【第41回】


西脇順三郎の詩に見える日本人の習慣
 西脇順三郎じゅんざぶろうの詩集(村野四郎編『西脇順三郎詩集』(新潮文庫)をベッド脇の本立てに常備して、眠る前に開くのがこのところの習慣だ。パッと開いたページの、それも断片を拾い読むようなやり方で。気ままに読むのがいい。
 これは、と思ったところにはガシガシと線を引くのだが、「旅人かえらず」の「二七」にこんな一節がある。
「耳に銀貨をはさみ/耳にまた吸いかけのバットをはさむ」
「バット」とは、現在でも市販されているロングセラーのタバコの銘柄「ゴールデンバット」のこと。ここを読んで「いたなあ、そういう人」と懐かしく思い出された。いつ頃までだろう、少なくとも私が子どもだった頃、大人のおじさんで、耳の穴に100円玉を挟み、あるいは耳の上にタバコを挟む(引っかける、と言った方がいいか)人がいたのである。今は絶滅した……と思って検索したら、沖縄で現在でもそのような習慣があるという報告がアップされていた。
 ここに線を引いたのは、何年か前、映画『座頭市と用心棒』をテレビで観た時、三船敏郎(用心棒)が、やはり耳の穴に銅貨(?)を入れていたからだ。その光景が西脇の詩と重なった。面白いなあと思ったのである。
 ここは、私が子どもだった頃の昭和30年代から40年代半ばぐらいの風俗として語るが、なぜコインを耳の穴に入れる大人がいたか、またいなくなったか。一つには、たとえば100円玉の貨幣的値打ちが高かったのだ。ピース10本入りが昭和31年に40円で、しばらくこの価格が続き、43年に50円となる。都内の銭湯料金(大人)が昭和28年に15円で、暫時微増され、46年に40円となる(ただし44年まで洗髪料を別に取られた)。
 つまり、昭和40年代半ばぐらいまで、100円玉一つあれば銭湯に入り、その帰りにタバコが買えた。余った10円玉で電話もかけられたかもしれない。タバコを吸わない人ならサイダーがひと瓶40円から50円くらい。ちょっとした外出時に、100円玉1枚あれば、けっこう用が足りた。わざわざ財布を持つ必要はなかった。
 また夏だと、近所ならステテコと半そでシャツ姿ででかける人が多かった。そうなると、財布を入れるポケットがない。耳の穴にコインを収納するのは、何も格好をつけているわけではなく、自然な行為だったと考えられる。また西脇の詩にあるように、吸いかけのタバコを挟むこともできる。ずいぶん重宝する肉体的器官だったのだ。

ラーメン350円の町中華
 ときどき町の中華食堂で普通のラーメンが食べたくなって、そんな時は手っ取り早く全国チェーンの「日高屋」へ行くことが多いのだが、趣向を変えて、わざわざ未踏の店を訪ねてみたりもする。この日は自転車で町へ繰り出して、ゴールを東村山市立社会福祉センター内にある「なごやか文庫」とコースを決めていた。市民の寄付による本を廉価(だいたい定価の5分の1以下、100円、10円、無料の本あり)で販売する施設で、センター自体の改修工事が行われていたが、それも終了し、2020年4月に再開した。全体に店内はすっきりと整理され、見た目にきれいな新しめの本が並ぶようになった。ブックオフのミニコンビニ版、といった感じか。しかし、それで買えることが少なくなった。以前はとんでもなく古い本が混じり、何かを見つける楽しみがあったのである。
 まあ、それはいい。同店へは西武新宿(国分寺)線「東村山」駅から徒歩15分というアクセス。この交通機関の利用が面倒で、私はいつも自転車で直接向かう。所要は35分から40分ぐらい。ドアツードアでこの方が便利だし、ちょっとした運動にもなるのだ。その道すがら、いくつかのコースを作って走るのは飽きないようにするため。一番わかりやすいのは府中街道をまっすぐ北上するルート。距離を短縮するためなら、東北へ斜めに走る野火止用水沿いの細い道がベストの選択だ。
 そのほか、遠回りになっても、くねくねと住宅街の間を走ることもある。昼頃なら、どこかで食事をと考える。どこにしようかとあれこれ検索して、ある時、東村山市美住町の都営アパート近くに「宝来屋」という町中華を発見。なんと、ラーメンが350円だという。これには驚きました。「食べログ」などの書き込みを読んでも評判は悪くない。中華チェーン「日高屋」の中華そばが税込み390円で、相当安いと思っていたがさらに安い。
 そして「宝来屋」の前に立つ。描写が下手なので店舗などは写真をご覧ください。正午の少し前で、客が4人いたが、食べ終わるところだったのでちょうどいいタイミング。半チャンラーメンがあればそれにしようと思ったが、注文を聞きに来た女性によると「普通のチャーハンから50円引きになるだけです」と言うので、ここはタンメンを。450円とこれも安い。注文を待つ間に6名連れを始め、客が続々と来店し、満席になってしまった。西武新宿線「久米川」駅まで行けば飲食店は多数あるが、この周辺は過疎地帯。どうしても集中するようだ。

