せきしろ
#26
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。26回目は次の2本をお届け。
お盆にのせて椎の実出されふるさと
大正一四年 『層雲』二月号 人天竜象(三七句)
一日物云はず蝶の影さす
大正一三年 『層雲』八月号 一日(七句)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 大正一四年 『層雲』二月号 人天竜象(三七句)
一日物云はず蝶の影さす
大正一三年 『層雲』八月号 一日(七句)
お盆にのせて椎の実出されふるさと
フードコートに行く。店舗を選び、料理を注文すると『呼び出しベル』を渡される。それを持って席に座っていれば、オーダーした料理が出来あがった時に音で知らせてくれるというわけだ。
座って待っていれば良いし、店側も料理を運んだり声を出したりすることもなく、実に効率が良いシステムだと思うのだが、私はこれが苦手である。いつ音が鳴るのかとドキドキしてしまうのだ。バイブレーションタイプのものも同様で、突然震えてドキッとしてしまわぬよう見続けてしまう。そのため緊張してしまいまったく落ち着かない。
これは膨らんでいく風船を見ている状況に似ている。いつ割れるかわからないあの緊張感だ。そういえば子どもの頃(もしかしたらまだあるのかもしれないが)しゃっくりが出たら驚かせて止めるという強引な技があって、油断していると親や友人が「わっ!」と驚かせてくるので嫌で嫌でたまらなかったのだが、その時の気持ちにも似ている気がする。また、私はお化け屋敷が苦手であるが、お化けが嫌なのではなく、突然何かが出てきたり、大きい音がしたりして、驚かされるのが嫌なのだ。それにも似ている。
せめて鳴る前にカウントダウンしてくれたなら心構えができるのにと思いつつも、いざ鳴ってみるとフードコートのベルはたいした音ではない。驚くような振動でもない。そのたび「なんだよ、まったく」と拍子抜けし「もう次から平気だ」と思う。しかしそれをすぐに忘れて、次に来た時にまた緊張する。
ベルを持って席を立ち、料理を乗せたお盆を持って席へと戻ってくる。私はお盆を使い慣れていないから、落としたりひっくり返したりしたらどうしようとまたしても緊張するのである。
一日物云はず蝶の影さす
今住んでいるところは静かなので気に入っていた。逆にその他の面ではとりわけ良いところはなかった。
近所に親子が引っ越してきた。年老いた母親と40代くらいの息子の二人である。
この親子は絶えず喧嘩していた。朝から怒鳴り声が聞こえてきて、それでよく目覚めた。まるで鶏の声のようなものである。「まるで鶏の声のようなものである」と書いてはみたが、鶏の声で目覚めた経験は一度もない。
怒鳴り声はご飯がどうしたとか、リモコンがないとか、代引きの荷物を受け取る受け取らないとか、通帳はどこだなど言っていた。唯一のメリットであった静寂が奪われてしまった。
一度とことん聞いてみようと思い、耳を可能な限り澄ましてみると母親の方も相当やり返しているのがわかった。私はずっと息子が一方的に怒鳴っているものだと思っていたのだが、それは息子の声が大きいだけだったのだ。それを知ると少しだけホッとした。
その親子がどういう生活をしてきて、今はどういう状況なのかは知る由もない。喧嘩することによって生活のバランスが取れているのならそれはそれで二人には良いのかもしれない。そんなふうに考えてみたりもした。
とはいえ毎日聞こえてくる喧嘩の声に一切慣れることはなく、「また始まったよ」とうんざりしていた。
ある日の夜、救急車が来て母親が運ばれていった。それから喧嘩の声はまったく聞こえなくなった。
静寂を取り戻すことになったのだが、できれば別の静寂が良かった。
本連載「放哉の本を読まずに孤独」が書籍化決定!!
『放哉の本を読まずに孤独』(春陽堂書店)せきしろ・著
あるひとつの俳句から生まれる新しい物語──。
妄想文学の鬼才が
孤高の俳人・尾崎放哉の
自由律俳句から
着想を得た散文と俳句。
8月31日発売予定
帯文コメントは、金原瑞人(翻訳家)さん
絶妙のゆるさ、あるようなないような緊張感。そのふたつを繋ぎ止めるリアリティ。これは、エッセイ、写真、俳句による三位一体の新ジャンルだ。
あるひとつの俳句から生まれる新しい物語──。
妄想文学の鬼才が
孤高の俳人・尾崎放哉の
自由律俳句から
着想を得た散文と俳句。
8月31日発売予定
帯文コメントは、金原瑞人(翻訳家)さん
絶妙のゆるさ、あるようなないような緊張感。そのふたつを繋ぎ止めるリアリティ。これは、エッセイ、写真、俳句による三位一体の新ジャンルだ。
┃プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
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