【第71回】


年末になると見たくなる
 これを書いているのが、2021年12月。ひと月分2回の原稿を送稿して、校正の手が入ったゲラが郵送されてきて、チェック修正のち春陽堂書店ウェブページにアップされる。するとどうしてもタイムラグが生じる。ちょっと間抜けな感じになることもあるが、仕方がありません。
 我々出版業界人には、年末進行という恒例があり、年末年始と編集部や印刷所その他がストップするため(もちろん一部は動いている)、いつもより原稿の締め切りが1週間から10日ほど早まる。そうなると、月初めから半ばにかけて締め切りが集中し、てんてこまい(死語か?)となる。よく、こんなこと毎年、30年近くも続けてきたものだと思う。
 しかし、それを過ぎるとパタリと風が止んでしまうのだ。堅気のみなさんは、クリスマス時期が過ぎるあたりまで、追い込みで荷重労働となるようだが、ひと足早く、物書きは休業状態だ。
 本を読んだり、映画を見たり、散歩をしたりといういつもの日常が空っぽの時間の中で流れていく感じだ。そこで年末になると見たくなる映画がある。一つには赤穂浪士の討ち入りを題材にした映画か。最近こそ、あまり作られなくなったが、映画黄金時代は大映、東映、東宝、松竹と各社が持ち回りのように、正月公開に向けてオールキャストによる大作が製作された。これにまた、よくお客が入ったのである。
 洋画では私の場合、しんねりむっつりとした文芸映画より、派手な筋立てとスピーディーな場面展開による作品が見たくなる。『大脱走』『荒野の七人』『ポセイドン・アドベンチャー』『ダイ・ハード』などであろうか。まず、文句なく面白いというのが条件となる。考えたらこれらは、テレビの映画番組で、よく年末になると何度も放送される作品であったような気がする。大晦日近くになると、どの放送局も放送時間をワイドにした特別番組が組まれる(『大脱走』など長尺は前後編と2週に分けて)。それに対抗するため、視聴率が確実に稼げる、これらの派手な映画が選ばれたのではないか。
 そこで、ようやく取り上げたいのが『タワーリング・インフェルノ』である。私はテレビやビデオで5~6回は見ているか。年末の古書即売会で和田誠イラストが表紙の『キネマ旬報』が1冊100円でたくさん出ていて、『タワーリング・インフェルノ』特集号」(1975年5月下旬号)を買う。半分は、この和田誠イラストに引かれて買ったが、特集ページの座談会を読んだら面白い。本誌の酒井良雄を司会に、双葉十三郎、田中光二、田中文雄、石上三登志が出席。私は双葉さんには取材でお目にかかったことがある。いい思い出だ。
 うるさ型と言っていい評論家たちを集めながら、『タワーリング・インフェルノ』(以下『タワー』と略す)の評価がこぞって高いことが印象的だ。田中光二はその長さ(2時間45分)について、日米の体質の違いに触れつつ「できばえからいえば、文句ないですが。何も言いようがないくらいで」と賞賛の言葉を惜しまない。こういう派手な娯楽映画の場合、斜に構えて、けなそうと思えばいくらでもそうできるかと思うが、芸術映画と比べてうんぬんすることが野暮であると出席者たちはよく知っている。だから読んでいて気持ちいい。
 なるほどねえ、と感じ入った発言を少し紹介しておこう。サンフランシスコに落成した地上138階の世界最大の超高層ビルが舞台で、映画はほぼこのビル内のドラマに終始する。これが開所式の日に火がつき、中層階から上に燃え上がる。ビルにいた人々の右往左往をドラマチックに描き上げたのがこの作品だ。監督はジョン・ギラーミン。ワーナー・ブラザーズと20世紀フォックスという大会社2社が共同制作しただけあって、お金の使い方が違う。なんといってもポール・ニューマンとスチーブ・マックイーン(雑誌での表記)という両雄を並べたのがすごい。これだけで製作費は2倍だ。ほか、ウィリアム・ホールデン、フレッド・アステア、ジェニファー・ジョーンズなど往年のスターを脇役(しかし重要)で配す。なんともぜいたくなものです。ほかにフェイ・ダナウェイ、ロバート・ボーンも客演。
 ニューマンとマックイーンの本格的な共演はこれが初めてで、以後もないと思う。(1956年『傷だらけの栄光』でポール・ニューマンが主役、マックイーンは端役で出演している)監督としては気を遣っただろうと思う。どちらか一方が目立つようでは困るのだ。その点を田中光二は「だから見ていて、昔の東映映画で市川右太衛門と片岡千恵蔵が出てくると、必ず活躍の比重を等分にしていたことを思い出したな」と言って笑わせる。たしかに『タワー』の洋版両巨頭も「御大おんたい」と呼びたくなるではないか。
 2時間45分という長尺も話題に上がり、司会の酒井良雄(「キネ旬」編集部)が「試写会場で、上演途中に、一休みしに外へ出た人が、だいぶいるらしいですね」と報告している。3時間を超えると、たいてい途中に「インターミッション」(休憩)を入れるものだが、『タワー』は押し切る。それが「日本人の体力からいうと、ちょっときつい」(田中光二)の発言は座談会ならでは。ふだんの映画評論では触れられない部分だから。
「開巻すぐに火が出るというのが、いいですね」と石上。前評判で中身を知っている観客は、最後に火が出てクライマックス(お化け映画はたいていそう)と思っているから、うまく予測を裏切った。ほか、さすが見巧者による意見が相次ぐ。ついでに触れておけば、舞台となる138階建ての「グラスタワー」は、映画では本当にそれが建てられて燃やされたように見えるが、実際は5階建て33メートルのビルを作り、うまく実景をはめこんだそうです。こうなると、また見たくなりますねえ。


