星泉さんインタビュー
伝統が壊れる瞬間に生まれる文学(前半)

対話:倉本さおり、長瀬海
2021年は、ツェワン・イシェ・ペンバの小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』が話題となり、またペマ・ツェテン監督の映画『羊飼いと風船』が日本でも公開されました。2020年に刊行された、チベットを舞台とした蔵西さんの漫画『月と金のシャングリラ』も話題になりましたね。日本でも受容される様になってきたチベットの文化と文学の歴史について、そしてその魅力について、小説の翻訳を数多く手がけている星泉さんにお話しいただきました。
チベット現代文学は始まったばかり
── 「アジア文学の誘い」(以下、イベント)で星さんにチベット文学の歴史についてレクチャーしていただいたとき、「普通の人が読む」ためのチベット文学はまだまだ始まったばかりなんだと知って驚きました。娯楽として読まれる文学として成立したのがここ40年くらいの出来事なんですね。
 そう、若いんですよ。初めてチベットで文芸誌が作られたのが1980年だから、他のアジアの文学と比べたら歴史は随分と浅いんです。チベット文学はそれまでは口承文学が中心でした。チベットには語りの文化が強く根付いているんですね。声の文学を耳で楽しむことが主流だったので、現在読まれているような、平明なチベット語で人々の暮らしが書かれる小説とは全く趣が異なる文学が一般的だったんです。一方で、仏教僧たちが、13世紀にインド伝来の理論にもとづく詩や、詩と散文で綴る文学の伝統もあるんですけど、そうした文字で書かれる文学は「普通の人が読む」ものではありませんでした。なので、一般の人たちにとってはあくまで「語り」が主流だった。私たちは文学というと、何となく本を黙読することを連想すると思いますが、そういうものとはだいぶ違いますよね。
「語り」の文学だったチベット文学に変化が起きたのは、20世紀半ば頃です。1950年以降にチベットに中国がやってきて、チベット語を特権階級のものではなく、人民のものに改造せよと言われ、新しいチベット語を創出する動きが起きました。そこでは文法学や詩学の素養のある高僧やラマが北京に呼び出されて、チベット語の書き言葉の現代化に取り組んだわけです。そのとき口語の要素も取り入れられました。日本の明治時代に起きた言文一致の運動が、チベットでは1950年代に始まった。そこから、そのときに作られた言葉を使って「普通の人が読む」ための文学作品が書かれるようになりました。そこで書かれた作品というのは、語り継がれてきた民話を読み物の形に仕立てたものや、詩と散文からなる古典的な作品の形式を使って現代的な内容に置き換えたようなものが多かった。その後、80年代になってラサで文芸誌が創刊されるとそこに載るようになったりもして読者を得るわけです。だから、チベットにおける最初の現代文学は、昔のスタイルを踏襲しつつ、内容をアップデートさせたものだったんですね。

1980年代から90年代発行の文芸誌『ダンチャル』(撮影:星泉)

 ただ、80年代ってチベットでも中国の文化大革命が終わったばかりの頃で。だから、政治的なことを書きたくても、自由には語ることができない。最初期の文芸誌に掲載された作品も共産党を讃える詩が多かったそうです。ただ、チベットの人たちは元来、比喩を巧みに使うことに長けていて、体制批判を含む戯れ歌や寓話みたいなのもいっぱいあったんです。そうした比喩に自分のメッセージを載せて伝えたいことを伝える手法と、古典的な詩と散文の形式をミックスした作品が当時の人々を刺激して、新風を吹き込んでいきました。
── 中国の思想が流れ込んできて、言葉も改めさせられたところから、今に通じる文学が作られたってことですね。アジアの他の文学と比べても、とても複雑な成立背景がある。
 ええ。無理やりお前たちの言語は高踏的で駄目だって言われて新しいチベット語を作らされた。外圧的な力が働いたわけですね。ただ、転んでもただでは起きないのがチベット人。見事に、自分たちの文学を作り出したのは、さすがですよね。
── チベットの現代文学の傑作の一つに、ラシャムジャの『雪を待つ』(星泉訳、勉誠出版)という作品があります。この作品の前半部分の舞台は、まさに1980年代。文革が終わって数年が経った頃、とある村の少年が雪の日に「文字」と出会うところから幕をあけます。知識の輝きに触れた子どもたちの姿がとても印象的で。そのきらめきがチベットの農村の牧歌的な情景のなかで見事に象られていました。さあこれからだ、という希望に彩られている状況と、しかし同時に、あの作品には新しい体制に順化することの難しさもまた克明に描かれていく。当時のチベットで何かが始まろうとしていた感覚がよくわかる物語ですよね。

