せきしろ

#22
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。22回目は次の2本をお届け。

口あけぬ蜆死んでゐる
  大正一五年 『層雲』二月号 野菜根抄(三一句)
人をそしる心をすて豆の皮むく
  大正一三年 『層雲』一一月号 何もない部屋(二八句)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 

 口あけぬ蜆死んでゐる
死んだ友人が住んでいたアパートに行った。片付けの手伝いである。結構収集癖がある人であったから、部屋には様々なものがあった。まずCDとレコードがずらりとあって、同じくらい本もあって、難しそうな本もベストセラーも漫画も文庫本も綺麗に並べられていた。遺族に「何か欲しいものはありますか?」と訊かれ、瞬時に「はい」「いいえ」の判断ができず、だからと言って何も言わないわけにもいかないので、「そうですねえ……」と曖昧な返事をすると「何かあったら遠慮なく言ってください」言われ「はい」と返事した。
私は本棚の本を段ボール箱に詰める作業を始めた。頼まれたわけではなかったが、できるだけ大きさとジャンルを揃えながら入れていった。文庫本を詰め始めた時、一冊の文庫本が目に留まった。それは太宰治の文庫本であった。太宰を読む話などしたことなかったし、イメージもなかったから、「へぇー」と思い、作業が止まった。
「それ、持って行きますか?」と言われた。実際にはまったく欲しくなかったものの、断るのも失礼な気がして、断る良い言い訳も思いつかず、「ではこれを」と受け取った。正直、高価なものを貰い受けるより、古い文庫本の方が気は楽である。私は文庫本を鞄にしまった。
不要なものをゴミ袋に入れて、キッチンの横にある浴室に一時的に置いていき、六畳の居間にはいくつもの段ボール箱が積まれた。
「たくさんありますね」
「そうですね。昔からなんでも捨てずに取っておく性格だったので」
私は「この段ボール箱はどうするんですか?」と訊きそうになって慌ててやめた。例えばCDとか、実家に送ったところで誰も聴かないだろうしどうするんだろうと単純にそう思っただけなのだが、遺品をどうするのかと尋ねるのはなんだか失礼な気がしたし、墓場泥棒的な卑しさも感じさせてしまいそうだ。しかし、会話が途切れるのも嫌だったので、「ほんと、たくさんありますね」とさっきとほぼ変わらないことを口にした。


 人をそしる心をすて豆の皮むく
ふといやなことを思い出すということはよくある。道を歩いていたり、お風呂に入っていたり、あるいは寝る前になど、それは突然やってくる。
なぜあの時あの人にあんなことを言われたのか、あんなことを言わなくても良かったのではないかなどと考え、苛立ちは急速に増大していきあっという間にマックスとなり、時には知らない動物のような声を出してしまうことになる。
時間とともにいつの間にか苛立ちはおさまって平穏になるのだが、予期せぬところでその人の名前を見たり聞いたりするとまた元に戻ってしまう。挙げ句の果てにはその人が好んで被っていそうな服や帽子なんかを見ただけで苛つくようになる。そうやって苛つくことがどんどん増えていって、こんなことをしていると一日中、いや年がら年中苛つく事態になるのではないかと思う。
この状況を脱するきっかけのひとつとして「新しい仕事の依頼が来る」というのがある。仕事が来るということは必要とされているわけで、そう考えると気持ちに余裕ができる。また仕事がくると生活費の余裕もできる。これらの余裕によって苛立ちはどこかへ消える。苛立っている時は、バスの運賃の支払いを手間取っている人が前にいるだけでさらに苛立つのだが、余裕ができればまったく苛つかないし、「慌てなくて大丈夫ですよ。どうぞごゆっくりお支払いください」と優しくなる。こういった優しい気持ちのまま生活する方が絶対的に良いはずで、悪い感情を抱いてもなにも生み出さないと思い、「この状態をキープしよう」と心に決める。
しかし、仕事の依頼のメールが以前誰かに送ったものをテンプレとして使っていて、それ自体は構わないのだが、その時の名前を直し忘れていて、別の人の名前のまま私に依頼しているのを見ただけで、余裕はあっという間に消えてしまうのである。

『放哉の本を読まずに孤独』(春陽堂書店)せきしろ・著
あるひとつの俳句から生まれる新しい物語──。
妄想文学の鬼才が孤高の俳人・尾崎放哉の自由律俳句から着想を得た散文と俳句。
絶妙のゆるさ、あるようなないような緊張感。そのふたつを繋ぎ止めるリアリティ。これは、エッセイ、写真、俳句による三位一体の新ジャンルだ。
──金原瑞人(翻訳家)

プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
<尾崎放哉 関連書籍>

『句集(放哉文庫)』

『随筆・書簡(放哉文庫)』

『放哉評伝(放哉文庫)』