第23回 竹久夢二『夜の露䑓』字体も表記も文法も気になる

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は竹久夢二『夜の露䑓』を採りあげてみたい。【図1】は外函、【図2】は奥付である。これによると大正8(1919)年3月21日に出版されている。

【図1】

【図2】

 竹久夢二美術館学芸員である石川桂子さんが『夢二と春陽堂』という連載記事を書いていらっしゃるが、その最終回に「夜の露䑓」というタイトルで夢二の自筆原稿(短歌作品)の図版が掲載されている。この自筆原稿の末尾には「一九一七・八・五」とあるので、この時点で、夢二には「夜の露台」という表現及びそこから醸成される「イメージ」があったことがわかる。
『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』の110ページには「夜の露臺(改版)」とある。調べてみると大正5(1916)年に千章館から『夜の露䑓』が出版されているので、春陽堂版は「改版」ということなのだろう。ちなみに、昭和60(1985)年にほるぷ出版から「初版本複刻」を謳って複刻されているのもこの春陽堂版である。
 外函のタイトルが右横書き(右から左方向に行が進む横書き)であることはともかくとして、「䑓」が気になってしまってしかたがない。【図1】でわかるように外函の文字は「手書き」風といってよいだろう。組版された奥付では「臺」が使われている。
 常用漢字表は「台」を掲げ、丸括弧に入れて「臺」を示す。常用漢字表の「まえがき」によれば、丸括弧内には当該漢字の康熙字典体こうきじてんたい〈1716年刊の中国の字書「康熙字典」にのせられている字体―筆者註。第18回参照〉を入れることになっているが、「台」と「臺」はその関係にあたらない。しかしまあ、話をいたずらに複雑にしないために、「台」を現在使っている字、「臺」は明治時代以前などに使われていた字とみることにすると、「䑓」は「臺」の略字といえるだろう。略字は手書きで書かれていたとみるのが自然だ。
 外函には手書き風に「露䑓」とあり、奥付には「露臺」と印刷されているだけで筆者は「ああ、大正期らしい!」と感慨深い。明治、大正期はこのように、手書き文字と活字とが併用されていた時期である。「併用」という表現はあたらないかもしれない。わざわざそうしていたのではなく、自然にそうなっていた。今ここでは具体的な文字を使ってそのことを説明したが、背後には「手書きのロジック」「活字のロジック」があるはずだから、その「ロジック」も交錯していたはずだ。そういうことを考えるとわくわくするが、竹久夢二の本を採りあげていて、これだけで終わるわけにはいかない。

【図3】

 この本には物語と詩とが収められている。そして【図3】のような夢二の挿画がところどころに入っている。詩は上部にデザインが施されたページに収められていて、【図4】は「恋慕夜曲」という題の詩の一部である。1ページには次のようにある。

【図4】


いはれなき少年の時の悲哀のごとく
黄昏は街をつゝめり。
路傍のプラタナスは葉をたれて
遠くはるかなる子守唄をきく。
悔悟と倦怠との闇のうちより
 この本はほとんどすべての漢字に振仮名が施されている。「悲哀」には「かなしみ」、「悔悟」には「くい」、「倦怠」には「つかれ」と振仮名がつく。これらの、漢字列と振仮名との結びつきは、この時期としてはそれほど特殊なものではないだろう。4ページでは「懐鄕病」に「ホームシツク」と振仮名が施されている。『日本国語大辞典』第2版の見出し「ホームシック」には次のようにある。
 ホーム‐シック〔名〕({英}homesickness から)故郷や家族から離れている人が、それらを恋しく思って悩む精神状態。懐郷病。*思出の記〔1900~01〕〈徳冨蘆花〉二・八「塾に居ても始終懐郷病(ホームシック)をもって居るのは、無理でない」*女工哀史〔1925〕〈細井和喜蔵〉一六・五二「山川幾重、遠く父母の膝下を離れて来た彼女達にホーム・シックな感情が多分に宿ってゐることは極めて当然である」*細雪〔1943~48〕〈谷崎潤一郎〉上・一〇「猛烈なるホームシックに罹って帰って来たんですから」
 徳冨とくとみ蘆花ろか『思出の記』と細井和喜蔵わきぞう『女工哀史』の間に、竹久夢二の用例がはいることになる。『女工哀史』では「ホーム・シック」と片仮名書きされており、おそらく次第に漢字列「懐郷病」の支えがなくてもこの語が理解されるようになっていったのだろう。
 さて、【図4】の3ページには「東京の夜こそ悲し。」とある。何を思ったかといえば、「コソ」を使っているのに、已然形で終わっていないということだ。「そこですか?」という感じかもしれないが、この「コソ終止形終止」の歴史は室町時代ぐらいまで遡ることができる。つまり、この頃から、いわゆる「係り結びの法則」〈文は終止形または命令形で結ばれるが、係助詞の「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」が文中で使われる場合、文末の活用形が「連体形」や「已然形」になるという古典文法―筆者註〉がくずれていく、ということだ。同じ3ページに「ほのかにやさしく忍びよるなれ。」とあって、末尾には「ナリ」ではなく、「ナレ」が使われている。こちらは「コソなし已然形」である。最後まで正則を保っていたと考えられている「コソ」を使っていながら、正則ではない表現が隣接してある、ということだ。もちろん明治、大正期にはこういうことは珍しくない。
 漢字字体が気になったり、外来語の書き方が気になったり、はては文法が気になったりして、はなはだ落ち着きのない「読み手」かもしれない。本はしゃれた装幀で、好ましいものであるということを最後に一言付け加えておくことにしよう。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。