【第39回】


自転車に乗って
 ユーチューブで古い日本映画が観られることはわかっていた。いろいろ視聴するうち、関連動画がアップされ、おやおやこんなものまでと思われるマイナーな作品まで手が届くようになった。ありがたいことです。
 最近になって観た一本が山本薩夫さつお監督『暴力の街』(1958年)。東宝争議の産物で、大映が配給したが、製作は「ペン偽らず共同製作委員会」という複雑な成り立ちによる。この後、レッドパージがあり、独立プロを生む機運となるのだが、ここでは省略。要点のみを叙述していく。
 戦後の埼玉県本庄市で起きた騒動「本庄事件」を元にした作品で、映画では「東条市」。これを報道した朝日新聞は「大東新聞」と名を変えて撮影。戦後まもない地方都市で、物資統制下によりヤミがはびこりそこに巣食う悪が暗躍する。暴力団を手先に警察や検察とも癒着する街のボスが大西(三島雅夫、好演)。
 ピストルや暴力で市民を脅す悪行が蔓延し、それを告発した大東新聞支局(といっても個人の家)の若き記者は大西に脅される。この記者(原保美やすみ)は浦和支局に助けを求め、志村たかし率いる新聞記者たちが東条市に乗り込み、旅館をねぐらに大西一派と徹底抗戦する。結果、若者や市民が立ち上がり、街は粛清されるという話だ。
 狙われている北記者は浦和にとどまり、代わって先乗りで単身東条市に赴くのが川崎記者(池部いけべりょう)。街で取材を始めた川崎を煙たがる暴力団がつけ狙い、取り囲んで脅すシーンがある。街をよくしたいと集まった青年団の一人、春枝(岸旗江はたえ)がそれを目撃し、大声を挙げて人を集める。春枝は自転車に乗っていて、川崎を後ろの荷台に座らせ窮地を脱するのだ。岸旗江は東宝第1回ニューフェイスで入社。同期に三船敏郎、若山セツ子がいる。東宝争議で退社し、以後独立プロを中心に仕事を続ける骨のある女優だ。つまり、役柄にぴったり。
 ここで注目したのが池部良と自転車だ。今井正監督『青い山脈』(1949年)で、池部良始め、若者が颯爽と自転車でサイクリングするシーンがあった。若い女性が自転車に乗る。現在では何でもないことだが、古い因習が残る戦後間もない時代には画期的なことだったのだ。映画と原作の『青い山脈』を論じた関川夏央なつお『新潮文庫 20世紀の100冊』(新潮新書)によれば、これは「戦後的自由そのものの体現だった」。
 若い女性と自転車で忘れてならないのは、日本国中の観客の紅涙をしぼりきった木下恵介監督『二十四の瞳』(1954年)。昭和初年から戦後すぐまでを時制とするが、その冒頭。22歳の大石先生(高峰秀子)が、新米教師として小豆島の村の分教場へ赴任する。家から学校までは遠く、自転車に乗って通勤するのだが、その姿が「女だてらに」と村人たちから非難されるのだ。「戦後的自由そのものの体現だった」自転車に乗る女性が、戦前にはまだ奇観として映ったようだ。
 ところで自転車の価格である。世にはびこりつつある「電動機付き」は除外して、一般のシティサイクル(いわゆるママチャリを含む)は安くなった。特売で1万円を切るものもある。こうなると扱いも軽んじられて、草むらや駐輪場で乗り捨てられてさび付いたのをよく見かける。値段が高い時代は、もっと大切に扱ったものだ。「北の国から」で、父親の五郎がゴミ捨て場にあった子ども用自転車を拾ってきて修理し、息子の純に与えるが、あとで持ち主が現れて騒動になるという切ない回があった。阿部あきらの小説に同じエピソードがあり、おそらく倉本聰はそれを引用したはず。


昭和12年の個人の古アルバムを持って秋田県湯沢へ
 4日間連続、JR東日本管内を新幹線含め乗り放題という夢のような切符「大人の休日倶楽部パス」の使い道として、これほど適宜なことはないという旅をしてきた。往復10時間以上で、目的地滞在はわずか2時間。まともに切符を買えば3万円以上の出費となるが、4日間乗って1万5000円強だから痛くもかゆくもない。

