松井 久子
第8回 セクシュアリティがタブーな日本
「つがい」という言葉を辞書で引くと、「二つが組み合って対になること」「雄と雌のペア」「夫婦」などの意味がある。
 漢字で「番」と書くのは、「鳥の片方が餌を食べているとき、片方が番をするからだ」と言う人がいた。
 それを聞いて、夫と妻のどちらかが番をしたり、互いを見守り合って暮らす老齢になってからの夫婦はまさに「つがい」に相応しい、と改めて思った。若いときは夫婦それぞれに、思い切り自由に羽ばたき合っていいけれど。
 ところが、私の周囲を見回してみると、長年同じ屋根の下で暮らしてきた夫婦が、必ずしも守り合ったり、助け合ったりしているようには見えない、むしろあまり仲がいいとは言えないカップルがとても多いと感じる。
 結婚したときは、誰もが羨むほど愛し合っていた二人も、やがて父親と母親になり、互いを「パパ」「ママ」と呼び合ううち、夫は外で仕事に励み、妻は家事も子育ても自分の仕事もといくつもの役目をこなすうち、夫婦の会話もすっかりなくなって、気がついたときは夫にとっての妻が、妻にとっての夫が、他人のように遠い存在になっているのではないか?
 そんなことが日本の家庭では当たり前になっているような気がするのだ。
 あるアンケート調査によると、「あなたたち夫婦は、セックスレスか?」との問いに、「はい」と答えた人の割合は、男女平均で30代が47%、40代が59%、50代が71.3%という回答結果が出たという。
 その統計を見て暗澹あんたんたる気持ちになった。これでは日本の夫婦の大半がセックスなしで暮らしているということだ。
 夫婦にとって肉体的な睦み合いは、とても自然で、大切なことだと思うのに。
 しかも、30代夫婦の半数がセックスレスでも、離婚率はわずか約15%だそうである。
 つまり、肌触れ合うことがなくても家族のかたちは壊れない。それが「日本の夫婦のリアル」ということなのか。
 私が33歳で夫と別れたとき、離婚の理由はひとつだった。
 夫をもう愛していない、この先も愛せないだろう…と、それだけで離婚を決意した。夫に抱かれるのが嫌になったら、夫婦関係を続けることはできないと、生真面目に思い込んでいた私のような者には、50代のセックスレス夫婦が70%を超えるというのは、重大な問題と思える。
 家族や夫婦の「愛」というものに対する根底的な認識が崩れて、ただ呆然としてしまう。
 しかし、夫婦の間でそれほどまでスキンシップがおろそかにされるのには、何か理由があるはずだ。長いこと、その理由について考え続けてきた。
 2年前にはじめて書いた小説のテーマをセクシュアリティとしたのも、この日本社会に「固有の理由」に依っている。
 日本では、愛の問題とセックスの問題とがイコールとならず、完全に分離してしまっている、と長いこと感じていた。
 婚姻関係にある二人にとって、セックスの主たる目的は「生殖」だけなのか。
 これは欧米の人たちから見れば、奇異な、あり得ない考え方だろう。
 欧米では、二人の年齢にかかわらず、また結婚して何年経っても、夫と妻は「男と女」であり続けることが求められる。
 ベッドを共にできなくなったら離婚して、それぞれに新しい相手を求めるのは当たり前のことだ。
 私はそれを、生きものとして健全なことだと思ってきた。
 ところが結婚から長年が過ぎた日本の夫婦の場合は、多くの夫が、「妻以外の女性なら欲情する」などと平然と言い、妻は「夫に手を触れられるだけでもゾッとする」とあからさまに言っても、相手を傷つけているとは思わない。
 そして、それでも同じ屋根の下に暮らして、婚姻関係は平然と続けている。
 不倫をする女優やタレントが極度にバッシングを受けるのは、この国の男たちの身勝手な倫理観のゆえか? それとも夫に相手にされなくなった妻たちの怨念か? とさえ思ってしまう。
 ここで日本社会に「固有の理由」について、少し考えてみたい。
 セクシュアリティが特に女性にとってタブーになったのは、そんなに古いことではないはずだ。たぶん<明治維新>以降ではないか。
 たとえば平安時代に『源氏物語』があったように、また江戸時代には浮世絵や春画に見られるように、昔の日本社会は、特に庶民たちは、もっと性に関してのびやかで、男女は対等に愛し合っていたような気がする。