「青春18」で冬の塩山へ
 2021~22年の「冬季」に発行された「青春18きっぷ」を買った。12月前半に集中した仕事が片付くと、本当に申し訳ないほど暇になる。そこで普通列車に揺られ、のんびりと日帰り旅をしようとあれこれ計画を立てた。
 2021年12月18日、2回目を使って中央本線「塩山えんざん」へ。私の気ままな行動によくつきあってくれる会社員の散歩堂さんが相棒。山梨では「塩山」の1つ手前「勝沼ぶどう郷」に観光客が集中し、我々と一緒の駅で降りる人はまばらである。「塩山」はこれが3度目で、ずいぶん前に単独で歩いた「信玄のみち」というひなびた集落を抜ける街道が忘れられず、もう1度行きたいと思っていたのだ。
 事前にあれこれ調べ、コース選択はできていた。高尾駅発9時57分の普通電車に乗り込み、11時14分に「塩山」着。キオスクを兼ねた観光案内所で地図をもらう。信玄像が立つ北口に出て、線路沿いにしばらくだらだら歩くと、ひっそりした商店街の入り口に出た。ここに「日の出食堂」という中華がメインの大衆食堂があるのも調査済み。ここで昼食。五目そば650円を頼んだが、待つ間にもひっきりなしに出前の電話が入り、店主の妻と思われる初老女性が、勢いよく飛び出していく。こういう店はおいしいのです。事実、五目そばはうまかった。携帯電話の電池残量が乏しかった散歩堂さんが、店の人に頼んで充電させてもらっていた。家庭的な雰囲気が、またいい。

 かつての繁栄をよそに、しおれ切ってしまった塩山温泉郷を抜け、くねくねした道を西へ。途中、収穫の終わったぶどう棚、花梨、柿などの果樹をいたるところで見る。南側には富士山の遠景。桜も方々に植わっていて、春にはこの一帯、まさに「桃源郷」の趣となるであろう。一句ひねりたいところなれど、我が才なし。ただただ、道の行方を見つめて歩く。下手に開発の手が加わらず、観光地からも遠ざかったことでこの風景は残されたのだ。
 コンビニ、飲食店、自動販売機などは道中にほとんどなし。人とも出くわさない。北上するむかし道に合流すると、蚕棚を持つ大きな屋敷(茅葺も現存)、蔵、白壁、長屋門と時代劇にそのまま使えそうな風景が現出する。足元にはつねに水音がして、側溝には豊富で清冽な水がねじれながら流れている。「白髭神社」「常泉寺」「山本勘助不動尊」がこの一帯の名所で、夢窓国師が開創した古刹「恵(え)林寺(りんじ)」がゴール。しかし、情けないことに6キロほどの歩行でグロッキー。「常泉寺」あたりですでにバテかけていて、境内にあった「聖徳太子の腰掛石」もずいぶん低く、これに座ったらもう立ち上がれないぞなどと思った次第である。
 ひと休みしたら、またぶらぶら駅方面まで歩いて塩山温泉郷の温泉銭湯に入るかとも考えていたが、恵林寺近くのコンビニでタクシーを呼ぶこととなった。いや、お恥ずかしい。散歩堂さんは、「もうちょっとがんばりましょう」などと下手な慰めは言わず、最後まで付き合ってくれた。ここでお礼を申し上げる。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。