 ことの起こりは(というほど大げさな話ではない)、古本市で古い個人のアルバムを買ったことにある。縦15×横21センチの布張り表紙の市販アルバムで黒い台紙が24枚。ここに3×4センチ角の小さなモノクロ写真がびっしり貼ってあった。指2本で隠れるぐらいでいやに小さなサイズだが、おそらく自分で現像したのだろう。大きな印画紙にすると高かった。50年ぐらい前まで、名刺~手札~キャビネ判という呼び方があったかと思うが、それよりなお小さい。私は個人のアルバムを10冊以上、同様に古本市で買って所有しているが、ポイントは人物より風景、とくに都市が写っていること。駅舎やモダン建築があると申し分ない。
 このアルバムには巻頭近くに「秋田駅」(白鉛筆で書き込みあり)があった。その他の書き込みにより、最初からしばらくのページは昭和12年の6月27日から28日にかけて、山脇、須田、飯塚の男3名が旅行した際の写真と分る。このことが、この見知らぬ個人が所有したアルバムの正体を知る手がかりとなるのだ。男たち(撮影者以外の)は背広にネクタイ姿で頭に帽子をかぶっている。現在、こんな堅苦しい服装で旅行する人はいないが、昔はこうだったのである。
 あとは、次々とページをめくり、アルバムの所有者がいかなる人か、手がかりを求めていく。家族らしき写真がある。庭で花を手入れする和服の娘、石灯篭に上る上半身裸の子どもたち、出征兵士の見送り、小学校の校庭でラジオ体操、弓道場、七夕まつりとそのための笹の切り出し、灯篭、なまはげ、大名行列の祭り、肩脱ぎした力士などなど。ここで「七夕」「大名行列」の祭りはかなりのヒントでどの地域か特定できそう。決定的だったのは、神輿を引っ張るねじり鉢巻きの男性が着る法被に「湯沢柳町」と見えたこと。これでアルバム所有者が秋田県湯沢の人と判明した。それから、いつか湯沢を訪ねようとずっと思っていた。

 そして時が来て、この秋、行ってまいりました。
 秋田新幹線で「大曲」下車。奥羽本線へ乗り換えて40分ほどで「湯沢」へ。途中、簡素な無人駅が多いなか、ここは立派な駅舎でした。改札を出てまず観光案内所へ。何か手がかりがないかと入ったら、観光ガイドを務める年配の男性がいて「あのう……」と切り出し、アルバムを見せた。「うおう!」と歓声が挙がり、食いつくように写真を見てたちどころに幾つか疑問を解決してもらえた。たとえばアルバムに記された3名の名前は、この地に今も同じ姓を名乗る人が多くいる有力な家の人。力士は「照国てるくにです。湯沢の出身の横綱で、菅首相と同じ村の出ですよ」と興奮のうち、不明写真の謎解きがされていった。

 このアルバムについて知るのに、一番いい人にいきなり出会ったわけだ。「どうぞ、しばらく自由に見てください。複写してもらってもかまいません」とアルバムを預けて、観光地図をもらい、レンタサイクルで町を散策することにした。あちこちに「祝 菅首相就任」の幟が立っていたが、街は寂れてひっそり静まり返っている。駅から延びるメインの商店街もほとんど店はシャッターを閉じていた。立ち食いソバ、チェーンカフェ、牛丼屋、コンビニなどいっさいない。
「両関酒造」という立派な建物の酒蔵を見て、川に沿って湯沢城址のある高台へゆっくり自転車を走らせる。時代劇に出てくるような武家屋敷が続く一帯があり、江戸時代をそのまま残す風情であった。途中、古い明治期の木造洋館を見つける。「秋田県指定文化財」とあり、「旧雄勝郡議事堂」が保存公開されているらしい。この建物によく似た木造洋館は、あの古いアルバムの中にもあった。湯沢は明治期に繁栄した町だったことがわかる。かのイザベラ・バードもこの地を踏んで印象を書き留めている。100年の時をタイムスリップしたような感慨があった。
 1時間ほど散策するとお腹が減ってきたが、飲食店がまったくと言っていいほど見当たらない。駅近くまで戻ってきて、ひょいと路地の奥を覗くと「長寿軒」という看板が見えた。
 通りには人影もなかったのに、ここはほぼ満席。テーブル席とカウンターがあり、カウンターの奥が厨房。息の合った3名の女性が忙しく立ち働いている。私はネット情報で調べたりしないので、入店して初めて知ったのだがメニューは「ラーメン」だけ。それも1種類。プラス「大」があるのみ。チャーハンもギョウザも野菜炒めもマーボドーフも、とにかくほかは一切ない。できたのを見ると、スープがもう少しでこぼれそうなほど鉢を浸し、メンマ、チャーシューのほか「麩」が入っている。これがうまかったんですね。
 ハフハフと忙しく麵を口に運び、スープをすする。スープは3分の1ぐらいしか飲めなかった。水筒に入れて持ち帰りたいぐらい美味であった。書きながらも「味」がよみがえる。申し訳ないことに「湯沢」の印象は、この黄金ラーメンに集約されてしまった。
 東京へ戻ってすぐ、近所に住む知人の画家・牧野伊三夫さんの家で開かれた少人数の宴に招かれた際、この古いアルバムと探訪譚をぶら下げて行った。「秋田県湯沢」と告げて、「えええ!」と牧野夫妻が感嘆の声を挙げた。じつは牧野夫人のさやかさんが、この湯沢の出身者だったのである。「長寿軒」の話をすると、グルメの牧野さんはもちろんチェック済み。さやかさんも「うちの父が好きで通ってました」と言う。
 機縁は続くよ、どこまでも。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
《『Web新小説』開催イベントのお知らせ》
岡崎武志さんと行く 春爛漫の早稲田界隈~漱石&春樹散歩
新型コロナウイルス感染拡大の影響から、4月11日開催予定のイベントの開催を延期しておりましたが、感染拡大に収束が見られない昨今の状況に鑑み、やむなく中止とさせていただきました。
チケットをご購入いただきましたお客様、開催を楽しみにお待ちくださいましたお客様には深くお詫び申し上げます。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。