第16回:江口渙『悪霊』わかりにくさとの対峙

清泉女子大学教授 今野真二
今回は江口かん『悪霊』を採りあげる。江口渙(1887~1975)は、東京帝国大学英文科に進学した明治45(1912)年に、雑誌『スバル』に「かかり船」(後に「赤い矢帆」と改題)を発表して作家として認められる。夏目漱石の知遇を得、芥川龍之介とも交流があったことが知られている。小林多喜二の死に際しては葬儀委員長をつとめている。
【図1】は筆者が所持している本の表紙見返しであるが、「禁持出し」「株式会社春陽堂書店出版部」という印が大きくおされている。出版社が自社出版物を保管しておくことはごく一般的なことであろう。しかし、当たり前のことであるが、「禁持出し」であるのだから、そうした保管用のものが、市場に出ることは稀なはずだ。筆者が所持している本の数はたかが知れているが、こうした印がおされている本は、春陽堂書店のものに限らずおそらく他に1冊もない。そうした意味合いで、この本は貴重な本といえるだろう。

【図1】

【図2】は奥付であるが、この本は大正9(1920)年11月28日に発行された再版である。初版の発行は11月23日となっているので、5日で再版されたことになる。今風に表現すれば、「発売即重版」であろうか。

【図2】

そこで考える。この本だったら、初版も「禁持出し」にし、再版もそうするというように、当時春陽堂では、印刷した本のすべての版を「禁持出し」にしていたのだろうか。そうだとすると、かなりの冊数の「禁持出し」が保管されていたことになる。
ふと、「日本の古本屋」の「検索ワード」欄に「禁持出し」を入れて検索すると、3件のヒットがあった。そして、なんと3件のうち2件は春陽堂の「禁持出し」印がおされているということだったので、そのうちの1冊を注文してみた。
それが【図3】だ。「禁持出し」「株式会社春陽堂書店出版部」いずれの印も【図1】のものと同じにみえる。それぞれが個別の印であることもこうしてみることによってわかる。

【図3】

この【図3】は石川欣一きんいち『むだ話』(1926年8月20日発行)である。石川欣一(1895~1959)は大阪毎日新聞社の学芸部員として活動したジャーナリストで、父は動物学者の石川千代松、母の貞は箕作みつくり麟祥りんしょうの娘であった。「日本児童文庫」43(1928年、アルス)の『動物園』の著者が石川千代松だ。こちらもおもしろそうな本であるが、同時に2冊の内容にふれることはできないので、今回は『悪霊』のみを採りあげることにする。

【図4】

【図4】は6頁であるが、この1頁だけでもいろいろとおもしろい。まず2行目では「牛蝨」に「だに」と振仮名が施されている。「ダニ」を漢字列「牛蝨」によって文字化したということであるが、この書き方は『日本国語大辞典』の見出し「だに」の「表記」欄には示されていない。だからといって、珍しい書き方であるとすぐに断言はできないが、あまりみられない書き方であることはいえるだろう。
6行目には「くつぎりと細長く窺かせてゐる」とある。現代日本語であれば、「クッキリ」を使うであろう。『日本国語大辞典』は「クッギリ」を見出しにしていない。誤植かもしれないが、こういう語形があった可能性もあろう。
9行目から11行目にかけて「草原の端れに動いてゐる人影は、恰も周園の力強さと偉きさとに威圧されて、殊更、自分自身を小さなものにしてゐるのではないかと思はれるほどに小さく見えた」とある。「端れ」は「ハズレ」を書いたものであろう。こういう書き方が案外と読めないこともある。また「小さなもの」「小さく」とあることを考え併せると、「偉きさ」は「オオキサ」を文字化したものとみてよいだろう。これもすぐには読みにくいかもしれない。
過去の日本語がわかりにくい、といった時の「わかりにくい」にはいろいろな「わかりにくい」がある。使われている語がなじみのないもので、語義がわからないということもある。使われている漢字字体になれていないために、いったいどの漢字なのかがわからないということもあるだろう。「端」や「偉」は現在も使っている漢字であるし、だいたい当該漢字があらわす語の語義もわかっている。しかし、現在使っている訓とは異なるかたちで使われると、すぐにはわからないこともある。
わからないことに遭遇しないですらすらと読めるのがいい、というのが現代流の「心性」であろう。わかりやすくわかりやすくだ。しかしそうであると、自身が知らないことを新たに習得する機会はないことになり、現状維持ということになる。わからない語があって調べる。わからない漢字があって調べる。そうしてわからない語やわからない漢字を知る。それのどこがわるいのだろう、と思ってしまう。まだ歯が生え揃っていないからやわらかい食べ物にする、というのは自然な考え方であるが、ある程度歯が揃ってきたら、大人と同じような食べ物にして、ならしていくという考え方もことさら無理な考え方ではないだろう。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。