四姉妹おなじのに囲まれている
高校のときに向田邦子のNHKドラマシリーズ「阿修羅のごとく」を何度も何度も繰り返し観ていた。なにかの愛にかんするひみつがここにはあるような気がして。
つい先日、再放送があった。
爆笑問題の太田光さんは、このドラマには、あらゆる関係が描かれているという。母と娘、父と子、夫と妻、男と女、大人と子ども、姉と妹、既婚者と独身者、男と男、女と女。
ねえ。ひとつ、でいいのよ。
と、あるとき、わたしに言ったひとがいた。
ひとつで、いい。
わたしはくりかえした。
ひとつでいい。
ひとはひとつでいいのに、さらに愛を重ねていくことがある。愛してるのに、愛されてるのに、もうひとつ愛をふやしていくことがある。関係をふやしていく。なんでだろう。愛には修羅があり、阿修羅のように多様な面をもっていく。
阿修羅の顔はなんでみっつもあったんだろう。チェーホフの『三姉妹』はなんで三姉妹だったんだろう。谷崎潤一郎の『細雪』はなんで四姉妹だったんだろう。
『阿修羅のごとく』では、四姉妹が、おなじような家で、おなじような顔をして、ちがう愛を生きていく。おもいがけない愛のかたちに出会い、それぞれにちがう愛の反応をみせてゆく。
それでもここを生き抜けるしかないのかね、とわたしはおもう。今、観直して。あの頃の十代のじぶんと向田邦子にむけて。問いかける。ぬけられるのかわかんないけれど。みわたすとおんなじ顔にかこまれて。