけれど、前からずっと本屋をはじめようと考えていたわけではなくて、2021年の年が明けてから急に「本屋をやろう!」と思いたちました。それからクラウドファンディングで資金を集め、手作りで改装。古物商の免許を取得して、その年の5月にオープンしたという流れです。

── 新刊については「ポルベニール・ブックストア」(神奈川・大船)の金野典彦さんから、いろいろ教えてもらったそうですね。
はい、新刊の仕入れや在庫管理の方法など、何も知らなかったのでとても助かりました。古本は私物や人から譲ってもらったもの、そしてバリューブックスで選んだものでスタート。ここでは壁の本棚はすべて古本で、真ん中の島に新刊を置いているのですが、オープン当初、新刊はテーブル1つ分くらいだったから、とても少なかったですね。それからだんだん増えてきて、いま新刊は3〜4割くらいかな。古本は近所の人たちから買取もしています。
── 荻田さんが本をよく読むようになったのは、いつ頃ですか?
中学の2〜3年生からです。当時の担任が国語の先生で、「これ面白いよ」と薦められた本を手にとるようになり、最初は推理小説、その後は井上ひさしなどを読みました。私は中学・高校と陸上部で短距離と幅跳びをしていたのですが、陸上の大会って結構空き時間があるんですよ。大会はたいてい朝9時くらいから夕方4時くらいまでで2日間開催されますが、1日1種目しか出ない日もあるし、自分の出番が終わったあとは誰かの応援するくらいしかやることがない。それで大会には読みたい本を持っていって、合間に読んでいたことを覚えています。

行為そのものが主体となる〈冒険〉に魅了されて
── 荻田さんは冒険家ですが、〈冒険〉と〈探検〉の違いはなんでしょう。
危険を冒す行為が冒険で、探りしらべる行為が探検です。つまり、危険やリスクがなければ冒険になりえない。安全な冒険はないけれど、安全な探検はありうるわけで、アマゾンの奥地など未開の地に行く探検には危険が伴うこともあるけれど、探検はリスクが前提になっているわけではありません。それと冒険は行為そのものが主体となりますが、探りしらべることが主体の探検はもっと科学的。ある意味、冒険は僧侶の修行に近いのかもしれません。何かをやりたいけれど、何をすればいいのかわからかない。そんな行き場のないエネルギーを持てあましていた頃に、私は冒険と出合い魅了されました。

── 「冒険家の本屋」ならではの特徴はなんだと思いますか?
うーん、なんでしょうね。選書はすべて自分でやっているので、ここにある本は私の興味の対象が色濃く出ていますが、冒険や旅に関する本だけでなく、小説や哲学書、歴史書、写真集などジャンルは幅広くあります。北極や南極へ行ったときの装備や写真も展示していますが、ここは “冒険家”じゃなくて荻田という人間がやっている本屋。「冒険家の本屋」というレッテルではなくて、「誰がやっている本屋」かが大事なので、私がどんな本を読み選んでいるのかを、ここに来て見てもらえたらと思います。

── 選書するときのこだわりポイントはなんでしょう。
面白そうとか、この著者の本は置いておきたいとか……、ひと言でいえば感覚かな。これまで読んできたのは比較的ノンフィクション系が多いのですが、自分が読んで面白かったものはもちろん、知らないジャンルでも興味深い本は置くようにしています。オープンしてからずっと棚はジャンル分けをせず、ランダムに並べてきましたが、1年やってきてそのメリットとデメリットが両方わかりました。具体的なイメージが固まっているわけではないけれど、少し手を入れて書棚を編集していこうと考えているところです。

