【第78回】


65歳になったら
 その年回りになったらみんなこの歌のことを思うらしく、ネット検索すると「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」(When I’m Sixty-Four)について、多くの人が言及し感慨を述べていた。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』(1967)に収録された曲で、僕が64歳になっても、変わらず愛してくれるかいと妻に訴えるユーモラスかつ温かいラブソングだ。
 アルバム制作の年、ジョンもポールもまだ20代。「64歳」は遥か遠く、想像するしかなかった年齢だった。ジョンは40歳で暗殺され「64歳」の自分を見ることなく、ポールは今年80歳になる。そう考えると、不思議な気がしますね。
 私は2022年3月28日、65歳の誕生日を何もなかったように迎えた。「64歳」を通り越してしまった。とくに感慨はなし。東京地下鉄の2路線の延伸が認可されて、15年後ぐらいに開通と聞いたが、それまで生きているだろうかなどと考えるようにはなった。残る時間がはっきりと見えてきた。
 今年から壁につるし始めた日めくりカレンダーの「3月28日」をはがし、いま目の前にある。高橋書店の日めくりは情報満載で、たとえば今年3月28日は旧暦では「2月26日」にあたり、2022年は「令和4年、平成34年、昭和97年」だと分かる。そうか、3年後には「昭和100年」になるのか。ほか、この日は「京都裏千家利休忌」、「かのえたつ、五黄・先負」であり、お言葉は「目は心の窓」でした。交通表記や月齢も教えてくれている。よくできた日めくりなのだ。
 2021年11月末にギャラリー「白い扉」で個展を開催したのはまだ「64歳」の時だった。個展の会期を終え、展示室から絵や備品を撤収し、画廊主の髙橋さんに車で自宅まで送ってもらった日のこと。途中、谷保(国立市)近くの墓地へ立ち寄る。両名とも兄貴分として慕っていた(付き合いは髙橋さんの方が、長く、深い)S氏の墓に詣でる。たくさん花がすでに手向けられていた。墓に刻まれた享年「65歳」を見て、その時、私ももうすぐ追いつくなと思ったのだ。線香の白く細い煙が晩秋の空に立ち上るのを1歳下の髙橋さんと黙って見ていた。
 80代の人からすれば、「なに言ってるんだ、まだ65歳ぐらいで。しみじみすんじゃないよ!」と怒られそうだが、彼らだって65歳の時にはそれなりの思いがあっただろう。80代まで生き延びられたことが僥倖であることは、何よりも彼らがよく知っているはず。この春から私は年金受給者となるが、国民年金なので月額せいぜい5万円程度(申請手続きが面倒でまだ受給していない)。まだまだ働かなくてはならない。働かなくても食っていけるなら働きませんよ。
 ブログや日記、たまに詩などを書いたりするだろうが、それは趣味みたいなものだ。もう本もあまり買わず、いま持っている分(数万冊)と図書館で借りるなどして、読書ライフもそれで充分やっていけそうだ。愛用のギターをかきならす分には無料だし。お酒はやめられそうにないが、やめたこともあり、いよいよ困窮したらやめるつもり。
 65歳になって楽しみが増えたのは、東京都民として都営の美術館や博物館、動物園、有料の公園などが半額などの割引になることだ。浅草の「花やしき」も半額になるのか。竹橋の「東京国立近代美術館」は、企画展は有料だが、常設展は無料になる。九段下と竹橋の中間にある「サンデー毎日」編集部へは定期的に訪れるので、時々、仕事を終えたら美術館へ行こうと思う。「新宿御苑」や「小石川後楽園」、わりあい近い小金井の「江戸東京たてもの園」も半額だ。せいぜい利用したい。


ミツバチは完璧な市民
 2022年3月28日(は私の65歳の誕生日としつこく言っておく)にNHKで放送された『ワイルドライフ』「日本の里山 ニホンミツバチ 鉄壁の集団に迫る」を見る。大いに感心し、メモを取ったので紹介してみよう。まずは同番組HPから概要を。
