吉田 篤弘
第六話 スナイパー[其の二]
 それでカミクラは僕に手紙を書いてよこしたわけです。
 速達でした。「助けて欲しい」と。
 ええ、カミクラというのが彼の名で、最初は偽名かと思ったのですが、あとで調べてみたら、まったくの本名でした。
 そうですね──。
 手紙を受けとった時点で、権田さんにお伝えすべきだったかもしれません。しかし、この話をお伝えしたら、あなたは即刻、彼を拘束したでしょう?
 そうなると、僕が知りたかったことが永遠に分からないままになってしまう可能性がありました。
 僕が知りたかったのは、なぜ、彼は近いうちに自分が殺されると分かっていたのか、です。
 その理由が手紙には書いてありませんでした。
 彼はあえて書かなかったのです。僕がそこに食いつくであろうと読んでいたのでしょう。
 それに、警察にではなく、一介の探偵に過ぎない僕に助けを求めてきたのは、手紙には書けないそれなりの理由があるのだろうと、話を聞く前から察しはついていました。
 手紙に記してあった数式はかなり特異なもので、じつのところ僕は数字が苦手なので、仰太郎さんに教えを乞うたところ、
「なかなか高度なものですよ」
 と云いつつ、さっそく計算を始め、
「これが答えです」
 と素早く五桁の数字を叩き出しました。
 さて、その数字が意味するところは何か? 
 しばらく、その数字と格闘していたのですが、ふと思いついて、五つの数字をふたつに分解し、前の二桁を緯度、後の三桁を経度と見なしたところ、ふたつの交点は〈希望の塔〉を示していました。
 以前、とある事件の調査過程で、秘密裡に塔の内部に入ったことがありました。そのとき、塔の大きさに比べて内部の面積が狭く感じられたのです。もしかして、二重構造になっているのではないかと気づき、周囲の壁に体重をかけて力任せに押してみると、壁が割れて裏返り、その奥から塔の上階に通じる螺旋らせん階段が現れたのです。
 彼は塔の最上階で待っていました。
 僕は少なからず──いえ、非常にと云うべきでしょうか──非常に驚いたのですが、彼は──カミクラは、その容姿が僕にとてもよく似ていたのです。
 まずもって、背格好に近しいものがありました。眼帯こそしていませんでしたが、目鼻や口の造作も近しく、年齢も同じくらいでしょうか。挙句の果てには、声までもが似通っていたのです。
 なんだか、夢を見ている心地になり、自分の分身──もうひとりの自分と向き合っているような思いになりました。
 たまたま、彼は殺し屋になり、僕は探偵と呼ばれる者になったわけですが、あたかも一人の人間がふたつに分かれ、右と左に歩き出した結果を見せられたような気がしました。
 彼は云いました。元よりスナイパーは、
「誰かの命を守るために、誰かの命を奪う」
 という矛盾をはらんでいると。
 考えさせられました。
 あなたや僕の仕事も、ときに、そうした側面を持ち得るのではないかと。
 僕と彼は似ているのではなく、考えようによっては、まるで同じではないかと思ったのです。
 誰かの命を守るために、誰かの命を奪っている──。
 たとえばです。
 とある殺し屋が、Aという男の命を奪うように依頼されたとします。もし、あなたが捜査にあたって、その計画を摑んだら、あなたは間違いなくそれを阻止するでしょう。その結果、殺されるはずだったAの命が助かります。
 ところがです、その助かったAが、別の誰かの命を奪う計画をしていたら、どうでしょう?

 彼は殺し屋としての自分を省みて、「自分を許せない」と云いました。
 自分を葬りたい、自分で自分を撃つ──とそう云いました。
 しかし、自分を撃つことの難しさを思い知り、自分の次に腕のいい殺し屋に依頼したわけです。「カミクラという男を殺ってくれ」と。
 ところが、そこへ突然、娘さんが現れた。「一緒に暮らしたい」と。
 彼は「生きたい」とはっきり云いました。
 もしかして、彼の人生において初めてそう思ったのかもしれません。言葉に力強さがありました。
 逆に云えば、彼にはこれまで、「生きたい」と思う理由がなかったのでしょう。生まれて初めて生きる意味を知り、生きていく喜びを得たのです。
 僕は云いました。
「それなら、殺し屋への依頼を取り消せばいいのでは?」と。
「それが出来るなら、あんたを呼んだりはしないよ」
 彼は声を落としました。
 彼は自分を狙撃するスナイパーとは顔を合わさず、書面のやり取りだけで済ませました。さすがに標的が依頼者本人であると申し出るのは常軌を逸していると考えたからです。
 料金は前払いで、いつ実行するかは決めず、「キャンセルはないので、なるべく早々に殺ってほしい」と注文したそうです。
 しかし、そこへ娘さんが現れた。
「キャンセルはなし、なるべく急いでくれ、と注文してしまったんだから、いまさらね──」
 おかしなプライドがあったものです。
「では、どこかへ身を隠したらいいのでは?」と助言すると、
「一流のスナイパーは、どんな所に隠れていようと、必ず見つけ出す」とのこと。
 そんなところは、権田さん、あなたによく似ていませんか──。
 いえ、すみません、いまのは失言でした。
 ええ、そうです。あなたは一流の刑事さんであると、そう云いたかっただけです。