ラシャムジャ『雪を待つ』(勉誠出版)

 そうそう。学校と僧院どっちが偉いんだ?っていう衝突が描かれていたでしょう。あれは象徴的な場面なんですね。チベットではかつて中国の共産党員に僧院が破壊されってしまった。僧院というのはチベットにおける知の拠点だったわけです。80年代前半というのは、そうした僧院が復興するときでもあるし、学校が作られる時代でもあって。いわば、旧時代の知識の社と新時代の学び舎が同時に林立したんですね。
── そうしたポスト文革の時代の高揚と混乱に呼応するように、子どもから大人へと向かいつつある仲良し四人組のドラマが綴られていく。チベット社会の特徴のひとつは、文明の進展というものをわずかな時間で経験してしまったところだと思います。例えば、日本が50年以上かけて積み上げてきたようなインフラやテクノロジーの変化を、『雪を待つ』の物語では80年代から2000年代のたった20年ちょっとで駆け登るように経験していきますね。そのとき子どもたちは、激変する現実が巻き起こす人生の濁流に呑まれてしまう。それが切ないですね。
 確かに『雪を待つ』では、大人になった彼ら・彼女らは、子どもの頃に一緒に想像していた未来にいないんですよね。文明の発展に翻弄されるというか、初めて枷が外れて自由になれたがゆえにバラバラの道を歩くことができたというか。そのせいで人生の迷子になってしまう子も出てきてしまうのが辛いところですよね。
── 後半は大人になった彼らがチベットの首都にあたるラサで再会する展開になります。しっかり者のお姉ちゃんキャラだった主人公の許嫁が、思いも寄らぬ形でお金を稼いでいたり、村いちばんの天才で、僧院の期待の星だった少年が失踪してしまっていたりもする。その部分だけを見ると悲しいけれど、ある意味では、それまでのチベットの農村社会にはなかった自由を彼ら・彼女らは手にしているのかもしれない。親の言いなりになって人生が決定されてしまうことが息苦しいんだって気づいた瞬間に、もう元には戻れなかったんだろうなって……。作者のラシャムジャも1977年生まれなので、登場人物たちが目撃したチベットの変化を体感して育った世代ですよね。
 ラシャムジャはまさにチベットの変化のなかで生まれ育った小説家ですね。だからその変化の風景を克明に小説に写しとることができるんだと思います。ただ、チベットの文壇では彼も、もうベテランの域。チベットの主要文学賞も最多受賞という快挙を達成した小説家で、後進を育てる立場になりつつあります。

故郷の僧院を案内するラシャムジャ(左、撮影:海老原志穂)と、
星さんと対話中のラシャムジャ(右、撮影:蔵西)。撮影はともに2016年2月

── 『雪を待つ』を読んでいると、近年「世界文学」というラベルで括られる小説にあるようなスケールと視野の広さを感じます。彼はミラン・クンデラが好きだと公言していますけど、それもよくわかる。「アジア文学の誘い」のイベントを開催していたとき、チベット文学の回で『雪を待つ』を取り上げたのですが、その一つ前の中国文学の回で取り上げたのが閻連科の作品だったんですよ。それを知ったラシャムジャが、尊敬する閻連科の次に取り上げてくれて嬉しいってメールをくれたと伺いました(笑)。
 そう言ってましたね(笑)。ラシャムジャは、そうした世界文学と自分の距離をきちんと見定めながら作品を書く小説家だと思います。例えば、彼は村上春樹をなるべく読みたくないって言ってました。つまり、世界レベルで影響力のある作品の磁場からなるべく自由でいたいんでしょうね。でも、彼もついに先日、読んじゃったみたいですけど(笑)。
── ラシャムジャの作品は日本以外で翻訳はされていないのでしょうか?
 彼の作品はいくつか英語に翻訳されました。でも、全て短編ですね。長編はまだ英語にはなっていません。ただ、フランス語に翻訳中だというのは聞いています。フランスにはそれなりにチベット文学の読者がいるんですよ。フランソワーズ・ロバンというフランス人のチベット文学研究者がいるんですが、彼女が頑張って翻訳しているおかげで、読者が根付いてきたようです。例えば、先日、ツェラン・トンドゥプという小説家の『赤い砂塵』を彼女が翻訳しました。これは、1950年代後半に、東チベットで実際に起きた出来事をもとにした小説です。チベットの人たちが中国共産党の圧政に反旗の狼煙を上げたのですが、あえなく潰されて、多くの人が命を落とし、収容所に連行されました。その収容所を主な舞台とした物語です。あらすじだけでもなかなかの問題作だとわかっていただけると思うのですが、これが、フランスで2020年に「抵抗と自由の文学賞」を受賞しました。初版で2000部を刷ったそうなんですが、あっという間に売り切れ。すごいですよね。ロバンが開拓したフランスの読者に、ラシャムジャの『雪を待つ』がどう読まれるのか、とても楽しみです。そう考えると、チベットの現代の小説家は誰を読者にするか、ということを考えざるを得ない地点に立たされているのだと思います。チベット語で、チベットの人たちに向けて書いた作品が、こうして世界で読まれてその反響が直接届けられるようになった。だとすると、誰に向けて何を書くのか、そのことを自問自答せざるを得ないわけですね。
── だとすれば、そこに書かれているチベットの近現代史をどう受け止めれば良いのか、読者も問われているんじゃないかなと思います。チベットの人たちにとって、文革とは具体的にどのような経験だったのでしょうか。
 中国全土で起こったような徹底的な破壊がチベットでも起きました。僧院も打ち壊され、宗教も完全に否定された。宗教と結びつく口承文学も毀棄させられた。つまり、チベットの文化が全て破壊された、文化破壊の時代だったんです。そうしたなかで印刷機が導入されたり、教育制度が整えられ、先ほども言ったように、新しいチベット語が作られた。文革が終わると、もう一度、自分たちの文化を享受できる権利を手に入れた人々が、抑圧から解放されて自由になる。それが『雪を待つ』の物語につながっていくんですね。
── チベット文学だとペマ・ツェテンの作品が、二〇二〇年に『風船』(大川謙作訳、春陽堂書店)という小説が日本で刊行され、ほぼ同時に『羊飼いと風船』というタイトルで映画も公開されました。これも伝統と、それが崩れる瞬間が描かれた作品ですよね。

