【第82回】


茗荷谷から小石川、江戸散歩
 5月22日は日曜日。散歩の相棒で何かと補佐してくれるワトソン役の「散歩堂」さんと、以前から計画していた立花隆「猫ビル」探訪を実施することに。この日は、前日の夜遅くなって雨になったが明けて日中は暑いぐらいの陽差しだ。茗荷谷駅は丸の内線。われら中央線組の2人ならJR新宿駅、池袋駅と乗り継いで丸の内線というルートが所要時間も短く順当ながら、乗り換えが増えて電車賃も余計にかかる。そこで丸の内線始発の荻窪から茗荷谷というルートを選ぶ。所要時間は池袋経由より10分から15分増えるが(何しろ東京駅経由となり大きく迂回する)運賃は先のルートより140円も安くて250円。細かいようだが、100円の本で一喜一憂している私にとってこれは大事な話。
 さらに丸の内線の利点は地上から近くを走るため(四ツ谷、御茶ノ水など地上に姿を現す)、たとえば茗荷谷駅改札を出たらそこがもう地上だ。地図にメモした記録によれば、私がこの地を踏んだのは2010年11月8日。市川準監督『トキワ荘の青春』のロケ地として地下鉄車両区の地下道を潜って始まる「庚申坂」を訪ねたのだった。それ以前、出版社を辞めてフリーになった時、校正のアルバイトをしていて、小石川の印刷所へよく通ったので茗荷谷駅はその時よく使った。もう30年近く前の話だ。その頃はまだ東京散歩を始めていなかった。
 茗荷谷駅で特筆すべきは、周辺に「お茶の水女子大」および付属の小中をはじめ、多くの著名な学園が集中していることだ。筑波大、跡見学園、貞静学園、拓殖大などがひしめきあっている学研都市である。それらを取り囲むようにして、小石川、小日向、音羽などに閑静な高級住宅地が形作られる。歩けばわかるがそれらは高台にあるのだ。春日通りを尾根筋にして左右に坂がなだれこむ。複雑な凹凸を作る文京区は坂の宝庫だ。
 ここから坂と寺めぐりをしながら小石川六角坂の「猫ビル」を目指すのが本日のメニュー。今回は春日通りの西側から歩き始めるが、東側にも「湯立ゆだて坂」というお屋敷町を下る名坂がある。『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)でも「ここは石垣と緑が美しい。非常にきれいな坂道」と愛でられている。我々は逆コースに取りつく。駅舎の脇からすぐに「茗荷坂」がある。この一帯、古くは湿地帯で茗荷が自生したという。すぐに「林泉寺」に出迎えられ、ここの境内にある「しばられ地蔵」は、石の地蔵を縄で縛り願掛け(成就すると縄をほどく)をするという珍しい習俗が江戸から続く。不信心な私はパス。大岡越前の裁きに由来するというが、多くの講談ネタと同じく創作であろう。ともかく、ここには江戸が生きている。
 坂を下ったその先、「深光寺じんこうじ」。短いスロープを登ると「滝沢馬琴の墓」があるとは現地の案内板で初めて知った。文京区は各地の名所スポットに設置した親切な案内板でくわしく由緒を解説し、散歩者を手助けする。曲亭馬琴は、江戸時代後期に『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』などヒット作を連発し、原稿料のみで生計を立てたと言われる元祖流行作家。晩年は盲目となり口述で創作を続けた。墓の戒名に「蓑笠さりつ」の文字があったが、これは馬琴のペンネームの一つだと案内が教えてくれた。墓の一部に削った跡が見える。同業者が隆盛にあやかるためにした所業か。文名が一向に上がらぬ私も真似した方がいいかもしれない。

名坂「庚申坂」を上って「コパン」でお茶
 拓殖大学キャンパスの前から道は枝分かれして東側に「釈迦坂」(近くの「徳運寺」に釈迦像あり)、「蛙坂」(湿地帯に蛙の大群がいた)と珍名の坂が続く。坂巡りは名の由来を知るだけで楽しくなる。隠れキリシタンの取り締まりが行われた「切支丹屋敷」(碑と説明板あり)の脇の「切支丹坂」を一気に丸の内線の地下鉄車両区ガード下まで下る。そこは谷底で、ガードの向こうに急こう配の上りが待つ「庚申坂」が壁のように行く手を塞ぐ。坂下に庚申の石碑があったらしい。先に書いた通り、ここは映画『トキワ荘の青春』の中で何度かロケで使われた。「トキワ荘」は豊島区の所在だから辻褄は合わない。離れた両者をつなげるのは映画上のトリックである。しかし下りに身をまかせた体にこの急坂はきつい。坂を上ったところに腰かけがあるのも分かる。長い石段に息が切れ、思わずしゃがみそうになった。
 馬の背となる春日通りに戻ってきて小石川4の交差点に立つ。どこかに休憩できる喫茶店はないだろうか。相棒の散歩堂さんが「目の前にありますよ、あそこでどうですか」と指さしたのが、交差点の角に建つイタリアンカフェ「copain(コパン)」であった。思わず「コパンコパン小さくたって一人前」というお菓子のCMが頭をよぎる。そういえばどういう意味だろう。さっそく散歩堂さんが検索して「相棒、友だち、恋人」などの意味を持つフランス語と教えてくれた。ありがとうワトソン君。勉強になります。
 ここはカウンターで注文するスタイルだが、セルフではなく飲み物はテーブルまで店員が運ぶ。ゆったりくつろげる広く落ち着いた店で、コーヒー(400円)を頼み、春日通りに面する明るい席に座る。近くに2人、文京マダムらしいおしゃれないで立ちの老齢女性が会話しているのが耳に入る。マンション住まい。2階に住む老女が朝6時にはベランダに洗濯ものを干し始める。「ということは朝5時半にはもう起きているのかしら」と言いながら、マダムも日曜朝6時からのNHKラジオ第2の「古典講読」を聞いている。この朝は『万葉集』の購読で、朗読は加賀美幸子。有間皇子の歌を2首、友人相手にそらんじてみせた。向学心の衰えぬ文京マダムだ。

