【第72回】


石岡と御殿場で喫茶店
「青春18きっぷ」の話を2題。2021年12月11日はJR常磐線「土浦」から「石岡」、24日には御殿場線「御殿場」へ。長引かせず、さっさと書いておくと、両所とも未踏の喫茶店に入った。「石岡」は、「土浦」(茨城県石岡市)へ行ったついでに足を延ばした。水戸の少し手前である。ここに大正・昭和期のモダン建築、とくに「看板建築」が多数現存していると知り、出かけたのだ。
 そのうちの1軒「喫茶四季」は昭和5年築の看板建築。勇壮なコリント様式の立派な柱造りの裏側は木造二階建てである。恐る恐るという感じでドアを開くと、カウンターにいた老女が黙ったままこちらを見ている。「あのう、コーヒーが飲みたくて……(入っても)いいですか」と変な挨拶をして、ようやく女店主が破顔した。すでに奥の席には常連らしき老人が陣取っていたが、フリの客が入ってくるなどめったにないのだろう。

 ところどころ破れや補修が目立つ椅子に腰かける。灰皿が置いてあるので喫煙可、である。30分ほどの滞在の間、女店主、常連男性を交え、石岡の昔話をいろいろ聞いた。「四季」店主の父上は、かつて東京・渋谷で寿司店を営み、石岡へ移ってからも随一という繁盛店を経営していたという。「なにしろ、1日に1俵のコメを使った、というんだから」と、これはおじいさん客の話。そういえば、「四季」へ向かう途中、石畳の裏通りに2軒、寿司店があった(営業しているかどうかは不明)。寿司店はその町の繁栄の証しではないか。
 80代後半と思われる女店主は、淹れたコーヒーを私の席まで運ぶのにも手元が危ういらしく、長いカウンターの上に乗せて、滑らせて移動してきた。コーヒーの味がどうこう言うのは野暮であろう。300円という安さであった。他の看板建築も見て歩いたが、私の「石岡」での印象は、ほぼこの「喫茶四季」に集約された。
 12月24日は御殿場線で「御殿場」へ。冬の冠雪した富士山を間近に見たいと思ったのだ。御殿場線乗車はこれが3回目か。昭和9年の丹那トンネル開通までは、こちら御殿場線回りが東海道線だった。電化単線で無人駅多し。左右の車窓から見え隠れする富士山を見るためだけに乗る価値のあるローカル線だ。
途中、木材を豊富に使った洒落た美しい駅舎を見たが、これは「足柄」駅。あとで知ったのだが、2000年にリニューアルされたばかりで隈研吾の設計だという。近頃はどこへ行っても隈(熊)が出る。
 いまや「御殿場」はアウトレットが集客のあるスポットで、電車で行く客はシャトルバスの出る南口へ向かう。私は北口へ。駅前からどこにいても、正面にドカンと大きな富士山が……と思ったら、建て込んだビルに邪魔されて見えたのは一部だけ。浅間神社へお参りしたあと、境内脇にある喫茶レストラン「ベル」へ入る。山小屋ふうの内装で、カウンターと椅子席。ゆったりと落ち着いたレイアウトだ。客は私一人。こちらは同年配かやや若い女性店主がいて、ここでもいろいろと話を聞く。まるで旅番組みたいだ。
 最近は御殿場でも大雪は少なかったが、嫁いできたときは雪かきが大変だった。出身の沼津では雪かきなどしたことがなかったので大変だったとのこと。「ベル」は義祖父が始めたという。「もっと手を入れてきれいにしなくちゃ、とは思うんですが」とおっしゃるので、「いや、このままがいいですよ。すごく落ち着きます」と言っておく。事実、腰を下ろすと店の空間と窓からの風景(浅間神社を一望)がじつにいいのだ。観光名所に行かなくても、地元に古くからある喫茶店に入ると、その街のことが分かる。分からなくても、疲れた足を休め、くつろぐ時間が持てればそれだけでもいい。
「青春18きっぷ」を使う功徳は、こうした地方都市に根付いた喫茶店を訪れることにある。


