【第66回】


キンシオは面白い
 何らかの事情で視聴できない場合は、録画してもチェックするのが「キンシオ」(テレビ神奈川)という旅・散歩番組。キン・シオタニというイラストレーターが、さまざまなテーマで小さな町や郊外を歩く。それだけ、といえばそれだけの非常にシンプルな作りだ。起点は決まっているが、基本はなりゆきまかせ。事前に取材依頼をしているのに「あれ、こんなところに? 〇〇が。ちょっとお邪魔してみましょう」といった白々しい予定調和の同種番組とは違う。
 番組開始は2010年1月らしいから、もう10年になる長寿だが、私が気づいたのはまだ2年前ぐらい。その面白さにハマり、あわてて全視聴を心掛けるようになった。該当する地図をチェックし、メモも取る。健気な60代だ。
 キンシオはかなりの歴史好きで、各種関連書も読んでいるらしく、歩きながらその知見をたびたび披歴する。ときどき間違ったりしても(漢字の読みなど)、そのまま放送してテロップでさりげなく訂正を入れる。その態度もやらせや過剰な作り込み、カンペの濫用等で汚れ切ったテレビ業界にあって清潔だ。
 面白いのはテーマの立て方で、「感情を表す地名の旅」、「読めそうで読めない地名の旅」などに沿って歩き、番組が作られる。たとえば前者なら埼玉県「苦林(にがばやし)」、神奈川県「鐙摺(あぶずり)」。後者なら神奈川県「公所(ぐぞ)」、栃木県「倭町(やまとちょう)」といった具合。初期には「生きものの名前の」「からだの名前の」「一文字の」等々もあったようだが、それを私は見ていない。スタートが遅くてざんねんである。
 まず、普通の旅・散歩番組ではぜったい足を向けないような場所が選ばれる。観光地や繁華街はまずパス。え、そんな町があるのと毎回驚かされる。その「何もなさ」加減がすごい。私はこの番組で神奈川県の広さと奥深さを知った。こちらはこちらでじゅうぶん面白い番組だが、同じジャンルの番組「アド街ック天国」(テレビ東京)とは対極にある。
 キンシオが反応するのは地名もそうだが、川、坂、街道、古墳などで、それらを手掛かりに土地の古層が歴史的知識を動員されて立ち現れる。この歴史的反射神経が素晴らしい。各所の歴史的古跡には案内板があり、キンシオは必ずチェックする。声に出して読み、「ああ、つまりそういうことか」と納得しながら視聴者にも要諦を伝えるのだ。
 この番組で知ったのは、自治体がけっこう多くの案内板を要所に設置していることだ。それはほとんどの人が見ない(とくに地元の人は)。私もこれまではあまり気にしなかったように思う。先日の「鎌倉街道」散策では、案内板を見つけてちゃんと読んだ。「キンシオ」のおかげである。
 もっとも最近に見たのは「感情を表す地名の旅」編で町田市「無窮坂」からのスタート。「窮」が「窮する」で「感情を表す」。言われてみればそうだ。「玉川学園」駅東側が丘陵地になっていて、「無窮坂」ほか「月見坂」、「ころころ坂」と、キンシオは上がったり下りたりする。ちゃんと坂の名を記した石碑が坂下に立っているのもいい。
「いいなあ」「楽しいなあ」「この道いいなあ」などと言いながら歩くのだが、普通の旅番組なら引っ掛かりを見つけられず、スルーしてしまう現場をキンシオは食いついて感想を言う。無理やりだなあ、と思うこともあるがそれもご愛敬。楽しさはじゅうぶん伝わってきます。ローカル局の低予算とはいえ、10年も続くと認知度は高く、神奈川県内を歩いているとけっこう声をかけられている。「見てますよ」という人が老若男女問わず多い。ときにそれらの一般人から土地の情報を聞き出したりもする。
 録画して溜めてあるので、深夜に酒を飲みながら何も見たい番組がない時は、また見ることにしよう。いつか私も街歩きをしていて、ばったりキンシオに会う日が来るかもしれない。「いつも楽しみに見てます。めちゃくちゃ面白いですね」と掛ける言葉を練習しておこう。


三好達治「燕」を読む
ひややけく家居はなりぬ燕去る 誓子
ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな 蛇笏
帰心なきものは誘はず燕去る 狩行
「燕」は季語では「春」だが、「燕帰る」となれば「秋」の句だ。新暦では初夏、暖かい日本へ飛んできて、巣作りをし子を育て、成長した子を連れて秋、南方へ帰っていく。存在自体が「詩」と言ってもいい。
