第11回 室生犀星『青い猿』独特な片仮名

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は室生犀星『青い猿』を採りあげることにしたい(【図1】表紙)。【図2】は奥付であるが、昭和7(1932)年3月1日に発行されている。「著作者印」のところには、「犀/星」という朱の円形印がおされているが、「星」は象形文字的になっている。右側の三一八頁が「本文」の終わりであるが、なにやら「味のある」挿画が置かれている。図でわかるように、定価は1円90銭とある。『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』においては「値」は1円20銭となっており、一致しない。

【図1】

【図2】

「青い猿」は昭和6(1931)年6月から「都新聞」に73回にわたって連載されているが、新聞連載時に、恩地孝四郎が挿画をかいている。その挿画15枚がこの『青い猿』に入れられている。【図3】は1頁の大きさで挿画とは別に入れられている版画で、題簽、挿画、版画を恩地孝四郎が担当しており、装幀の面でも楽しむことができる。

【図3】

 筆者は平成28(2016)年11月に金沢の室生犀星記念館をおとずれたが、その時に、「装幀の美 恩地孝四郎と犀星の饗宴」(2009年、室生犀星記念館)という冊子を入手した。その13頁には「恩地孝四郎が新聞小説の挿画を手がけたのは、犀星の「青い猿」が初めてであった。経験のなかった恩地をあえて犀星が指名して実現したこのコンビは、その後も何度か紙面を飾った」とあり、「青い猿」の他に、「福岡日日新聞」に昭和10年7月16日から11月24日まで109回にわたって連載された「人間街」、「東京朝日新聞夕刊」に昭和10年8月23日から12月20日まで78回にわたって連載された「聖處女」、「中部日本新聞夕刊」に昭和19年1月20日から3月4日まで38回にわたって連載された「山吹」、「西日本新聞」に昭和23年6月1日から8月10日まで70回にわたって連載された「唇もさびしく」なども恩地孝四郎が挿画を担当していることがわかる。そして犀星は、昭和10年8月以降しばらくは、「人間街」「聖處女」二つの作品を新聞に連載していたことになる。
 さて、本文には次のようなくだりがある。本書はほとんどの漢字に振仮名が施されているが、多くを省いて引用する。
禮子はまジ\/〈※おどり字・くの字点―筆者註〉と松平を見て、目薬をさしたあとのやうな膨れた眼をして、更まつた言葉つきになつた。(十二頁)
それよりも松平にひびくのは秋川の気分がぴインと張つてゐて、その中で作品と格闘してゐるやうなところが彼に何かを教へた。(五十一頁)
次の休憩が来ると松平は此の善良な親友の痩た尻を、親指と人差指で少々痛いほどつネつて遣つた。(八十五頁)
松平はこゝまでいふと、苦イ顔をして笑つた。(九十五頁)
「まジ\/」はもちろん「マジマジ」を書いたものであろう。「まジ」に過誤がないのであれば、平仮名と片仮名との「交ぜ書き」ということになる。「ぴインと」はなぜ「イン」だけ片仮名で書くのだろうか? いろいろと疑問に思い、悩みは尽きない。
「胃アトニイ」(二十頁)、「カフエ」(二十五頁)、「クツシヨン」(三十五頁)、「カルチモン」(四十二頁)といったことばもでてくるが、外来語を片仮名で書くことは一般的といってよい。外来語以外に、次のような場合に片仮名が使われている。
松平は書斎にもどると、ひさ・・の顔が昨日とはまるでちがつたシツカリした、ふや・・けたところのない緊張したもので一杯になつてゐるのを愉快に思うた。(四十八頁)
劉子は時々松平の方に向いて悪戯者いたづらもののやうに笑つて見せ、すぐまた故意にキチンとした澄ました顔付に返つて踊つてゐた。(八十二頁)
それに君は弱くてその弱さがキラキラしてゐるやうな女が好きなんだね。(九十二頁)
秋川は階段を下りながらシミジミした低いこゑで云つた。(九十九頁)
『古今和歌集』の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」は〈目にははっきりとは見えないけれども〉だが、文字は目ではっきりとらえることができる。現代日本語では平仮名と片仮名とを使っており、それぞれ別の文字セットである。だから一語を平仮名と片仮名を使って「ひまワリ」や「ヒまワり」と書くことはない。別の文字セットであることはいわば「いうまでもないこと」だろう。しかし、現代日本語で片仮名として使っている文字はずっとそうであったわけではない。「ハ」はかつて平仮名としても片仮名としても使われていた。しかし現在は片仮名として使っているから、過去の文献の「ハ」を片仮名と認識したくなる。認識しやすい。そういうこともあるのだと思っておく必要がある。
 犀星の片仮名の使い方にはだいたいの「傾向」はありそうだ。しかし、「ぴインと」はなんとなく片仮名で書きたくなったというようなことかもしれない、と思う。「なんとなく」には「音」がかかわっているようにも思うが、やはり「なんとなく」はどこまでいっても「なんとなく」だ。そしてまた、犀星が原稿にそう書いたものが、新聞でもそのように印刷され、それが単行本でも受け継がれているというものも含まれているのではないかと想像する。味があると思うのもよし、変わった書き方だなと思うのもよし。本として美しくしあがっている『青い猿』を楽しめばよいと思う。

(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

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この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。