高田馬場「吉田や」立ち食いソバ
 2022年年明け、最初に都心へ向かったのは「サンデー毎日」編集部。定期的に通って、編集部に届いた本の山を崩し、レギュラーの書評ページに使う本を選んでいる。いつもは、中央線から東西線へ乗りつぎ最寄りの「九段下」駅を目指すのだが、この日は夕方に川越で友人と新年会をやることが決まっていた。そうなると動線が違ってくる。
 最終的には西武新宿線と国分寺線で「鷹の台」駅下車という着地点に合わせ、行きは西武新宿線で「高田馬場」駅経由東西線で向かうこととする。「高田馬場」駅着が昼少し前。電車に乗る前から、そうだそうだ、駅前の立ち食い「吉田や」がまだ未踏じゃないかと気づいた。同駅構内および周辺は立ち食いソバ店の激戦区で、構内には「いろり庵きらく」、駅前には「富士そば」「吉そば」と強力なチェーン店が進出し、陣取っている。そんな中にあって、個人経営の「吉田や」の健闘を大いにたたえたい(何様?)。
 それなのに、ああそれなのに私は何となくこれまで敬遠してきた。JR高田馬場駅東側へ出て、目のまえの交差点に立つと正面に「吉田や」が見える。ただし、目立つ看板は「江戸前 幸寿司」。ここ、じつは夜は立ち食いの寿司店に変身するのだ。珍しいなあ。私が上京してきた1990年代にはすでにあった。相当昔から、ここにあったようだ。角地に建つ店舗なので、90度の2角から入店できる。
 かぎかっこ型のカウンターのみの純「立ち食い」店である。厨房で立ち働くのは茶髪のお姉さん、と思ったら、そこそこのお年の方であった。愛想はないが、きびきび動く姿にプロを感じる。天ぷらそばが440円。先入観からチェーン店よりやや安の400円ぐらいかと思ったので、心持ちちょい高だと感じる(あとで調べたら近年に値上げしたらしい)。
 そばができるまでメニューを見ていると、メニューの下に忘れ物ベスト3が掲げられ注意を促す。では、発表します。第3位はメガネ。第2位はサイフ。そして栄えある第1位は、ジャジャジャジャーン。マスクでありました(俺はバカか)。支払いは食べ物の受け渡しの際に現金で前払い。その時、財布をカウンターに置いてしまうとアウトだ。メガネはもちろん、湯気で曇るためはずすわけですね。
 そばはゆで麺の柔らかめ。出汁は黒いがかつお節が充分効いた甘めでおいしい。かきあげ天ぷらは作り置きのふわふわ系で、出汁を吸ってもろもろと崩れるので私が好きなタイプだ。出汁もうまく、珍しく残さず飲み切った。私がいる間に、3人の客の出入りがあった。天ぷらそばに卵を落とし、麺は大盛りの強者もいた。チェーンの資本投下に伍して、ちゃんと繁盛しているじゃないか。余は満足じゃ(だから、何様?)。


下を向いて歩こう
 2022年正月は、だらだらと録画したテレビ番組を視聴したり、FM放送を聞きながら本を読んだりしていた。つまりいつもと同じ。ただ騒がしいだけの民放に見るべき番組がない中、さすがテレビ東京は独自の路線を打ち出していた。秀逸だったのは2021年12月30日放送の「下を向いて歩こう ポイ捨てレシート生活」という特番。4名のタレントが2組に分かれて、3日間、路上を歩き拾ったレシートに記されたものだけで生活する(主に飲食)。毎晩、顔を合わせ集計し、最終的に合計金額を競う。説明、お分かりでしょうか。
 籠を背負い、ごみばさみを使って路上に落ちたレシートを拾う。こんな地味な企画がよく通ったものだと感心するが、これが面白いの。「クマムシ」というお笑いコンビと、「とにかく明るい安村」(すぐ裸になる芸人)と「おお志津香しづか」(もとAKB48)の2組が、場所を分けてひたすら歩くのだが、すごかったのが「大家」だ。
 横断歩道で対岸の路上にレシートを見つけるというのは序の口で、路肩の植え込みには、歩道に寝そべってありかを探る。いちおうアイドルと言っていいと思うが、捨て身の奉仕ぶりに驚いた。拾ったレシートの数も圧倒的で、しかもごみばさみでそのままひょいと、背中に回し籠に難なく入れる。その姿は熟練工で、相棒の「安村」も言った通り「レシートを拾うために生まれてきた」ような姿であった。
 回った場所は辰巳、豊洲、渋谷、銀座、原宿、秋葉原、北千住、少し遠出して箱根、鎌倉など。落ちているレシートはコンビニ、カツや、カラオケ、吉野家、タクシー領収書など。コンビニのレシートは多く、そこに飲料や食べ物があったら、同じものを店で買うことができる。箱根では「クマムシ」が有名そば店(行列ができる)のレシートでみごと豪勢な昼食にありついていた。
 場所がらもやはりある。「クマムシ」が北千住で「大根42円」を拾えば、原宿で大家が20万円超えのブランドもののレシートを拾っていた(当然ながら、「安村」「大家」組の勝ち)。拾ったレシートに記載された商品から、捨てた人がどういう人であるかを類推するという遊びもあり、地味な企画がタレントの力で膨らんだ感じである。この先、これがシリーズ化されるとしたら大家「レシート娘」志津香は、「ローカル路線バスの旅」における太川陽介に対抗できるビッグタレントに化けるかもしれない。
 なお、この番組を見てから、路上に落ちているレシートが気になる性癖がつき、某所で2枚を拾いポケットに入れて帰った。1つはpaypay銀行、もう1つはコンビニのもので、お菓子や飲料をたくさん買い込んでいる。会社でみんなの希望を聞き、買い出しに出た下っ端社員のものではないか。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。