 その「燕」を詩に仕立てて忘れがたい名作が三好達治にある。タイトルもまた「燕」で第一詩集『測量船』に収録されている。私がこれを最初に読んだのは、新潮文庫の河盛好蔵かわもりよしぞう 編による『三好達治詩集』だろう。『測量船』がいかにすごいかは、巻頭からの収録詩編を並べると分かる。「春の岬」に始まり、「乳母車」「雪」「甃のうへ」「少年」「谺」「湖水」と続く。どれも人口に膾炙し、口ずさまれ、教科書にも採択されたような詩編である。「雪」と言って分からなければ、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」と全行を引用すれば「なあんだ、それなら知ってますよ」となるだろう。作者を知らなくても作品は知っている。これら巻頭の一群にみえる、古典的格調の高さと整いは完璧である。
 古典的、と書いたがスタイルと素材は斬新で、出版された1930年、いかに清新な印象を読者にもたらしたか想像がつく。新潮文庫版の河盛好蔵解説にあるが、『測量船』は「今日の詩人叢書」の第2巻として刊行された。この叢書には岩佐東一郎、城左門、田中冬二、青柳瑞穂、竹中郁、菱山修三が加わっており、モダニズム詩の流れにあると分かるのだ。
 よく知られた作品が並ぶ『測量船』の中にあって、「燕」はあまり言及されることの少ない作品かもしれない。しかし私は好きで、今年もある時、急にこの作品のことを思い、少し拡大コピーしてスケジュール帳のノート部分に貼り付けた。いつでも読めるようにしたかったのである。
 本当は全行を引きたいし、引いてもいいのだが写すのが面倒だ。やっぱり部分を紹介しながら読みたいと思う。まず、本編の前にエピグラフふうに次の一行がカッコつきで挙げられている。
「あそこの電線にあれ燕がドレミハソラシドよ」
 これは電線に止まった燕を見て、人間がしゃべった言葉。野暮ながら説明を加えると、電線へ横一列に並んだ燕の列が、音符のように見えるという話である。ああ野暮でした。
 本編は、これから海を越えて南方へ帰る燕の一家による会話で成り立っている。父と母のつがいに、日本で生まれた子どもの燕が数羽、という構成か。「毎日こんなにいいお天気だけれど、もうそろそろ私たちの出発も近づいた。」と、夏が終わり、秋が深まりゆく様が父から伝えられる。夕暮れの林には蜩が、入道雲は小さくなって消えていく。そんな季節。
「私は昨夜稲妻を見ましたわ。稲妻を見たことがある? あれが風や野原をしらぬ間にこんなにつめたくするのでせう。これもそのとき見たのだけれど、夜でも空にはやはり雲があるのね。」とこれは大人っぽい口調ながら子の1羽。親は子の成長をこの言葉に見る。
 まだ海を渡ったことのない子どもたちにとって南方への空の旅は不安である。
「海つてどんなに大きいの。でも川の方が長いでせう?」と言う。あるいは、休むところのない海、そして強い風にも不安を感じている。もし「ひとりぼつちになつてしまったら」と初めての旅を前に恐れるのだ。
 それら子どもたちの心配を払拭すべく、最後に父燕がとうとうと語り聞かせる詩行がいい。
「海をまだ知らないものは訳もなくそれを飛び越えてしまふのだ。」「私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過ちからでなく起つてくることが、なんでそんなに悲しいものか。」
 三好達治は10人兄弟の長男として生まれるが、幼くして一時期養子に貰われ、その後病弱のため祖母の家に引き取られた。10歳の春に実家へ戻るが、家業が傾き、学業を続けられず陸軍幼年学校へ転校する。その後も波乱ぶくみの青春期を送った。安定した幸福な家庭を知らなかった。子燕の未来への不安はその反映であろう。「毎日こんなに楽しく暮して」いられる家庭を欲し、手に入れられなかったのである。「私たちの過ちからでなく起つてくることが、何でそんなに悲しいものか。」と信じたかったのだ。 
 そんなこじつけをしなくても『燕』は愛らしく、胸に深く迫ってくる作品で、最初に読んだとき、涙がこぼれてしまった。文庫で2ページほどの短い詩だ。ぜひ探し出して全編を読んでください。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。