 明治の世になり、男性が主導する富国強兵の時代になって、女性は子を産み育てる「聖母」の役割を強いられるようになった。男たちによる堅固な家父長制社会が築き上げられ、女はずっと、慎ましく生きることを求められてきたのである。
 やがて、戦争が終わって高度経済成長の時代になると、AVや風俗といった男性本位の性産業が盛んになる。そして、東南アジアに買春出張旅行に行く日本のビジネスマンたちが、世界の顰蹙ひんしゅくを買う時代がやってきた。
 更にはいつの頃からか、日本の女たちはセクシャル・ハラスメントの被害者となっていき、暗いイメージのつきまとう性にまつわることがらを、忌み嫌うようになっていく。
 それが「この国は何かがおかしい」とずっと思ってきたことのひとつだった。
 たとえば私は、影山逸平と出会ったとき、「このひとに触れたい」と思った。
 彼はすでに88歳、私は75歳。どちらも立派に老人だったが、互いに性的な魅力を感じたから、ときめいたのである。
 それがなければわざわざ一緒に暮らす必要も、ましてや結婚をする必要もなかった。いわゆる「茶飲み友達」で十分だったろう。
 考えてみれば、「若くなければ女ではない」というのも、日本の男たちがつくり、女たちがそう思い込まされてきた迷信のようなものである。
「聖母信仰」の上に「年齢制限」までがつくようになって、女はある年齢になったらセックスまわりのことは卒業するのが「当たり前の上品」となってしまった。そしていつの間にか、女たちはついにセクシュアリティに関して、固く口をつぐむようになってしまった。
 それが日本の女たちの、哀しく、不幸な現実である。
 いま、結婚して愛し合う男女である私と逸平は、もちろん若い人たちと同じようなセックスができるわけではない。
 ここであえて細部を書くことは控えるが、肌と肌を触れ合うだけで、十分幅広いセクシャルな愛の営みはできるし、それが自然で平和な「つがいの暮らし」だと思っている。
 先日私のスマホに、名前も知らない男性からダイレクト・メッセージが届いた。
 70歳の女性を主人公にした私の小説デビュー作『疼くひと』を読んだという、彼曰く、
「……、これははっきり言えるのですが、70歳の女体を前に欲情にかられる男はまずいないでしょう。私の経験を踏まえてそう言えるのです。なぜか? ちょっと考えればすぐにわかることです。そこからして、この小説の設定はいかがなものでしょうか。話題作となって売れればいいというスタンスで書かれたものかもしれませんが、『この作者はこんなふうに自分をさらけ出して恥ずかしくないのだろうか』と気の毒にさえ思ってしまいます」というものだった。
 このような感想については出版したばかりの頃、その人ばかりでなく、私が長年の友と思っていた女性たちからも似たような批判を浴びて、ひどく傷ついた記憶がある。
 ところがなぜか、その小説がよく売れた。とても多くの人に読まれたのである。
 私と同じように幸福な恋愛の真っ只中にいる高齢の女性たちからも、たくさんの手紙が届いた。
「よく書いてくれた、ありがとう」と。
 そして、見知らぬ人からのメッセージにシュンとなって、それを逸平に見せると、私と出会う前からその作品を読んでいたという彼は、
「これは普通の読者の感想だよ。あの小説がこの人の言うようなものだったら、いわゆるポルノ小説か官能小説以上に売れることはなかっただろう。僕はあれを読んだとき、『人間の生と性の本質をよく描いている』と感心したんだ。それでポルノ小説以上の読者を獲得したんだと思う。だからあなたは、こんなことで傷つく必要は微塵もない」と言ったのである。
 咄嗟に「この人に会えてよかった」と思い、泣きそうになっていた。
 前なら一人では受け止められなかったことを、隣でともに生きる人が理解してくれている。「もう、ひとりで耐えなくていいんだ」と思い、しみじみ嬉しかったのである。。
 また、ジェンダー・ギャップ指数が146か国中125位(2023年)と、先進国とは思えないほどの下位に甘んじている現実についても、いま90歳になった逸平は言う。
「男と女が、ベッドの上で対等になったら、日本のジェンダー問題の大半は解決するだろうね」と。

第9回へつづく)

プロフィール

松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。