真珠院、伝通院、露伴、そして猫ビル
 30分ほどで店を出たが、このあとずっと「コパンコパン、小さくたって一人前」というフレーズが頭から離れず、ずっと口ずさんでいた。20~30回ぐらい繰り返したか。小石川4の交差点から吹上坂に向けて散歩を再開し、途中、竹早小・中学校がある脇道へ入っていく。この一帯も江戸の名残を残す寺町。静寂と落ち着きが町を包む。しばらく進むと「真珠院」。ここには黒岩比佐子さんのお墓があるはず(愛用の地図に記入してあった)。黒岩比佐子(1958~2010)はノンフィクション作家でガンにより早世。私とは古本仲間で、黒岩さんのトークショーの相手を務めたこともある。訃報には思わず膝をつき、涙がこぼれた。あれから12年にもなるのか。本名が清水比佐子であることも知っていて、散歩堂さんと二手に分かれて墓にその名を求めたがついに見つけられず。心でそっと手を合わせる。
 しかし同寺は見どころの多い寺院で、これは中へ入ってみないと分からない。正面の円形のモダンな本堂にまず驚く。参道脇にも阿弥陀如来、布袋尊などが祀られてにぎやかだ。墓は本堂の裏手、いったん地下へ降りて通路の先の階段を上った先だ。入って右手に岩の築山には天女の像が無数に設置され、小さな洞窟まで作られていて飽きない。「諸動物慰霊塔」なんてのもあった。お隣の法蔵院には、東京帝大卒業後に英語教師となった夏目漱石が一時期下宿していた。
 傳通院は小石川各所に寺が分布する図の扇の要を果たす大寺院。漱石で言えば『それから』『こころ』に登場する。新選組の前身となる浪士組結成の地、家康の生母於大おだいの方の菩提寺など、少し調べるといろいろ書いてあると思います。我々は広い境内をひと巡りして佐藤春夫墓へ。傳通院からすぐ東に幸田露伴旧居(碑はなし)と文学色の濃いエリアなり。さらに東、善光寺坂(谷中に同名坂あり)に大きな椋の木が立っている。樹齢300年とも400年とも言われる巨木だが痛みが激しい。案内板によると、江戸時代にはこの木が立っているあたりまで傳通院の敷地であったという。冨田均『東京坂道散歩』(東京新聞出版局)では、著者が久々にこの地を再訪。「私の足が止まった。印象が違う。孤高さが失せ、ごく普通の路傍樹になっている」と書く。現在、歩道と車道に二分された善光寺坂は、かつて広い1本の通りで「好きなコースを大手を振って歩けた」ようだ。
 左手に慈眼寺、善光寺を見てその先、右折してすぐUターンするかたちで六角坂に入ると、もう目の前に「猫ビル」がある。壁面に大きな猫の顔のイラスト。狭い土地にライターみたいに高く建つビルは、立花隆の脳内ともいうべき本や資料が全フロアを埋め尽くしていた。没後に作られたドキュメンタリー『見えた 何が 永遠が ~立花隆最後の旅~』(NHK)を見て、10万冊とも言われる本や資料は一部を知人が受け継ぎ、すべて処分されたことを知る。各階の空っぽになった本棚が、何よりも「知の巨人」の消失を如実に伝えている。これら膨大な本との付き合いや「猫ビル」については自著の『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)にくわしい。数ヶ所に分散していた蔵書を一ヶ所に集中させるために「待望の書庫兼仕事場」を建てた。10坪ほどの土地に鉄筋十階建て(地下あり)を新築。1992年のことだった。「トイレと小さな手洗い以外の生活空間はゼロとした。ガスも入っていない」と、本のための建物だった。「ローンも七〇歳近くで払い終えるように組んだ」というから完済されたのだろう。
 どういう形でこのビルが保存、あるいは解体されるか不明だが、まずはこの段階で見ておいてよかった。
 ここからの最寄り駅は南北線「後楽園」あるいは都営三田・大江戸線「春日」になるが、少しだけそこから距離のある丸の内線「後楽園」から帰ることにする。江戸から昭和を通って、令和までの充実した散歩になった。地図をイラストに描いたので参考にしてください。梅雨の時期、雨に濡れた坂も風情がある。おすすめのコースですよ。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。