器が大きくなるにつれて、インプットとアウトプットの量も増えていく
── 本屋をはじめる前の2012年から毎年、夏休みに小学生と160kmを踏破する「100マイルアドベンチャー」を主宰されていますね。初めて北極へ行った頃の〈自分へのインプット〉と〈他者へのアウトプット〉が10対0だとしたら、いまはどれくらいの割合ですか?
うーん、どうでしょう。私は自分の器が十分満たされて、器からあふれた分がアウトプットだと考えています。割合としては半々だから5対5ということになりますが、インプットの量が半減したわけではないんです。アウトプットとして、若い子を連れて北極へ行ったり、子どもたちと行動したりすると、得ることや感じることがたくさんあるし、1人でやる以上に学ぶことも多い。だからインプットの総量は10のまま、いや15くらいに増えているのかもしれません。人間の器はだんだん大きくなるし、器が大きくなれば、そこに貯められる水の量も増えてくる。その分アウトプットも増えてきているのだと思います。

── 書店をオープンしたことが、荻田さんの冒険にどのような影響を与えていますか?
北極へ行くようになって20年以上経ちましたが、最初の10年ほどはアルバイトで稼いだ資金で、自由に行きたいところへ行きました。2012年から北極点へ挑戦するようになり、それには莫大なお金がかかるからスポンサーを募るようになって今年で10年です。実際にやってみて、それぞれに良い面と悪い面、両方あることもよくわかりました。そのうえで、いつの日か自費に戻せたらと考えているんです。自力で稼いだ資金で冒険をして、若い人たちにも還元していく。そんなインプットとアウトプットの大きなサイクルを回していく一翼を、この書店が担えればと考えています。

商売はリスクを伴うもの。著書『考える脚』(KADOKAWA)に、〈試行錯誤と創意工夫で新しい手法をつくり出していくことも、冒険の重要な要素であり、面白さの一つ〉とありますが、荻田さんにとっては本屋をはじめたことも冒険のひとつなのかもしれません。幼なじみで活動をサポートする栗原慶太郎さんは、荻田さんについて「○○到達や△△初という名声はどうでもいいと思っていて、裏で働いている人にすごく気を遣ってくれる心やさしい面がある」と話してくれました。いつかまた北極星が真上に見える地へ荻田さんが行くときも、この店は栗原さんによって通常営業される予定です。

冒険研究所書店 荻田さんのおすすめ本

『四千万歩の男』井上ひさし著(講談社文庫)
商人だった伊能忠敬が身代を息子に譲り、天文学を学びはじめたのは50歳を過ぎてからのこと。本当は「緯度1度の距離」を知ることが目的でしたが、国防のために地図が必要だと幕府を説得し、国中を測量して精度の高い日本地図を完成させました。20歳の私が圧倒されたのは、その情熱のすさまじさ。この本を読んだから北極へ行ったわけではないけれど、影響を受けた1冊であることは間違いありません。

『チベット幻想奇譚』星泉、三浦順子、海老原志穂 編集/翻訳(春陽堂書店)
チベットの現代作家たちが描く、現実と非現実が交錯する13の物語。妖怪やお化けの話というと、なぜか昔話だと思われがちですが、それらは妖怪譚として語りつがれてきたことで、今でも我々の周囲に住んでいるのです。チベットを舞台として語られる摩訶不思議な世界の話は、人間のメンタリティはいつの時代も変わらないこと。そして、時代とともに変わるものがあることを同時に教えてくれます。

冒険研究所書店
住所:242-0024 神奈川県大和市福田5521−7 桜ヶ丘小澤ビル2階
電話:046-269-2370
営業時間:10:00-19:00
定休日:月曜
https://www.bokenbooks.com

プロフィール
荻田泰永(おぎた・やすなが)
1977年、神奈川県生まれ。日本唯一の「北極冒険家」として、カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年までの間に16回の北極行を経験し、北極圏各地をおよそ10,000km以上移動。2016年、カナダ最北の村グリスフィヨルド〜グリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1,000kmの単独徒歩行を世界初踏破。2018年1月5日(現地時間)、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功。2018年2月、2017「植村直己冒険賞」受賞。2021年5月、神奈川県大和市に「冒険研究所書店」オープン。著書に『北極男』(講談社)、『考える脚』(KADOKAWA/第9回梅棹忠夫・山と探検文学賞)。
写真 / 隈部周作
取材・文 / 山本千尋
この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。