せきしろ

#23
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。23回目は次の2本をお届け。

聞こえぬ耳をくつつけて年とつてる
  大正一四年 『層雲』三月号 独座三昧(三七句)
ただ風ばかり吹く日の雑念
  大正一四年 『層雲』新年号 色声香味(三七句)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 

 聞こえぬ耳をくつつけて年とつてる
駅前のファストフード店に入った。学校帰りの中高生で賑わっていて、もちろんそうではないお客さんもいて、私の隣の席には老夫婦が二人掛けの席に対面して座っていた。
おじいさんが独特の間で「アツ」という名の孫の話を始めた。
「俺が庭で作業してたら、アツが後ろからそーっと近づいてくるんだよ。俺を驚かそうとしてるんだけど、あの子、ピヨピヨと鳥の鳴き声みたいな音がなる靴を履いているだろ。だから音で全部わかってしまってうんだよ。笑いを堪えるのに必死だったよ」
ゆっくりと、最後の方は笑いながらおばあさんに話した。するとおばあさんはこう言った。
「あ?」
どうやらおばあさんは上手く聞き取れなかったらしく、顔をしかめて聞き返した。おじいさんはほんの少しだけ不機嫌そうな顔をしたが、また話し始めた。
「俺が庭で作業してたら、アツが後ろからそーっと近づいてくるんだよ。俺を驚かそうとしてるんだけど、あの子、ピヨピヨと鳥の鳴き声みたいな音がなる靴を履いているだろ。だから音で全部わかってしまってうんだよ。笑いを堪えるのに必死だったよ」
同じ話をもう一度することは語り手のモチベーションが下がる。恥ずかしさもある。特におもしろい系の話は顕著であろう。それなのに、おじいさんはきっちりおもしろ話をしたのだ。
私は他人事ながら祈り始めた。どうか、今の話がおばあさんに通じてますようにと。いくらなんでも3回目は危険だ。おじいさんもさすがに苛立つ。「もういい!」と激怒してもおかしくない。かと言っておばあさんが悪いわけでもない。
しかし祈りは通じなかった。
「あ?」


 ただ風ばかり吹く日の雑念
亀を助けると竜宮城に行くことになる可能性が浮上する。これは子どもの頃に『浦島太郎』を読んで刷り込まれたものである。
私は考える。もしも自分が竜宮城に招待された場合、断ることは可能なのだろうかと。
そもそも海底に行きたいとは思わない。私は足がつかないところではないと泳げないくらい、水は得意ではないのだ。かつ、亀に乗るという慣れないことをしながらの水中だ。不安が募るばかりである。
また、水中ではなんらかのシステムで息ができるようになってるとは思われるが、それがいつ作動するのか、手違いで作動しない場合があるのではないか、そんな心配も消えない。さらに、道中亀と話すことがなくなって気まずくなるのも嫌だし、竜宮城のノリが元気と明るさを売りにした居酒屋のような自分と合わないものだったらもう地獄だ。
やはりお礼を断るしかない。しかし正直相手は得体の知れない集団であるから、真正面から断るのは怖い。玉手箱的な厄介なものをまだ持っているかもしれないし、なるべく相手を刺激しないようやんわりと断りたい。そこでなにか用事があるふりをする。
「助けてくれたお礼に竜宮城へ案内します」
「すみません、今はちょっと行けないんですよ」
「そうなんですか。それではいつなら行けますか?」
「そうですね……」
「じゃあ、明日はどうですか?」
「明日はその、あれです、歯医者に行かないといけなくて」
「では歯医者終わってから行きましょうか」
シミュレーションしてみたがはっきりと断らないと結局行くことになってしまいそうだ。
そんな雑念が今日も時間を無駄にする。

『放哉の本を読まずに孤独』(春陽堂書店)せきしろ・著
あるひとつの俳句から生まれる新しい物語──。
妄想文学の鬼才が孤高の俳人・尾崎放哉の自由律俳句から着想を得た散文と俳句。
絶妙のゆるさ、あるようなないような緊張感。そのふたつを繋ぎ止めるリアリティ。これは、エッセイ、写真、俳句による三位一体の新ジャンルだ。
──金原瑞人(翻訳家)

プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
<尾崎放哉 関連書籍>

『句集(放哉文庫)』

『随筆・書簡(放哉文庫)』

『放哉評伝(放哉文庫)』