南條 竹則
第20回後編  吾輩の猫話──その二、トチメンボー
 前回お話しした「蛇飯」と同様、奇天烈きてれつなる迷亭のエピソードに「トチメンボー」の一件がある。
 金縁きんぶち眼鏡めがねの美学者・迷亭氏は、ある日新体詩人の越智東風を連れて西洋料理屋へ行き、何か変わったものを食おうじゃないかといって、「トチメンボー」を注文する。
「ボイがメンチボー、、、、、ですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目なかおメンチボー、、、、、じゃないトチメンボー、、、、、、だと訂正されました」
「なある。そのトチメンボー、、、、、、という料理は一体あるんですか」
「さあ私も少し可笑おかしいとは思いましたが如何にも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボー、、、、、、トチメンボー、、、、、、だとボイに教えてやりました」(新潮文庫版49-50頁)
 すると、ボイは良い加減な受け答えをして、ますます迷亭の術中に嵌まってゆく。しまいに「材料は何を使うかね」と問われて困っていると、
「材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえ左様で、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことに御気の毒様と云いましたよ」(同51頁)
「日本派の俳人」というのは、漱石と同時代の俳人・安藤錬三郎のことで、号を「橡面坊とちめんぼう」といった。迷亭はそれを謎のカタカナ語にしたのだった。
 このトチメンボーという言葉を、わたしはずっとオタンコナスやアンポンタンの親戚かと思っていた。子供の頃読んだ漫画に使われていた記憶がある。『猫』の影響で、新語としてかなり定着したように思うが、近頃はあまり聞かなくなった。
 迷亭のことでもう一つ忘れられないのは、彼が苦沙弥夫人に講釈しながら蕎麦を食う場面である。
饂飩うどん馬子まごが食うもんだ。蕎麦の味を解しない人程気の毒な事はない」と云いながら杉箸をむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにも色々流儀がありますがね。初心の者に限って、無暗むやみツユ、、を着けて、そうして口の内でくちゃくちゃっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃せいぞろいをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、だ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂すだれの上に纏綿てんめんしている。(同229-230頁)
 どうもこの食べ方は蕎麦通らしくない。蕎麦を一度にたくさんしゃくい上げすぎている。
「この長い奴へツユ、、を三ぶんの一つけて、一口に飲んでしまうんだね。嚙んじゃいけない。嚙んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉のどを滑り込むところがねうちだよ」と思い切って箸を高く上げると蕎麦は漸くの事で地を離れた。左手ゆんでに受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先から段々にひたすと、アーキミジスの理論にって、蕎麦の浸った分量だけツユ、、かさが増してくる。ところが茶碗の中には元からツユ、、が八分目這入はいっているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分しはんぶんも浸らない先に茶碗はツユ、、で一杯になってしまった。(中略)迷亭もここに至って少し蹰躇ちゅうちょの体であったが、忽ち脱兎だっとの勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛が一二度上下へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙の様なものが一二滴眼尻から頰へ流れ出した。山葵が利いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。(同230頁)
「吾輩」の写生文の中でも、このくだりは秀逸だ。まるで目の前に見るようではないか。苦しそうだが美味そうなのが何とも不思議である。
 ところで、迷亭の台詞に出て来る「行徳ぎょうとくまないた」という言葉が、今回『猫』を読み返して初めて気になった。
 迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳ぎょうとくまないたと云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。(同67頁)
 今わたしの手元にある新潮文庫の注によると、行徳の俎は馬鹿でれているという洒落だそうだ。千葉県の行徳や浦安にはかつては豊かな砂浜があり、馬鹿貝(青柳)の産地だった。わたしは貝を掘ったことはないが、行徳橋の下でダボハゼを釣った思い出がある。入れ食いで面白いように釣れた。隣のおじさんはかれいを釣っていた。
 だが、この一帯も埋め立てられてしまい、その結果は飲食の世界に歴然としている。昔の東京の鮨屋には帆立貝はめったになく、貝柱といえば青柳の小柱だった。これを汁蕎麦に入れる「あられ蕎麦」という料理もあった。今は「あられ蕎麦」など、夢の夢だ。どこか遠い産地から取り寄せる青柳の小柱は高級品である。
 東京湾の自然破壊はかくの如し。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)