南條 竹則
第25回前編 桂魚の骨
 草野心平の『口福無限』には魚の骨の話がよく出て来る。
 例えば、「秋刀魚骨ごと」という文章には、戦争末期に築地の料理屋で秋刀魚の塩焼きを頭から尾っぽまで綺麗に食べてしまった話が綴られている。これはその時の勢いで平らげたので、詩人も歳をとってくると、トゲトゲした秋刀魚の骨には歯が立たなくなったらしい。
 しかし、胃を切って蒲焼を敬遠するようになっても、鰻の骨の揚げたものはよくかじったし、彼の好みを知っている小料理屋の主人は、出版社の人にサヨリの骨を届けさせる。山の上ホテルの料理人は穴子の骨を差し入れするという風だった。
 その骨好きが中国で美味い魚の骨に出遭った。
 前回お話しした桂魚の骨だ。「海のもの 山のもの うまいもの」と題する開高健との対談に出てくる。
開高 ブタの耳の燻製にしたやつを薄切りにして酒飲み出してごらん。とまらなくなるね。コリコリとしてて、なんともうまいですね。
草野 それで思い出したけれども、南京城外の料理屋で桂魚コイイイというのを食べた。それ揚子江界隈にいる魚ですよ。その背ビレ、それからしっぽのヒレね。それだけが材料なんだ。それに葦の地下茎。それ両方を揚げるんだけど、これはほんとにうまくて、いまでも郷愁を感じる。さっぱりしていて、コクがあるんですね。(『口福無限』198頁)
 筆者は残念ながら桂魚の鰭の唐揚げを食べたことがないけれども、きっと美味しいだろう。それに「葦の地下茎」との取り合わせが良い。
 地下茎というと蓮根のようなものを想像するが、草野がいうのは「茭白ジャオバイ」のことだと思う。「葦」とは、たぶんまこものことだ。
 牧野富太郎の『植物図鑑』で「まこも(菰)」の項を引いてみると、こうある──

「往々菌類其嫩稈ヲ冒シ笋形ヲ呈スルヲ茭白(こもづの)ト称シ支那及ビ台湾ニテ食用ニ供シ」云々。

 菰の花茎に黒穂菌が寄生すると、ふっくらとして、筍のような感じになる。これを中国語で「菰菜」「茭筍」「茭白」などと言い、当節の日本語では「マコモダケ」と呼んでいる。*
 歯ごたえは筍とアスパラガスの間のような感じで、中国料理ではよく炒めて食べるが、揚げても美味い。これと鰭との取り合わせは、ちょっと泥鰌どじょうの唐揚げを連想させる。東京の泥鰌屋ではよく「ささがしごぼう」を揚げて一緒に盛りつけるが、あれだ。
 草野がこのオツな肴を味わった店は、「美味各種」という随筆によると「南京城外の回教料理屋」だった。
 南京で清真イスラム料理の店といえば、「馬祥興」が有名だ。
 清末に南京の南門の外、現在の雨花路に開業した老舗で、中華民国時代には国民党の関係者が贔屓ひいきにし、「民国料理」と称する数々の献立も残っている。わたしも行ったことがあるが、牛、羊といった本筋のイスラム料理のほかに、魚介や家鴨あひるを使った酒に合う料理も多い(この店は酒を飲んでも良いのである)。南京政府の関係者だった草野心平は、きっとここへ連れて来てもらったのだと思う。
 南京のあたりはまことに魚米の郷で、美味しいものがたくさんある。ことに揚子江対岸の揚州は美食の一大中心だから、南京に滞在する食いしん坊が行かないわけはない。対談の次のくだりにはチラとそのことが出て来る。

草野 蟹のうどん食べたことある?
開高 知らない。
草野 丼に蟹の黄色いところだけ取るわけですよ。それにゴマの油で味つけて、素のうどんをつけて食べる。あるいはドボッと入れて食ってもいい。
開高 うまそうですね(笑)。どこの料理です?
草野 揚子江界隈のもの。それから揚州に「富春フウチュン」という蟹料理屋があるんだよ。そこの名物が蟹のまんじゅう、これはあんこの代りに蟹味噌が入ってる。(『口福無限』199-200頁)
「富春」すなわち「富春楼」は「三丁包子パオズ(鶏肉、豚肉、筍の具が入った包子)」が有名な店で、「大閘蟹」、いわゆる上海蟹の季節になれば、蟹味噌入りの包子も出す。
 上海でその美味しさを伝え聞いた小林秀雄は、河上徹太郎を誘ってはるばる揚州まで食べに行き、顚末を「蟹まんじゅう」という随筆に記した。そのことは拙著『中華美味紀行』に書いたから、ここには繰り返さないが、御興味がおありの方は『小林秀雄全作品』21 (新潮社)などを御覧になると良い。
*ちなみに、以前この連載で引用した田中貢太郎の「美酒花彫記」に「香烏筍シヤンウシン」というものが出て来た。あれも「茭白」だろう。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)