せきしろ

#4
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。第4回目は次の2本。

昼寝起きればつかれた物のかげばかり
  大正一三年 『層雲』一〇号 御堂(二八句)
心をまとめる鉛筆とがらす
  大正一四年 『層雲』新年号 色声香味(三七句)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 

 昼寝起きればつかれた物のかげばかり
私は何もすることがないとすぐ横になってしまう。寝ることで時間を潰すことが多いのだ。
暇な時に寝るのはまだ良くて、机で原稿を書いていたとしても接続詞の数文字書いただけですぐ休憩時間にしてしまい、床に寝そべる。なぜ床かと言うと、布団の上に寝そべると本格的に寝てしまう可能性があるからだ。そこにまだ原稿を書こうとする気持ちが存在することがわかるだろう。
原稿はこの仕事を初めた頃は手書きで、次にワープロを使うようになり、やがてパソコンになった。最近はスマホで原稿が書けてしまうから机に行かずに最初から床に横になって書き始めることも増えた。
仰向けになってスマホに文字を打ち込んでいくスタイルであるわけだが、作業しているうちにうとうとしてしまって顔の上にスマホが落ちてきてその衝撃で起きることが多々ある。これが数回続くと「このまま書き続けるよりも一度寝た方が効率は良くなる」と自分に言い聞かせて睡眠タイムになるのだ。
私はいつも横を向いて足と足の間に手を挟み丸まって寝る。こうしないと眠れない。上を向いて寝たことがない。いつか棺桶に入った時も横向きで寝て良いのだろうか、ダメですと言われたらどうしようかと考え、まぁ棺桶入った時点でそんなこと考えることなどできないのだから関係ないかと思い、その後寝る前特有のよくわからないことが頭を巡って、寝る。
やがて目覚めると、自分が今いる場所がどこなのかわからなくなる時があって、なぜここにいるのかとか、誰と暮らしているのかとか、母親はどこにいるのかなど混乱する。少しずつ覚醒し始めて、ここは実家ではないから母親はいるわけないと理解する。
結局何もせずに寝てしまった罪悪感を持ちながら見る部屋は、なんだか無機質でくたびれているのだ。


 心をまとめる鉛筆とがらす
電話が来て、何かを伝えられる。たとえば電話番号だとか打ち合わせの日時など、大切なことなのでメモをしようとペンを探す。記憶する自信はない。
あまり待たせるわけにもいかないので素早く探したいのだがなかなか見つからず、やっと見つけたペンはインクが出ないこともある。そうなると筆圧でメモするしかなく、インクの出ないペンを力強く走らせる。するとメモ用紙に筆圧の跡だけできるのでそれをなんとか見れば良い。見づらいのなら鉛筆で軽く塗れば文字が浮き出るだろう。そう思っていたのだが今度はその鉛筆がない。
鉛筆を使わなくなってどれくらい経っただろうか。
学校に通っていた頃は使っていた。と思ったが、中学生の時にはもうシャープペンシルになっていた。でも受験の時は鉛筆だった気がする。その辺りの記憶は曖昧だ。
とはいえ小学生の頃は確実に使っていた。私の学校はシャープペンシル禁止だったはずだ。新学期の前の日は鉛筆を削ってペンケースに綺麗に並べて準備をしたことを思い出す。ナイフで削る方法も教わっていたもののやはり楽な鉛筆削りを使用した。直方体の小さな鉛筆削りもペンケースに入れた。そういえば鉛筆の尖らせていない方、つまりお尻の部分の側面を平らに削ってそこに自分の名前を書いたが今でもやっている人はいるのだろうか。もちろん消しゴムが付いているタイプのものは難しいが。
などと鉛筆について考えていると、久々に鉛筆を使いたくなってしまい買いに行った。一緒に鉛筆削りも買って、家に帰ってさっそく削った。
鉛筆を回すと削りカスとともに懐かしい香りがした。
削り終わるとなんだか靴ひもを結びなおしたような気持ちになって、私は久々に手書きで原稿を書いてみた。

プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
<尾崎放哉 関連書籍>

『句集(放哉文庫)』

『随筆・書簡(放哉文庫)』

『放哉評伝(放哉文庫)』