せきしろ
#25
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。25回目は次の2本をお届け。
何か求むる心海へ放つ
大正一三年 『層雲』一二月号 眼耳鼻舌(三七句)
今日も夕陽となり座つてゐる
大正一五年 書簡 一月二十日 飯尾星城子あて(葉書)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 大正一三年 『層雲』一二月号 眼耳鼻舌(三七句)
今日も夕陽となり座つてゐる
大正一五年 書簡 一月二十日 飯尾星城子あて(葉書)
何か求むる心海へ放つ
海が近くにありそうな気配を察するとそちらへと歩いてしまうもので、もう何度も見たはずなのに海は毎回新鮮である。
その日訪れた海は砂浜がなく、海岸沿いに遊歩道とベンチがあった。昨日よりも涼しく過ごしやすくなっていて、夏の終わりが近づいていることを知る。それでもまだ夏を終わらせたくないのか、蝉が懸命に鳴いている。しかし公園のゴミ箱には役目を終えたビーチサンダルが捨てられている。
ベンチに座って女性が本を読んでいるのが見えた。ここが居酒屋のカウンターならば何を読んでいるのかを窺うのは簡単なことで、「ああ、ナンプレか」などと知ることができるのだが、ここからでは何の本なのか確認できない。
直接「何の本を読んでいるんですか?」と尋ねたならば話は早いのだろうが、私はそんな勇気もコミュニケーション能力も持ち合わせていない。近づいて表紙を確認するのは怪しすぎる。考えてみるとどちらも自分がされたら相当嫌なことだ。知らない人に表紙を見られて、「へえー」なんて顔をされたら、私はあからさまに拒絶し、時には暴言を吐いてしまうはずだ。何の本を読んでいるのかを見られるというのは、頭の中を、時にはセンスを見られるようなものだからか。
結局、彼女が何を読んでいるのかは想像を働かせるしかない。彼女の目の前に広がる海。その向こうにある国の文学かもしれない。あるいは海が舞台の冒険小説かもしれない。はたまた夏の詩が詰まった本の可能性だってある。最近流行りの本でもおかしくはない。ひとつには絞れない。
別のベンチに座った男性が何かを飲み始めた。それは紙パックの日本酒であることはすぐにわかった。
今日も夕陽となり座つてゐる
近くに大きめのスーパーマーケットがあり、一階はスーパーで二階は大型電器店になっていた。
私はプリンターのインクを買うためにその店を訪れた。買うべきインクがわからなくならないように型番をメモしてきたおかげで早々と購入し終わり、せっかく来たのだからと炊飯器を見たり掃除機を見たりとうろうろしていると、マッサージチェア売り場が現れた。そこには誰もいなかった。
マッサージチェア売り場にはいつも必ず誰かがいて空いていることはなかなかなく、たとえ空いていたとしてもそれは足裏のみのマッサージ器などの特化型だったりするから「好きなマッサージチェアに座れるチャンスだ」とテンションが上がった。私はマッサージチェアを利用することはほとんどなかったものの、最近は年齢とともに首が凝っていたり、腰が痛かったりするので最近のマッサージチェアはどれくらい効果があるものなのか気になった。
ただ、マッサージ売り場にいる人というのはまるで自分の家のようにくつろいでいる人も多くて、私は常日頃「ああはなりたくない」と思っていた。かといって今はせっかくのチャンスでもある。そこで「これがマッサージチェアかあ」みたいな顔をして、「ちょっとだけ試してみようか」といった動きで座り、くつろぐ気はまったくない空気を醸し出した。「へえー、こういう椅子なんだ」と椅子の感触を調べるふりをして、リモコンで様々な機能を試して決してくつろぐためではなく純粋に商品をチェックしているように時折頷いたりもした。
店員に「あの人、買わないな」と思われるのも嫌なので、良い商品だったら買おうかなと考えているアピールのひとつとしてこれみよがしに財布を取り出し中身を確認した。最後に他の商品との価格を見比べ、どれを買うか迷っているアピールをして、マッサージチェア売り場をあとにした。いらぬ演技をしまくったおかげで最近のマッサージチェアの効果に関しては何も覚えていない。
本連載「放哉の本を読まずに孤独」が書籍化決定!!
『放哉の本を読まずに孤独』(春陽堂書店)せきしろ・著
あるひとつの俳句から生まれる新しい物語──。
妄想文学の鬼才が
孤高の俳人・尾崎放哉の
自由律俳句から
着想を得た散文と俳句。
8月31日発売予定
あるひとつの俳句から生まれる新しい物語──。
妄想文学の鬼才が
孤高の俳人・尾崎放哉の
自由律俳句から
着想を得た散文と俳句。
8月31日発売予定
┃プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
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