スポーツ文化評論家 玉木正之

日大アメフト部の悪質タックル問題から角界の貴乃花親方引退まで、相次ぐスポーツ界の問題はスポーツに対する「無知」が原因!?
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家・玉木正之さんが、文化としてのスポーツの誕生と、その魅力を解き明かします。


バスケットボールは、
なぜボールを持って3歩以上歩いてはいけないのか?
 サッカー、ラグビー、ホッケーなど、フットボールの仲間の球戯は、すべて古代メソポタミアの太陽の奪い合いから始まった──ということを前回まで書いてきた。そのメソポタミアから西へ伝わった「球戯文化」は、もちろん東にも伝わり、中国で「毬門(きゅうもん)」というホッケーとサッカーを組み合わせた遊びになったり、陶器で作った丸いモノを地面に転がせて、大地に太陽の恵みを与える遊びになったりしたようだ。
 それが飛鳥時代の日本にも伝わり、「打毬(ちょうきゅう・うちまり)」と呼ばれるフィールド・ホッケーとサッカーを合わせたような遊びになったという説もある。高松塚古墳の西壁北側に描かれた女子群像には、ホッケーのスティックのような先の湾曲した棒を持っている飛鳥美人が描かれている。それは、以前は仏教儀式に使う「如意(にょい)」と呼ばれる棒とされていたが、1975年に万葉集研究家の森本治吉が「球技で球を打つ棒」との新説を発表。この球技が、まさに日本にも伝わったユーラシア大陸のすべてを覆うフットボール文化の東端だとも考えられる(松浪健四郎『古代宗教とスポーツ文化』ベースボールマガジン社)。
 そして日本書紀には、中臣鎌子(なかとみのかまこ)、のちの藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が、「打毬」に興じるさなかに沓(くつ)を脱ぎ飛ばした中大兄皇子(なかのおうえのおうじ)と、その沓を拾って近づいたことをきっかけに懇意になり、のちに「蘇我入鹿(そがのいるか)を伐つ(乙巳の変)」の相談へとつながったことが記されている(これを「蹴鞠=けまり」と解説した書籍も多いが、今日我々が想像する蹴鞠は、もともと平安時代に大流行して『源氏物語』の「若菜」にも書かれている蹴鞠が発展したもの。革袋のなかに糠(ぬか)や毛髪を入れ、真ん中を少し縛って瓢簞(ひょうたん)型にした球を空中に蹴って遊んでいたようだ。その「蹴鞠」は、平安初期に中国大陸から日本に伝わったものであり、飛鳥時代の「打毬(くゆるまり)」とは別物らしい)。
 「打毬」は、「毬打(ぎっちょう)」として、日本で発展していった。平安時代の終わり、南都・興福寺の僧たちが、丸い毬を平清盛の坊主頭に見立てて、「やれ打て、それ踏め」と遊んでいた。そのことが清盛の耳に入り、興福寺や東大寺などが平家によって焼き討ちにされたと、『平家物語』に書かれている。
 棒で毬や輪を転がす「毬打」は、大正時代の頃まで、子供たちの正月の遊びとして残っていたともいわれている。そのとき棒を左手で持ったことから、「左ぎっちょ」という言葉が生まれたという説もある。
 メソポタミアから西に伝わったフットボール文化は、大西洋を渡ってアメリカ大陸にも伝わった。が、南北戦争(1861~1865)のあと、アメリカ独自の文化を求めたアメリカ人たちは、ヨーロッパ生まれのサッカーやラグビーを行うのではなく、アメリカ独自のボールゲームを創ろうとした。そして、1876年、ハーバード大学やコロンビア大学など東部アイヴィ・リーグの大学が中心となって、アメリカン・フットボールという独自の球戯のルールを創り出したのだった。
 また1891年には、マサチューセッツ州の国際YMCAトレーニングスクールの体育教師だったジェイムズ・ネイスミスが、寒さが厳しく雪も多い冬でも、体育館のなかで行えるフットボールを考案する。ゴールは桃やサクランボの収穫時に使った籠を壁に吊し、狭い室内ではボールを手で扱うことにした。
 が、オフサイドのルールをどうするか? ということが、大問題となった。
 前回で書いたように、オフサイドは「こそ泥(スニーク)」と軽蔑される卑怯な行為。とはいえ、相手より前に出てパスを受けることができなければ、狭い体育館ではプレイが続かない。およそ1年間、悩みに悩んだネイスミスは、ある日、とつぜん閃いた!
「オフサイドをOKすることにしよう! その代わり、ボールを持った選手は、3歩以上動いてはいけないことにしよう!」
 こうしてバスケットボールには、かつてはキャリングと呼ばれた、トラヴェリングという反則ルールが生まれたのだった。
 つまり、バスケットボールの3歩ルールは、ユーラシア大陸のフットボール・オフサイド文化を、アメリカという新大陸の文化が作り替えた(リメイクした)ところから生まれたのだ(バスケの指導者、選手、ファンの皆さん、ご存じでしたか?)。
※2019年3月25日 修正


『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店) 玉木正之(著)
本のサイズ:四六判/並製
発行日:2020/2/28
ISBN:978-4-394-99001-7
価格:1,650 円(税込)

この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com