南條 竹則

【番外編】 正月の酒

今回は、2020年12月、『酒と酒場の博物誌』刊行を記念して、「酒」にまつわる番外編をお届けします。(春陽堂書店 編集部)
 有名なチャールズ・ラムの『エリア随筆』に「除夜」という一篇がある。
 年越しの感懐をつづったというと平穏無事で、歳時記的で、毒にも薬にもならない感じがするが、そうでない。ラムが書いているのはもっと深刻な内容だ。
 新年を告げる鐘の音を聞くと、彼の心には過ぎた一年のあらゆる光景が蘇る。それだけでなく過去のすべてが思い出されて、楽しかったこともつらかったことも、もう二度とかえらないこと──そして自分自身もいずれ去って還らぬ身であることを痛感する。
 死んだあとの世界は一体どんなであろう?
 人は果たして霊魂になっても笑うことができるのだろうか? 自分が何よりも好きなのは読書だが、あの世にも本を読む幸せはあるだろうか? 友情や友の笑顔はあるのだろうか?
 文章は暗鬱凄愴あんうつせいそうな調子に沈んでゆくが、やがてラムは新年を祝う盃を挙げ、昔の歌で景気をつける。チャールズ・コットンという17世紀の詩人の歌だ。

されば迎えむ、新客を
あふるる美酒の杯で。
愉快は常にさちと逢い、
災禍わざわい」をすらなごませる。
幸福姫さきわいひめ」が背向そむくとも、
我等は腹に酒を詰め、
こらえて待たむ、またの年、
姫が此方こなたをふり向くを。
「溢るる美酒の杯」で新年を迎えたいのは我が国の左党も同じだろう。
 わたしなども昔は毎年そうやっていた。その頃──わたしがまだ学生で、祖母と原宿の家に暮らしていた1980年代には。

 わたしは家であまり酒を飲まない。
 だから、酒を買うということも滅多にしなかったが、年末だけは例外で、毎年とびかしら注連しめ飾りをつけに来る頃、うきうきしてデパートへ酒を物色に行った。
 大学に入ってから二十年くらいの間、大晦日には必ず友達が五、六人──多い時は十人くらい我が家に集まった。それだけいれば、みんなでいろいろな酒を飲める。今年は何にしようかと考えるのが楽しかった。
 もちろん、正月だから日本酒が必要だ。美味い辛口としぼりたての濁り酒を買おう。ワインは誰かがげて来るだろうから、何か珍しいリキュールでも買っておこうか。
 老酒ラオチュウも要る。
 陶器やきものびんに入っている加飯酒かはんしゅ善醸酒ぜんじょうしゅも良いが、本当は大瓶おおがめから柄杓ひしゃくですくって量り売りするのが一番うまい。
 当時、池袋の西武百貨店にあった「北京老舗街」という中国物産展のようなところで、かめの紹興酒を売っていた。喉越しがじつに良いので、それを買いにわざわざ池袋へ行った。ついでに醤豆腐ジャンドウフ(豆腐を発酵させたもの)やピータン、それに「雪花啤酒ビール」なども買った。
 一度、「金獎白蘭地ジンジャンバイランディー」という白い陶器の壜に入った中国産ブランデーを試してみたら、うまいにはうまいけれども、ブランデーというよりマールのような香りだった。

 各種の酒とつまみを並べ、年越し蕎麦も注文して待っていると、夕方から友達が三々五々やって来る。にぎやかに飲んで騒いで、紅白歌合戦が終わったら、祖母のいる隣の部屋でテレビから流れる除夜の鐘の音を聞く。そして近所の東郷神社へ。
 大晦日の東郷神社も、その頃はさほど混んでいなかった。
 ここで初詣を済ませて、甘酒をいただいて、表参道の屋台で暦や焼きそばを買って帰って来ると、お客は途中であらかたいなくなっている。
 残った一人二人と飲み直すが、それもやがてお開きになり、わたしは片づけを後まわしにして蒲団ふとんにもぐる。
 元日のお屠蘇とそはいつも二日酔いの迎え酒だった。

 雑煮と昼寝で酔いをさましたあと、することのない三が日の晩に家でチビチビやった酒が、正月の酒の中で一番なつかしく思い出される。
 原宿の家では祖母が茶の間にベッドを置き、寝たり起きたりして暮らしていた。
 ベッドの隣に炬燵こたつがあり、わたしはその炬燵に入り、祖母は足だけあたって、一緒にテレビの正月映画を見た。
 素面しらふでは見ない。おせちの重箱を台所から持って来て、それをつまみに茶碗酒をやる。正月用に大きな山葵わさびを買ってあるから、少しって、そいつで蒲鉾かまぼこを食べる。それにイクラと柚子を入れた甘塩の塩辛もある。
 小腹が減って来たら餅をレンジで焼き、イクラをのせたり、唐墨からすみがある時は唐墨をのせて食べたりした。
 祖母はそのうちベッドの上に斜めになって寝てしまうから、起こしてちゃんと寝かせる。わたしはテレビで昔の映画を見ながら、まだまだチビチビ酒だ。
 鈴木清順の「陽炎座かげろうざ」をこうして見たことが忘れられない。あれは不思議な映画だったが、酔っ払っていたからそう思ったのかどうか良くわからない。


【新刊】『酒と酒場の博物誌』(春陽堂書店)南條竹則・著
『銀座百点』(タウン誌)の人気連載「酒の博物誌」を書籍化!
酒の中に真理あり⁈ 古今東西親しまれてきたさまざまなお酒を飲みつくす著者による至高のエッセイ。
お酒を飲むも飲まざるも、読むとおなかがすく、何かじっくり飲みたくなる一書です!

この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)