南條 竹則
第31回前編 雁と鷭
 わたしなどが子供の頃、大学生というものはある程度人文的の教養があることを要求されたようで、大学生の癖にこんなことも知らない、あんな本も読めない、などという話をよく聞いた。
 ある小学校の先生は、鷗外の「雁」を「カリ」と読む学生がいるといって笑っていらした。しかし、これはチト理不尽な非難ではなかったかと思う。前後の脈絡もなく、ルビも振らずにただ「雁」と書かれたのでは、ガンだかカリだか知りようがない。わたしのように切手を集めた子供にとっては、「月にかり」という高価な切手が「見返り美人」と並んで憧れの的だったから、「カリ」という言葉に馴染みがあった。しかし、ガンという生物にはとんとえんがなかった。
 鷗外の「雁」は上野の不忍池しのばずいけ周辺を舞台とした話だから、この池に毎年がんが渡って来た昔の人は、読み出してすぐにガンだなと察したかもしれない。しかし、今の我々には小説を最後まで読まないと、どちらだかわからない。
 まったく、雁はこの作品を締めくくるエピソードに突如として出て来るのだから。
 前回申し上げた通り、語り手の「僕」は下宿の夕食に出た青魚さばを食うのがいやさに、隣室の岡田、すなわちこの作品の主人公を誘って散歩に出る。
 すると、不忍池のほとりで石原という知り合いに会う。石原は池にいる雁を狙っているのだ。あの鳥に石を投げてみろ、君が投げないなら、僕が投げると岡田に言う。岡田は雁を驚かして逃がしてやるつもりで、石を一つ投げた。ところが、それがたまたま一羽にあたって殺してしまった。
 三人はあたりが暗くなるのを待ち、死んだ雁を取って来て、石原の下宿で食う。調理法は書いていないが、たぶん鍋にしたのだろう。

 こうして、いともたやすく殺されてしまう鷗外の雁。それに対し、泉鏡花の「鷭狩ばんがり」という短篇では、渡り鳥の命をめぐって大立ち回りが繰り広げられる。
 この話の舞台は加賀の片山津。「名にしおふ此處ここの名所、三湖さんこの雄なる柴山潟しばやまがた」を見晴らす旅館である。稲田雪次郎という画家がここに泊まって、夜中にかわやへ下りて行くと、洗面所で白鷺のような美しい女中とバッタリ出会う。女中はおすみといい、夜更けに到着する馴染なじみ客を迎えるため、湯を使って身ごしらえしていたのだった。稲田はお澄を自分の部屋へ呼び、寝酒の酌をしてもらう。
 お澄によると、これから来る客は夜明け前に柴山潟しばやまがたで水鳥を撃つのだという。

「ああ、銃猟に──しぎかい、鴨かい。」
「はあ、鴫も鴨も居ますんですが、おもに鷭をお撃ちに成ります。──此の間おいでに成りました時などは、お二人で鷭が、一百いつそく二三十も取れましてね、猟袋れふぶくろに一杯、七つも持つてお帰りに成りましたんですよ。此のまだ陽のあがりません、霜のしらしらあけが一番よく取れますって、それで、いま時分おつきに成ります。」(『鏡花全集 第22巻』岩波書店 139頁)
 これを聞いた稲田は突然あらたまって、お澄に頼み事をする。彼は今年初めて上野の美術展覧会に入選した。その絵が「湖畔の霜の鷭」を描いたものだった。だから──
 鷭は一生を通じての私のために恩人なんです。生命いのちの親とも思ふ恩人です。其の大恩のある鷭の一類が、夫も妻も娘も悴も、貸座敷の亭主と幇間たいこもちの鉄砲をくらつて、一時いつときに、一百いつそく二三十づつ、袋へ七つも詰込まれるんでは遣切やりきれない。──深更よふけに無理を言つてお酌をしてもらふのさへ、間違つて居るところへ、こんな馬鹿な、無法な、没常識ぼつじやうしきな、お願ひと言つちやあないけれど、頼むから、後生だから、お澄さん、姐さんの力で、私が居る……此の朝だけ、その鷭撃ばんうちめさしては貰へないだらうか。(同141-142頁)
 そこでお澄は到着した客にこんな噓をつく。あなたが鷭撃ばんうちに行って怪我をした夢を三晩つづけて見ましたと。銃猟家は稲田と何かあったようにかんぐり、鉄の火箸でお澄を打ち据える。そうこうするうちに夜は明けて、その日の猟はやめになった。
 お澄は稲田の部屋へ来て、言う──
 身を切られるより、貴方の前で、お恥かしい事ですが、親兄弟を養ひますために、わたしはとうから、あの旦那の世話に成つて居りますんです。それも棄て、身も棄てて、死ぬほどの思ひをして、あなたのお言葉を貫きました。(中略)貴方、私に御褒美を下さいまし。(同150頁)
 御褒美とは小指だった。雪次郎は観念してお澄に食い切らせる。
 やがて、唇にふくまれた時は、かへつて稚児をさなごが乳を吸ふやうな思ひがしたが、あとの疼痛いたみは鋭かつた。
 かれ大夜具おほやぐを頭から引被ひつかぶつた。
「看病をいたしますよ。」
 お澄は、胸白く、下じめのほかに血が滲む。……繻子しゆすの帯がするすると鳴つた。(同151頁)
 わたしは昔、小岩の「楊州飯店」で冬場に宴会をした時、鷭のスープというものを二、三度食べたことがある。味はよく憶えていないが、随分脂ののっている印象だった。
 鷭は欧米でもジビエとして食べるから、西洋料理が好きな方は良く御存知だろう。そういえば、内田百閒の「餓鬼道がきどう肴蔬こうそ目録もくろく」に「ばん小鴨等の洋風料理」が出て来る。百鬼園先生の贅沢ぶりがこれでもわかる。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)