「美しい花々が咲きほこる日本の里山。その生態系に欠かせないのが花の恵みからハチミツを作るニホンミツバチだ。1万匹の巨大な群れを支えるのは女王ではなく働きバチ。仲間で団結して群れを運営したり、手ごわい天敵を撃退したり、働きバチには数々の秘策があった! そして春になると突然数千匹のハチが巣を飛び出して大騒動! 群れ最大の大仕事が始まる。強いきずなで群れを守る鉄壁の集団、ニホンミツバチの驚きの一年に密着した。」
 基本情報から。ニホンミツバチは1万匹の集団を作り、5000匹単位に分蜂していく。巣に1匹の女王バチがいて、他はすべてこれに奉仕する。オスは1割、メスは9割と女性上位で、オスは次の女王バチと生殖するためだけに生きる。多数派のメスはいわゆる「働きバチ」で、知らなかったがその役割は花の蜜を採集するだけではなかった。巣作り、巣の掃除、育児、蜜を採集し蓄えるなど仕事は生涯のうち、ローテーションが組まれている。
 一つの巣に数万個の6角形の穴が作られるわけですが、あの直径5ミリほどの穴は蝋で作られる。その蝋は、どこから調達するかといえば、ハチの腹から分泌される成分をはがし塗り固めるというから唖然となる。無駄なものは何一つないわけだ。驚き、驚き。
 ニホンミツバチの寿命は約1カ月。その寿命を役割分担でローテンションしながら巣と後継者を守り育てる。そのシステムは統制が取れ機能的かつ合理性に富み、乱れも逡巡も懊悩も嫉妬心もない。個は全体に完全に服し、生を完全燃焼させてまっとうしていく。まさに完璧な市民だ。それに比べたら、人間などだらだらと無駄に月日を過ごし、賭け事や酒で身を破滅させたり、ときに他者を殺めたりしてみっともない限りだ。
 群れが新しい女王バチを冠し、次の群れを作るため巣を離れることを「分蜂」と言うんですって。ちなみにこの時期のハチは人を刺しません。新しい巣を探すのに、偵察隊がまず飛び、候補地を見つけるとそれが適しているかどうか精査する。この偵察隊が巣に戻り、全体に意見を求め多数決を図る。その際、新しい候補地の方角へ向け、体をくるくると回す(「ダンス」と呼ぶ)。「じゃあ、そこがいいよ」と意見がまとまると、あっというまに旧宅を離れて新居へ移る。王政を敷きながら民主主義も徹底している。それに比べたら人間は(……もういいか)。
『ワイルドライフ』では高性能の最新カメラで、至近からハチの生態を撮影している。たとえばメスが花から蜜を採集するでしょう。巣に持ち帰る。すぐに貯蔵するのではなく、ほかのハチとキスみたいなことをする。これは体の中の酵素を混ぜる行為で、蜜はより保存が利くよう変質する。また、蜜を貯めた穴をしきりに羽を動かして風を送る。これは水分を飛ばし、濃厚な蜜に仕上げるためだという。何度でも繰り返すが「驚き」である。
 いやいや、これは書き出すときりがないです。生涯の最終段階で蜜集めをするのも理由がある。ミツバチにはツバメ、カマキリ、クモ、同族だが巨大で狂暴なスズメバチなど多くの天敵がいる。この捕食関係で里山の自然は成り立っているのだが、犠牲者は後を絶たない。だから天敵に襲われる可能性に身を投じるのは老体で、そのことで若い命を守っている。えらいぞ、ミツバチ。
 天敵から身を守るだけはなく時に反撃もする。大きなスズメバチにとって格好のエサが小さなニホンミツバチなのだが、空中で捕まえるのは至難。そこで巣を襲う。人間が作った巣箱には、小さな出入口が開けられている。スズメバチはそこを狙う。しかし体が大きくて入らない。木を強い顎でかじってもぐりこむ。するとどうなるか。
 1匹では非力な彼らは集団で強敵に飛び掛かり、山を成して取り囲む。しばらくするとスズメバチはぐったり息絶える。これはニホンミツバチが危機に際し体温を上げ、多勢でスズメバチを囲み熱で殺すのだ。「熱殺蜂球」と呼ばれる。すごいなあ。
 以前も養蜂家のテレビ番組を見て感心し、何冊か関連本を買ってあった。しかしいずれも未読。羽仁進『花をもとめて3000キロ ミツバチ一家のたび』(ポプラ社)は少年少女向けに書かれた本。300万匹のミツバチを飼い、花を求めて日本を南から北へ旅する養蜂家の石踊一家を取材している。挿絵と写真多数。このあたりから、熱があるうちに読んでみようかと考えています。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。