南條 竹則
第29回 「陶然亭」中編
 青木正児の「陶然亭」は前後篇に分かれる。
 前篇に例の酒肴目録が出て来て、後篇は、いわばその解説となっている。それを読むと、作者がいかにこの目録に趣向を凝らしたか、酒飲みとしての経験と知識と願望と空想を一杯に詰め込んだかがわかる。
 さて、その内容だが、前(連載第29回前編)にも言ったようにとても全文は引用できないから、まずは大枠を俯瞰してみよう。
「陶然亭酒肴目録」は次の六つの大項目から成っている。
一 御銚子
二 御撮肴おつまみ
三 御嘗物なめもの
四 酢の物・和え物
五 御鍋物
六 御茶菓子
「御銚子」は白鷹、菊正宗など酒の銘柄を記す。置いてあるのはすべて清酒だ。ビールも焼酎もない。「酢の物・和え物」「御鍋物」「御茶菓子」は説明を省くとして、圧巻は二と三である。
 二の「御撮肴おつまみ」は、さらに以下の種類に分かれる。
炒物いりもの
焼物類
揚物類
しぐれ煮類
煮豆類
新案擬製菓子類
海川佳味
異国風味
炒物いりもの類」とは何かというと、あられ、炒豆、った乾果(胡桃など)、それに黄金海老(乾海老の雲丹炒)と胡椒炒雑魚ざこである。「焼物類」は焼海苔、焼鯣するめなど乾物を焼いたものと「豆腐田楽」「川魚田楽」「野菜田楽」だ。「揚物類」は鶏の唐揚げのような食べでのあるものではなく、あられ、豆、馬鈴薯、慈姑くわい、雑魚、鯣、昆布を揚げたものだ。
「新案擬製菓子類」八種は、陶然亭亭主自慢の発明で、「柚餅子ゆべし」「落雁」などの菓子に、酒の肴になるような工夫を施したものである。
「海川佳味」は唐墨からすみ鮒鮓ふなずし鷺不知さぎしらず*、燻製鮭。「異国風味」については、あとで述べたい。
 以上のつまみだけでも相当の種類にわたるが、これに独特の「御嘗物なめもの」が加わる。その内訳はこうだ。
○嘗味噌類
五香味噌(胡麻、麻実おのみ榧実かやのみ、山椒、生姜入)
三胡味噌(胡桃、胡麻、胡椒入)
鉄火味噌
柚子味噌
欵冬ふき味噌
山葵味噌
生姜味噌
各種焼味噌 以上各品 一皿 ○銭
魚肉麻実味噌
蟹肉柚子味噌
鶏肉山椒味噌
鶏臓とりもつ胡椒味噌 以上各品 一皿 ○○銭
○塩辛類
雲丹の塩辛
このわた
鮎のうるか
鮎の子うるか 以上各品 一皿 ○○銭
鰹の塩辛
烏賊の塩辛
あみの塩辛
鮭の鈴子すずこ**
鮭のいくら 以上各品 一皿 ○銭
○雲丹漬類
五味雲丹漬(海月、貝の柱、いくら、すけとの子、紫海苔漬けまぜ)
海月雲丹漬
数の子雲丹漬
鮑魚あわび雲丹漬
小海老雲丹漬 以上各品 一皿 ○○銭
 この目録には豆なら豆、味噌なら味噌の単品を並べたあとに、それらの盛り合わせが出ている。その命名が面白い。「那須の篠原」「豆棚閑話」「漁樵問答」「南京好み」等々──
 わけてもフルっているのは、「蟠桃会、一名八仙慶寿」という九種の炒物の盛り合わせだ。西王母の寿を祝う宴に、韓湘子以下の仙人たちが集まったという見立てである。
胡桃(西王母) 豌豆(韓湘子)
大豆(呂洞賓) 蚕豆(藍采和)
黒豆(鉄拐李) 落花生(張果老)
堅栗(曹国舅) 榧実(漢鍾離)
乾小丸甘藷かんころいも(何仙姑)
 目録の最後の方に「九転煉金丹」という一項がある。説明書きに曰く──
 各自お好みの肴を何なりと随意に取合せ、煉雑ねりまぜて召上れ。工夫を凝らして九転の金丹を得るに至れば酒仙になれること請合うけあいです。
 なるほど、この旗亭は、じつは煉丹の実験場だったのか。「支那浪人上がり」の亭主の正体は謫仙たくせん***だったのかもしれない。
*淡水魚オイカワのしぐれ煮。京都の名産品。
**筋子なり。
***流謫の仙人。
※文中の引用はすべて『華国風味』岩波文庫より。煩瑣を避けるため一々ページ数を記さない。


『酒と酒場の博物誌』(春陽堂書店)南條竹則・著
『銀座百点』(タウン誌)の人気連載「酒の博物誌」を書籍化!
酒の中に真理あり⁈ 古今東西親しまれてきたさまざまなお酒を飲みつくす著者による至高のエッセイ。
お酒を飲むも飲まざるも、読むとおなかがすく、何かじっくり飲みたくなる一書です!

この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)