南條 竹則
第23回前編 「美食俱楽部」綺譚、その一
 星岡茶寮で名を轟かせた魯山人が若い頃「美食俱楽部」というものを作ったことは、御存知の方も多いだろう。
 本人は否定したけれども、この名前は谷崎潤一郎の同名の小説から取ったのだろうと言われている。その谷崎の小説の方は大正八年の一月と二月、大阪朝日新聞に連載された。作者は当時三十二歳だった。
 これはどんな話かというと──
 東京に住む五人の有閑人士が「美食俱楽部」をつくり、夜毎饗宴を開く。
 なにしろ食べることが何よりも大事という面々だから、すっぽんの吸い物をたらふく食べたいといっては夜汽車で京都へ行ってみたり、鯛茶漬けが食いたさに大阪へ、河豚が目あてで下関へ、ハタハタを食べに北国の街へ遠征するといった具合。
 で、彼等はいづれも美食の為めにあて・・られて、年中大きな太鼓腹を抱へて居た。勿論腹ばかりではなく、身体中が脂肪過多のお蔭ででぶでぶに肥え太り頰や腿のあたりなどは、東坡肉トンポウニヨの材料になる豚の肉のやうにぶくぶくしてあぶらぎつて居た。彼等のうちの三人までは糖尿病にかかり、さうして殆ど凡ての会員が胃拡張にかかつて居た。(中略)彼等は恰も、肉を柔かく豊かにするために、暗闇くらがりへ入れられてうまい・・・餌食えじきをたらふく喰はせられるあひるの境遇によく似て居た。餌食の為めに腹が一杯になつた時が、彼等の寿命の終る時かも分らなかつた。その時が来るまで、彼等は明け暮れげぶげぶともた・・れた腹から噫を吐きながら、それでも飽食することを止めずに生きつづけて行くのである。(『谷崎潤一郎全集』第七巻 中央公論新社 152頁)
 これでは、どうも美食俱楽部ではなく「飽食俱楽部」という感じがする。ブリア・サヴァランの「味覚の生理学」からいっても、医食同源の思想からしても、あまり高等な食いしん坊とは言えない。
 さて、物語の主人公G伯爵はこのクラブの会長格で、それだけに一同を満足させる理想の料理を日々追い求めている。
 ある冬の夜、彼は町を散歩していて、二人の「支那人」──本稿では原文通りにこの表現を用いる──と擦れ違う。二人は紹興酒の匂いのする息をしているので、伯爵は思う。「はてな、彼奴等は支那料理を喰つて来たのだ。して見ると此の辺に新しく支那料理屋が出来たのか知らん。」(同160頁)
 その時、胡弓の音が聞こえて来た。音のする方へ歩いてゆくと、電灯を煌々こうこうと点じた三階建ての西洋館があり、門柱に「浙江会館」という看板が下がっている。その三階でにぎやかな宴会が開かれているのだ。
 伯爵は考える──自分は東京中の支那料理を食べ歩いたが、日本の料理屋で出すものは所詮日本化された支那料理である。しかし、支那人だけが集まって舌鼓を打つこういう場所なら、真の支那料理が食べられるであろう。
 去りがたく軒下にたたずんでいると、帝大の制帽をかぶった支那人の学生が出て来て、伯爵に突きあたった。学生は「どうも失礼しました」と詫びたが、伯爵の様子を不審に思っているらしいので、伯爵は言った。
「いや、私こそ大そう失礼しました。実は私は非常に支那料理が好きな男でしてね、あんまり旨さうな匂ひがするもんだから、つい夢中になつて、さつきから匂ひを嗅いで居たんですよ。」(同165頁)
 それを聞いた学生は快活に笑いだした。
 やがて二人の問答を聞いて、楼上の支那人が集まって来る。伯爵は会館の中に招じ入れられ、そこのボスのような人物にはすげなくあしらわれるが、同情した支那人の計らいで、宴会の様子を覗き見る。以来、伯爵は不思議な料理の数々を作り始めるのだ。
 料理に開眼してからのG伯爵はまるで魔術師のように描かれているが、「浙江会館」の前に佇んでいた時の彼は、快楽をきわめた通人ではなく、未知なる世界を前にして胸を躍らせる初心うぶな少年のようだ。
 支那料理に対するG伯爵の熱烈な憧れは、唐土の文化への憧れでもある。「支那趣味と云うこと」という随筆の中で、谷崎潤一郎はこう書いている──
 私は、斯くの如き魅力を持つ支那趣味に対して、故郷の山河を望むやうな不思議なあこがれを感ずると共に、一種の恐れを抱いて居る。なぜなら、余人は知らないが私の場合には、その魅力は私の芸術上の勇猛心を銷磨しょうまさせ、創作的熱情を麻痺させるやうな気がするから。(中略)私は、自分が、特に誘惑を感ずるだけ、尚更恐れて居るのである。(『谷崎潤一郎全集』第九巻 中央公論新社 410頁)
 彼の短篇「鶴悷かくれい」には、この趣味に思うさま惑溺わくできした人物が登場する。
 ある海辺の別荘地に住んでいた靖之助という男は大名に仕えた医者の孫だが、支那への憧れがつのり、ついにの国へ渡って、七年後、一羽の鶴と若い娘を連れて帰って来る。そして「鎖瀾閣さらんかく」という支那風の楼閣を建て、支那服をまとい、支那語をしゃべって日々を送る。
 支那行きを決心した時、彼は妻にこう言うのだ──
(前略)自分は支那の文明と伝統の中で生き、そこで死にたい。自分にしろ、祖父にしろ、兎も角も此の貧弱な日本に生きて居られたのは、間接に支那思想の恩恵に浴して居たからだ、自分の体の中には、祖先以来、支那文明の血が流れて居る、自分の寂寞と憂鬱とは支那でなければ慰められない。(『谷崎潤一郎全集』第八巻 中央公論新社 340頁)
 随筆の谷崎は非常に冷静なことを言っているが、心の底にはもっと熱い「支那趣味」が燃えていたのかもしれない。そして靖之助とG伯爵は、どちらもその願望の化身だったのではあるまいか。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)