【第67回】


西八王子「じんそば」は、かきあげ天ぷらに存在感あり
 八王子市のギャラリー「白い扉」絵画展へ通う日々のこと。いつもJR「高尾」駅から15分ぐらい歩くのだが、この日は趣向を変え、高尾駅の1つ手前「西八王子」で下車。ここから「西62」バスに乗って、「綾南中学校」停留所で降りれば、「白い扉」までは徒歩5分と短縮できる。この逆コースは一度乗車している。
 西八王子駅前に「じんそば」という立ち食いソバ店があることは知っていた。一度、足跡をつけようと思っていたのでいいチャンス。この日、実行する。駅北口へ出て、甲州街道へ向かう道のすぐ角に店がある。赤く大きな看板に黄色い文字で「じんそば」と書かれ、「自家製天ぷら」「こだわりのだし」の文字が躍る。大変目立つ看板である。いま、あらためて写真を見たら、なんか派手ですねえ。
 角地にある、やや変形の店内は狭く、中央に立ち席、右奥が狭まった椅子席。入口正面に厨房と受け渡しカウンター、その手前に券売機がある。かけそば280円、天ぷらそば390円と安い。いなり寿司も2個100円。地元の人に聞くと「いや、前はかけそば230円だったすよ」と言う。天ぷら(かきあげ)そばが400円以下というのはめったにない。この時点で少し大阪人の血液の循環がよくなるのである。
 いつも通り、天ぷらそばといなり寿司を券売機で買う。1000円入れて、510円が返ってきた。おつりを取る前に、すぐ脇のカウンターへ券を出して「そばで」と厨房の女性(一人で切り盛り)に素早く言う。出来上がるのが少しでも早くと思ったのだ。
 天ぷらそばといなり寿司を受け取って、奥の椅子席へ移動。さて、当店自慢の「自家製天ぷら」だが、なるほど見た目にも存在感がある。つまり、玉ねぎを中心に具材が大きく、つなぎの衣が少ない。そばの上にふわりと乗っている感じ。そば麺は黒めの冷凍細麺でしこしこして歯ざわりがいい。つゆは真っ黒系ではなく、赤みを帯び鰹節と昆布がよく効いている。関西ふうの濃いめ、といったところか。

 とにかく「天ぷら」がいい。つゆに沈めて、モロモロと衣が溶けていくだいご味はないが、具材一つひとつがしっかり味わえて、これはなかなかのもの。しかし難点はつゆが少ない。食べ終わったら、丼の底に数センチ残るだけ。あと30円足してもいいから、もっとつゆを多くしてもらえないかな。つゆさえ多ければ、ぼくの中では「A」クラス。
 食べながら壁に貼られたメニューや注意書きを見ていたら、学生割引があり、学生証を見せるとトッピング1品が無料とある。これはお得ですよ。280円で天ぷらそばが食べられるわけだから。西八王子駅周辺は高校が多く集まる学生の街で、この駅のホームは朝夕、学生たちであふれかえる。腹ペコ高校生が、昼に弁当を食べて、放課後にまた「じんそば」で天ぷらそばを食べる。大変いい光景だと思うよ。