 出てきたタンメンは野菜たっぷりの見た目も美しく、少し脂の浮いた透明スープがいかにもうまそう。ひと口すすったが、いい味だ。細めのストレート麵で、スープがうまくからんで申し分がない。じつにおいしいタンメンだった。ちなみにチャーハン450円、ギョーザ(6個)300円、ライス150円といずれも低価格。ちょっとびっくりしますね。店の外で待っている人がいるので、まったりせずさっさと店を出る。「いやあ、また参ります」と思わずレジで言ってしまった。でも本当に、この方面へ来る際には、また来よう。寄港地が一つ増えた。


上滑りした『恋の大冒険』(1970年東宝)
 前から観たいと思っていた映画『恋の大冒険』がユーチューブで視聴できると知った時は驚いた。メモ帳を片手にさっそくスタートボタンを押したが、途中から退屈して最後まではたどりつけなかった。映画館なら、いちおう最後まで我慢するはずで、やっぱりユーチューブ視聴というのは……いやいや、悪いのは私なんです。
 まずは映画について簡単な紹介を。
「日本映画には珍らしいスラップスティック・タッチのミュージカル・コメディ。 羽仁進、山田宏一、渡辺武信が共同で、オリジナル・シナリオを書き、「初恋・地獄篇」「愛奴」の羽仁進が監督した。 撮影は「ある兵士の賭け」の奥村祐治、音楽をいずみたくが担当している」(MOVIE WALKER PRESS)
 ここに美術で和田誠、灘本唯人なだもとただひと、山下勇三が加わる。とくに和田は、アニメーションから各種デザインを手がけ、乗って仕事に参画したことがわかるのだ。和田ファンとしては興奮の作品である。
 タイトルで分かる通り、これは1968年に大ヒットしたピンキーとキラーズ『恋の季節』にあやかって作られた歌謡映画である。主演の今陽子はまだ10代。タイトルからして彼女に恋をさせることが絶対条件となる。音楽が『恋の季節』作曲者で今陽子を育てたいずみたくだ。当時、ミュージカルに入れあげていたから、映画もその線になるのも分る。そこに才人の羽仁進が加われば、ありきたりの通俗的な歌謡映画になるはずもない。
 上京してきた陽子が就職したのは「迷竹(マイタケ)ラーメン」。社長は黒マントをはおり、社員をテープで洗脳しようとする怪人物・迷竹(前田武彦つまりマエタケ)。めまぐるしく場面が変わり、あたふたと人物が出入りするあたりは、たしかに「珍しいスラップスティック」。おそらくルイ・マル『地下鉄のザジ』(1960年)を意識したのだろうが、ヒロインの今陽子の図体がでかすぎる。たとえばこれを水森みずもり亜土あどのような小柄で妖精のようなタレントが扮し、早回しを含め、アニメーションのようにキャピキャピ動けば、もっと画面に精彩が出たのではと惜しまれる。
 映画評論家の山田宏一、映画評論を手掛け、建築家で詩人の渡辺武信を脚本づくりに加えたところで、3人によるアイデアの出し合いはさぞ楽しかっただろうと思う。「マエタケさんが社長なら、会社の名前はマイタケラーメンってどう?」「あ、そりゃいける」と盛り上がったろう。しかし、それを映画化するのはまったく別の作業なのである。頭の中のアイデアが、映像では上滑りしてしまった。監督があの市川崑なら、と惜しまれる。
 もちろん楽しい場面は随所にある。私がいちばん「!!!」と食いついたのは、満員電車のシーンで植草甚一じんいちが登場すること。動いている植草を見るのはこれが初めてだ。まだ太っていてポップになる前で、『INDIANS』とタイトルに刷られた洋書を読んでいて、スリに財布を盗られてしまう。ちょい役もいいとこだが、ピンキー(今陽子)とJ・Jの共演というだけで、これはやっぱり見逃せない映画になった。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。