『ペマ・ツェテン作品集 風船』(春陽堂書店)。右はペマ・ツェテン(撮影:星泉。2015年)

 まさにそうだと思います。これはラシャムジャの言葉ですが、彼は、俺たちは伝統が崩れる瞬間しか描けない世代なのかもしれないと以前、語っていました。それはきっと、ペマ・ツェテンも同じだと思います。伝統が崩れていく感覚を肌で感じている世代の彼らだからこそ、生み出す作品には自然とそのことが刻印されるんだと思います。ただ、それはこの後の新しい世代がまた異なる文学を生むことを予感させる言葉でもあります。最初から、伝統が終わったあとのラサの都会で暮らす若い人々がどのような小説を書くのかは、今後の楽しみですね。
≪ 関連書籍 ≫

『風船 ペマ・ツェテン作品集』(春陽堂書店)
 ペマ・ツェテン(著)・大川謙作(訳)

映画原作の「風船」ほか、短編6作品を掲載。映画監督としても注目されるペマ・ツェテンの小説家としての魅力、そしてチベット文学の魅力を伝える。
本のサイズ:四六判仮フランス装
発行日:2020/12/25
ISBNコード:978-4-394-19009-7
価格:2,200円(税込)

プロフィール
星泉(ほし・いずみ)
東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 教授。1967年千葉県生まれ。専門は、チベット語学、言語学。博士(文学)。1997年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に赴任。チベット語研究のかたわら、チベットの文学や映画の紹介活動を行っている。編著書に『チベット牧畜文化辞典(チベット語―日本語)』、訳書にラシャムジャ『雪を待つ』、共訳書にトンドゥプジャ『ここにも躍動する生きた心臓がある』、ペマ・ツェテン『ティメー・クンデンを探して』、タクブンジャ『ハバ犬を育てる話』、ツェラン・トンドゥプ『黒狐の谷』、ツェワン・イシェ・ペンバ『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』などがある。『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』編集長。


倉本さおり(くらもと・さおり)
東京生まれ。書評家、法政大学兼任講師。共同通信文芸時評「デザインする文学」、週刊新潮「ベストセラー街道をゆく!」連載中のほか、文芸誌、週刊誌、新聞各紙で書評やコラムを中心に執筆。TBS「文化系トークラジオLife」サブパーソナリティ。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)、『韓国文学ガイドブック』(Pヴァイン)などがある。

長瀬海(ながせ・かい)
千葉県出身。インタビュアー、ライター、書評家、桜美林大学非常勤講師。文芸誌、カルチャー誌にて書評、インタビュー記事を執筆。「週刊読書人」文芸時評担当(2019年)。「週刊金曜日」書評委員。翻訳にマイケル・エメリック「日本文学の発見」(『日本文学の翻訳と流通』所収、勉誠社)共著に『世界の中のポスト3.11』(新曜社)がある。