長門裕之がバカボンのパパみたいな『当りや大将』
 中平康なかひらこう監督、日活作品『当りや大将』(1962)を視聴する。脚本は新藤兼人、音楽は黛敏郎、カメラは姫田真佐久。高度成長突入前夜の大阪・釜ヶ崎が舞台。
 主演の長門裕之が「当りや大将」。走ってくる車にわざと当たり(ケガをしない名手)示談に持ち込み、金をぶんどるのが収入源。つまり「当りや」だ。あまりに見事な「当りや」ぶりを周囲から尊敬され「大将」と呼ばれている。ほかはばくちの日々。走ってくる路面電車(阪堺線か)の車体番号で丁半を賭ける。なんでも賭けの対象になるのだ。このあたりがおもしろい。
 博打の主戦場は小学校の運動場ほどもある更地の広場で、あちこちでサイコロ博打が繰り広げられている。なんと、子どもたちも開帳している。警察の取り締まりがあると、サイコロを隠し、知らぬ顔でごまかしてしまう。そんな警察の中に、温情派で「どぶのキリスト」と呼ばれる刑事(浜村純)がいる。大将の寝床は、大阪環状線(と思われる)築堤下で、電車が通るたび激しく揺れる。なにしろ、人ひとりが寝ておしまいの大きな棺桶のような独立した木造家屋で、出入り口は壁の戸板の開け閉め(つっかい棒あり)で済む。
 その向かいにある屋台に毛が生えたようなホルモン屋をきりもりするのが轟夕起子。働きを全部飲んでしまうようなその日暮らしの労働者を相手に、「雪の降る町を」を一つ覚えで繰り返し歌い(ただし歌詞の一部を間違えて覚えている)、水で薄めた焼酎を客のコップに乱暴に注ぎこんでいる。その息子が頭師ずし佳孝よしたか(名子役)。ガラスを背負った大将がこの子を引き連れ、町へ繰り出す。ちびが窓ガラスを石を投げて割り、そのすぐ後に「ガラス~」と声を挙げながら大将がやってくるという段取りだ。まるっきりチャップリンの『キッド』からのいただきだ。
「いただき」と言えば、この映画の最後にもう一つ。轟から預かった貯金を大将が使い果たし、それを知った轟が半狂乱となり、車にはねられて死ぬ。その贖罪から、広場に子どものためのブランコを作ろうと奔走する大将の姿が描かれるが、これはもう黒澤明の『生きる』そのもので、ちょっと白けるぐらい。むしろ、面白さは前半の「当りや」「ばくち」を生き生きとこなしていく大将・長門裕之のピカレスクぶりにある。長門の動きは早く、一瞬たりとも静止しない。ほとんどミュージカル。頭に手ぬぐいのはちまき、ダボシャツにステテコと、バカボンのパパのスタイルを彷彿とさせるいでたちで寝起きする。松竹映画にはない、日活のお家芸とも言える軽快さとスピードである。
 ほか、通称「釜ヶ崎」と呼ばれたあいりん地区(西成区萩之茶屋を中心とするエリア)の風景をたっぷり見ることができるのもこの映画の手柄。私など、足を踏み入れたこともない地帯であったが、戦後10年以上を経て、これほど広大な治外法権の広場があったことに驚く。そして、いつも風景のかなたには通天閣がそびえている。鉄道ファンなら、SLを始めとして路上や高架を行きかう車両に目が行くだろう。姫田のカメラはシャープな映像で、汗や垢、ホルモンや残飯などの匂いを感じさせない。
 考えてみれば、この一帯、国鉄、南海、阪堺線など鉄道路線が縦横に密集している。しかし、映画を見るかぎり釜ヶ崎の男たちは、あんまり電車には乗らず、徒歩圏内を自由区として移動しているようだ。撮影はじっさいに釜ヶ崎に建てられたオープンセットを中心に一か月ほど行われたというが、さぞ大変だったろう。俳優が映るのはいいが、現実の労働者にカメラを向けたとたん、「こら、勝手に何撮っとんじゃ、ぼけなす。金払え。そうでないと、顎かちわるぞ!」ぐらいのことは言いかねない。おお、怖っ!
 中平康はなにしろ東大文学部中退のインテリですからね。それに、「狂った果実」「月曜日のユカ」「砂の上の植物群」「あいつと私」など、代表作は標準語の作品ばかり。どぎつい大阪弁の応酬には、さぞ面食らったろうと同情する。なお、大将が惚れる娼婦に中原早苗、その娼婦の斡旋所となる喫茶店の店主に武智豊子、孤児となったちびを引き取りに来た轟の兄に加藤武が扮している。広場を管轄するやくざの親分が山茶花さざんかきゅうだから、どれも一筋縄ではいかない面魂の持ち主ばかりだ。
 高度成長期以降に青年期を迎えた現在の役者たちに、世の中をにらみつけるようなこんな顔立ちの人はいない。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。