 さて、僕としては事情を知ってしまった以上、なんであれ彼を助けたいと思いました。理由はいくつかありますが、やはり、彼が自分と似ていたからでしょう。
 何かの拍子に別の道を進んでいたら、僕も彼のような末路を辿っていたかもしれません。
 とはいえ、殺し屋の──正確に云えば、殺し屋だった男の命を守りたいと思うのは、はたして正しいことかどうか。
 彼のような者を一般市民と同等に見てよいのか?
 しかし、そうした考えこそ、「誰かの命を守るために、誰かの命を奪う」ことになりかねません。
 この難しい命題を、「さぁ、どうだ」と突きつけられたのです。
 ひとつ、おかしなことがありました。
「早々に」と依頼したのに、その時点ですでに依頼から二週間が経っていたのです。カミクラが云うには、自分の場合、もし、「早々に」と注文されたら、三日以内に遂行していたとのこと。
 僕は決して一流の探偵ではありませんが、それでも、探し出したいスナイパーを見つけることぐらいは出来ます。ましてや、「腕がいい」と評判なら、その筋の連中に小金をつかませれば、かなり有力な情報を得られます。
 それで、辿り着いたんです。カミクラが依頼したスナイパーに。
 やはり、「百発百中」と評されていました。
 ここにまたもう一人、カミクラに似た男がいたわけです。
 僕が調査した限り、彼にはやはり家族がなく、世の中と折り合いがつかず、正統なスナイパーとして訓練を受けたにもかかわらず、裏の仕事に身を投じていました。
 まさに、カミクラが選ぶのにふさわしいスナイパーです。
 しかし、思いもよらない事態が待っていました。そのスナイパーはカミクラの依頼を受けた二日後に亡くなっていたんです。
 自死でした。遺書ものこされていて、
「自分はもうこれ以上、人の命を奪うことは出来ない」
 とありました。
 偶然にも、カミクラと同じようなことを考えていたわけです。
 いえ──。
 はたして、偶然であったかどうか。
 これはあくまで僕の推察ですが、そのスナイパーは自分が狙撃する対象者──すなわちカミクラについて、事前に調査したのでしょう。そして、知ってしまったのです。カミクラが優秀なスナイパーであったことを。
 さらに、じつはその対象者が依頼者でもあることをつきとめてしまったのかもしれません。
 彼は考えました。
 一人のスナイパーが自らを葬ろうとしている。それは自分のこれまでの罪を後悔してのことではないか──。
 それは自分も同じだ、と。
 僕は自分のそうした推察を交えてカミクラに報告しようと思いました。彼が勤めている薬局を訪ねたのですが、急な用事ができたらしく休んでいて、自宅の住所を教わって訪ねてみると、娘さんがいらっしゃって、
「父は昨日から家に帰っていない」
 とのこと。
 カミクラは一流のスナイパーでした。ですから、僕に頼らなくても、その気になれば、彼を狙い撃つ男の素性や居所を探し出すことも出来たはずです。
 というか、「早々に」殺られるはずだったのに、いつまでたっても銃弾が飛んでこないことに、カミクラとしても異変を感じたのでしょう。
 僕が探し当てたように、彼も見つけ出したのです。
 そして、なぜ、自分の依頼が実行されないのかを知りました。スナイパーが自らの罪を償うべく命を絶ったことを。
 衝撃を受けました。衝撃は衝動を促します。
 僕は走りました。〈希望の塔〉へです。最上階まで一気に駆け上りました。
 はたしてカミクラはそこにいて、あと一歩遅れていたら、彼の命を救えなかったかもしれません。
「こんなところから飛び降りたら──」
 僕は云いました。
「塔の中はがらんどうではなかったと街中に知れ渡ってしまいます」
 彼は僕の顔を見ていました。
「われわれだけの秘密にしておきませんか」
 僕がそう云うと、彼はかすかに笑ってうなずきました。
 ですからね、権田さん、あなたもこの秘密を秘密として保持してくださいませんか。いまの話は、すべて聞かなかったことにして欲しいんです。
 かつて殺し屋であった男が、自分を殺そうとしたものの、結局、成し遂げられなかった──。
 これは、そういう話です。

Collage Illustration──Atsuhiro Yoshida

「第七話」へつづく)
著者紹介
吉田 篤弘(よしだ・あつひろ)
作家。
1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を手がけている。著書に『奇妙な星のおかしな街で』(春陽堂書店)、『つむじ風食堂の夜』(筑摩書房)、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(暮しの手帖社)、『おやすみ、東京』(角川春樹事務所)、『月とコーヒー』(徳間書店)、『中庭のオレンジ』(中央公論新社)など多数。