南條 竹則
第26回 どぶがめ考 前編
 近頃、面白い発見をした。
 それは水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に関することだ。
 わたしはこの漫画を少年マガジンの連載で毎号楽しみに読んだ世代である。大体がお化け好きだから、諸々の人気漫画の中でも、水木作品は誌面に穴がくくらい夢中で見入った。
 内容もかなり良く憶えていて、鮮明に、と言って良いものもある。
 その一つに、「オベベ沼の妖怪」という話がある。
 ふだんはドライで自分本位のねずみ男が、恵まれない少年に化けたカワウソに同情し、どぶにいる大きな亀を苦労して捕まえてやる。
 そのあと、目玉のおやじ──漫画でははっきりしないが、敬語を使っていないから、たぶんおやじの台詞だろう──がこう言っているのを立ち聞きする。
「最近 オベベ沼に 人の善意を食い物にする ずるがしこい少年のすがたをした妖怪が出没するというが……なんでも村人をまどわし 川魚やどぶがめを売って歩き だいぶ金をためこんでるという話だが……」(少年マガジン/オリジナル版『ゲゲゲの鬼太郎4』 講談社漫画文庫 58頁 ※空白筆者)
 畜生、騙されたのかとくやしがるねずみ男の台詞に──
「おれが失神までしてとらえたあのどぶがめは どんなに安く見つもっても 二千円ぐらいで売れるはずだ! かめの肉はいまが食いどきだからな」(同59頁 ※空白筆者)
 とある。
 わたしの心には、このどぶがめに関するくだりが印象深く残っていた。亀を食べるという話を現実の生活で聞いたことがなかったからだ。水木しげるの妖怪世界のおとぎ話かと思っていたが、どうも違うらしい。
 というのは、最近読んだ井伏鱒二の「備前牛窓」という文章に、亀の話が出て来たからだ。
「備前牛窓」は「広島風土記」という文集に入っているが、岡山の話である。
 井伏鱒二は気管支喘息に悩み、転地のため、岡山県の「西大寺の町から東南に当る、牛窓という海岸町」に滞在した。
 そこで菅田という内科医に気管支を診てもらう。この菅田は週に三日、沖に見える犬島の診療所へ連絡船で出張する。菅田の話によると、犬島は御影石の産地で、昔から石を掘り出したため、大きな穴ぼこがところどころに出来ている。深さ三十メートルほどの穴もあり、現在はそれに水がたまって池になっている。
 菅田さんはその池を一つ手に入れてコイとアヒルを飼っていたが、最近、コイもアヒルも同時に死んでしまった。
「どういうわけでしょうか。しかし、泥ガメだけは生きています。あれは強靱な生物ですね」と云った。(『晩春の旅・山の宿』講談社文芸文庫 140頁)
 そこで井伏鱒二が言うことには──
「カメの肉は、スッポンに似ているそうでございますね。食べてご覧になったらいかがでございます」と云うと、「食べられるんでしょうか」と云った。
 私が子供の頃は、田舎では夏になると行商人が、盤台を担いで泥ガメを売りに来た。「ええ、グシええ、グシええ」と高らかな調子で呼んでいた。注文する人があると、行商人はその人のうちの軒下で泥ガメを料理した。甲羅のなかから肉や内臓を取出した。卵は大きいのや小さいのが筋のようなもので繫がっている。
はらわたの中の卵巣なんか、ニワトリのとそっくりです。初めての人でも、卵なら食べられますでしょう」と云うと、はっきりと菅田さんは、つまらなそうな顔をした。(同 140-141頁)
 生憎、この菅田さんは肉食を厳禁している人だったのだ。
「ゲゲゲの鬼太郎」では「どぶがめ」、上の井伏の文章では「泥ガメ」となっているが、この違いは気にしなくても良いと思う。動物学的な用語ではなく、泥沼やどぶにいる亀の俗称で、次の文章と使い方は同じであろう。
 欄干てすりにつかまつて半身乗出して見ると、目の下の川波にゆられながら、大きな泥亀が悠々と泳ぎ廻つてゐた。(水上滝太郎『大阪の宿』岩波文庫 18頁)
 肝腎なのは、1898(明治31)年に生まれた井伏鱒二が子供の頃、スッポンでない亀を食べる食風が日本に存在したことである。
 井伏鱒二の田舎は広島県安那やすな郡加茂村、現在の福山市だ。一方、1922(大正11)年生まれの水木しげるは鳥取県境港市で幼少期を過ごした。福山市は瀬戸内海に近く、境港は日本海の港だが、いずれも中国地方である。
 してみると、水木しげるの漫画の背景には幼い頃の記憶があり、亀の行商人は境港にも来たのかも知れない。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)