南條 竹則

第12回 酒鮨【後編】

 獅子文六が鹿児島の「酒鮨」を知るきっかけは、前述のように、小説「南の風」のための取材旅行だった。
「南の風」は昭和16年5月から11月にかけて、朝日新聞の朝刊に連載された。
 この作品の主人公は宗像むなかた六郎太という青年である。
 元海軍軍人だった男爵を父に持つ六郎太は、学校を出て銀行や会社に勤めたけれども長続きせず、三十歳さんじゅうにもなっていまだに無為徒食の身だ。
 母は思うところあって、彼を父の郷里である鹿児島へ行かせた。墓詣りが名目だったが、本当は息子の心に刺激を与えるためだった。六郎太は鹿児島で西郷隆盛を崇拝する老人“敬天堂”の感化を受け、一月ひとつきも滞在しているうちに、彼の中の「南の血」が目覚めて来る。
 やがて彼は加世田重助という男と再会する。数年前シンガポールへ旅行した時に出会った人物だが、加世田は六郎太に驚くべき話をする。西郷隆盛がじつは南方に渡って紅大ホンダイ教の教祖となり、カンボジアに御落胤を残したというのだ。
 加世田の知り合いのシエン・チップというカンボジア人はこの宗教の熱烈な信者で、御落胤を連れて日本を訪れ、紅大教の日本支部を設立しようと目論んでいる。
 じつは、すべてシエン・チップの妄想だったのだが、六郎太はこの話を信じて応援し、親譲りの財産を使い果たしてしまう。最後はカンボジアでジュートの栽培をしようという加世田と仏印へ旅立つが、彼の心にはまだまだ希望があった。
 獅子文六はこの作品を気に入っていたが、「少し便乗しちまったのは残念だ」と述べている(「私の代表作」(読売新聞 昭和30年1月20日付))。というのも、これが連載された昭和16年の7月、日本軍は南部仏印への進駐を開始した。いささか時局に迎合した気味があることを後悔したのだ。実際、彼は「海軍」という国策小説も書いていて、戦後あやうくパージされそうになった。
 それはともかく、作中で六郎太が親類に「酒鮓さかずし(この作品ではこう表記している)」を振舞われる場面を御覧いただこう。
 女中が、妙なものを、はこんできた。“だらい光秀みつひで”の芝居に出てくる、あの馬盥のような、大きな塗桶ぬりおけだ。それへ、甘酒あまざけ釜蓋かまぶたのような、頑丈な蓋がしてある。
酒鮓さかずしですか。これは、お珍らしい……」
 春乃は、懐かしげに、その容器を眺めた。
「不出来じゃッどん、東京ン人衆ひとんしや、珍らしかと思うて……」
 と、お鹿さんが、木皿へ盛り分けてくれたすしは、一見、東京の五目鮓に似ているが、まるでお茶漬のように、酒で濡れていた。青々と敷いた木の芽と、たけのこと、ベルモットのように甘い酒の匂いが、いかにも、南国の食物らしく、芳烈ほうれつに、鼻を襲った。
「うまいですね」
 六郎太は、続けて三杯、おかわりをした。
「ほウ……あんたも、やッぱい、薩摩ン血をひいとるわい」
 敬天堂は、哄然こうぜんとして、笑った。(『南の風』朝日文庫、103-104頁)
 三杯お替りしたのは作者本人もそうだった。
「南の風」には、六郎太が次第に鹿児島の風俗に親しんでゆくさまが生き生きと描かれる。焼いた鰯を肴に敬天堂と焼酎を酌み交わす場面なども、じつに美味そうだ。鹿児島へ行った作者の楽しい気分が伝わって来るようである。
 息子岩田敦夫の回想(「我が父・獅子文六と鹿児島の記憶」)によると、獅子は生涯に三度鹿児島を訪れた。その三回目が昭和39年の春、「週刊朝日」の取材旅行で、同年9月「小説新潮」に発表された「南の男」は、この時の旅行記に少しフィクションを混ぜて小説仕立てにしたものである。
 これには、料理学校で酒鮨の前に出て来た御馳走のことも記してある。
「ようお越し頂きましたが、こげん、むさくるしかところで……」
 校長さんは、努めて標準語を話したが、鹿児島ナマリは、争われなかった。そして、挨拶を終ると、すぐ、鯛の吸物を運んできたが、味加減が、まことに結構だった。それと、最初に出たサシミ風のものの味が、すばらしかったので、私は、躊躇なく、讃辞を呈した。しかし、魚の正体は、わからなかった。
「それは、フカの皮の湯通しで……」
 校長先生にいわれて、すぐ、思い当った。サメのことを、こっちではフカというのである。サメの腹の皮らしいが、まるで、干海鼠きんこの中華料理のような、ゼラチンの多い舌触りが、珍味だった。(『ロボッチイヌ』ちくま文庫、240-241頁)
「南の男」にはトンコツの話も出て来るが、ここには戦後鹿児島の飲食業に於ける変化が指摘されていて、興味深い。
 その夕の食事には、トンコツ料理が出た。トンコツは豚骨であって、豚の骨つき肉を、コンニャクや大根と共に、焼酎や黒砂糖や味噌で煮込む。しかし、以前は、そんな料理は旅館で出さなかったものだ。そういえば、トンコツに調和する飲料の焼酎を、試みに註文すると、すぐ持ってきた。これも、昔はないことだった。よい旅館や料理屋は、焼酎を飲ませるのを、不名誉のこととしていたが、この頃は、郷土色を売り物にするようになったのか。(『ロボッチイヌ』ちくま文庫、225頁)
 郷土料理がこの土地でも胸を張って客に出せるようになったのは、戦後に始まった旅行ブームの到来と無関係ではあるまい。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)