【第38回】


未知の雲との遭遇
 暦の上では秋だが、気分と気温はまだ夏という8月終わりの夕方、ふと空を見上げると、これまで見たことがないような雲が空を覆っている。あわてて家に戻り、スマホのカメラに収める。写真を見てもらえれば一目瞭然だが、なんというか円盤みたいな雲である。これほどみごとな円形が空に浮かぶことは珍しいのではないか。
 UFOの来襲と異星人のコンタクトを描いたスピルバーグの映画『未知との遭遇』(1977年)のラスト、デビルズタワーの頂上でUFOの巨大な母船が頭上を覆う。この日の雲は、あのシーンを想起させた。頭の中で「レミドドソ」の音階が鳴った。
 さっそく「円盤状の雲」とネット検索してみたら、多くの画像やサイトに接触できたが、どれも少し、私が見た「円盤状の雲」とは違うようだ。まあいいや。大気が描いた芸術ということにしておこう。石川啄木に『雲は天才である』というタイトルの小説があるけれども、本当にその通りだ。(編集部注/「フカヒレ 雲」の検索で同様の画像あり)


46分の傑作
 よく言われることだが、映画の上映時間が長くなる傾向にある。かつては『風と共に去りぬ』『ベンハー』など3時間を超える大作もあったが、おおむね2時間以内で抑えられていた。邦画は2本立て公開が基本だったから、1時間半ぐらいがベストであった。このところ、洋画で2時間半ぐらいが普通になってくると、やっぱり途中で何度か時計を見ることになる。そんなことありませんか?
「東宝」が昭和30年代前半に、「ダイヤモンド・シリーズ」と称して、1時間以内の文芸映画を制作していた。その1本、『鬼火』(千葉泰樹やすき監督/1956年)が強烈で忘れられない。もちろん名画座で観たのだ。いま調べたら46分の作品で、CMを除いた1時間もののテレビドラマくらいの長さ。しかし、印象はどっしりと重く、短いとは思わなかった。原作は吉屋信子、脚本は菊島隆三、音楽は伊福部いふくべあきらだから小品といえど一流ぞろい。
 ガス集金人(加東大介)が主人公。腕がいいらしく、集金の成績が悪い(支払わない家が多い)下町に派遣されてきた。真夏である。土手の上でアイスキャンデー(販売人は佐田豊)を食べ、ごみごみした低層の住宅街へ下りていく。背後にガスタンクが映り、のち「江東生活相談所」の看板が登場するから、江東区北砂あたりと見て間違いないだろう。
 忠七(加東大介)は独身で、タバコも酒もやるが生真面目な性格らしい。払いの悪い家にボヤキつつ忠勤に励む。途中、ガスの集金仲間(堺佐千夫)とばったり出会う。やっぱり集金が難しいことが話題になり、仲間が言うには、払えない家では代わりに「いただいちゃう」(肉体関係を結ぶ)という。女中あり、未亡人あり、いい思いをしている。このあたり、妙にリアリティもあるし、のちの事件の伏線ともなっている。
 忠七はそんな「いい思い」をしたことがなく、そそられてちょっとその気になる。そんな時、ずいぶん支払いが溜まった家を訪れる。家といっても畑の中のあばら家で、肺を病み寝たきりの亭主を看病している妻と2人暮らし。この妻が津島恵子でぞくぞくするほどいい女である。さっきの仲間の「いい思い」が頭をよぎる。亭主の薬を煎じるのにガスを止められると困るという美しい人妻に、忠七はある相談を持ち掛ける。仕方なく首を縦にふる女。
 夜になったら自分の下宿を訪ねてこいと住所と電車賃まで渡して帰る忠七。心は高まり、うきうきと帰宅し、さっそく銭湯できれいに全身を清めるのだが、その間にも頭には今夜の楽しみが映像となって流れる(このあたり落語の「たらちね」っぽい)。銭湯の帰り、上寿司を注文し帰宅したが……。
 ああっと、時間が来てしまいました。この先どうなるか知りたい人はDVDを借りるなり、名画座をチェックするなりして、ごらんあれ。


よしそば」がまずいなら、食べる立ち食いそばはないよ
 この半年、コロナ禍の影響でほとんど家にいる。起きている時間の9割はホームステイか。だから、たまに外で用事ができると、いそいそと支度をして転がるようにして玄関を出る。かわいいもんじゃないですか。
 この日は「赤旗」の隔月連載「オカタケの文学館へ行こう!」第10回目として台東区「一葉記念館」へ取材に出かける。くわしくは「赤旗」に書いたからここでは控えますが、非常にレベルの高い、気持ちのよい文学館でした。
 鉄道の最寄り駅は日比谷線「三ノ輪みのわ」駅か。それでも文学館まで10分は歩く。一番近くまで行くのが台東区コミュニティバス「めぐりん」で、これは一葉記念館入口という停車場がある。浅草からも来られるようだが、私は鶯谷駅前から乗車。そのために中央線、山手線と乗り継いでアクセスしていく。乗り換えたのが「神田」駅で、ちょうど昼前。たしか、構内に立ち食いそば屋があったはずと、改札近くまで歩いたが見当たらず、すぐ目の前に「吉そば」の看板が見えたので途中下車する。「『吉そば』なら間違いない」と思ったからだ。
 都内14店を展開する立ち食いのチェーン店。私は過去に渋谷と代々木で食べたことがある。ほか、銀座、赤坂、日本橋、高田馬場とけっこういい場所で展開している。代々木駅前店で食べた時は、「大盛り無料」とあって、それは後で気づいたのだが、知っていても「大盛り」は遠慮したいと思っていた。

「吉そば」神田店は南口改札を西に出たら目のまえ。大きな看板が目につくのですぐわかる。店頭の券売機で「天ぷらそば」440円(やや高い)を買って中へ入る。通りが鋭角に交わった先端にあるため、やや変形の店舗。厨房には1名の店員。食券を渡したらすぐ出てきた。容易に気づく特徴は汁に透明感のあること。初見の大阪人をたじろがせるには十分な「真っ黒」くろすけ系から比べると、明らかに色が薄い。赤みを帯びた茶か。

 つまりかつおと昆布から取った出汁がメインで、そこに薄口の醤油が加わっているとみていいだろう(間違っていたらごめんなさい)。これが非常にうまい。麵は細めで生麵っぽいが、あとで調べたらゆで麵だという。しこしこしておいしい。天ぷらは作り置きだが、カラッと揚げたタイプで、汁に沈めるとうまく麵とからんでいく。私はこれなら4点はつけられる(5点満点)と思ったが、あとで検索してみたらけっこう「まずい」という悪口があちこちに蔓延している。そうだろうか。このレベルが「まずい」なら、立ち食いなんか食わなきゃいいのに。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
《『Web新小説』開催イベントのお知らせ》
岡崎武志さんと行く 春爛漫の早稲田界隈~漱石&春樹散歩
新型コロナウイルス感染拡大の影響から、4月11日開催予定のイベントの開催を延期しておりましたが、感染拡大に収束が見られない昨今の状況に鑑み、やむなく中止とさせていただきました。
チケットをご購入いただきましたお客様、開催を楽しみにお待ちくださいましたお客様には深くお詫び申し上げます。
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『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。