『坂口安吾歴史小説コレクション』全3巻が、いよいよ12月に完結します。歴史上の人物をモデルに執筆された作品をまとめた本コレクションには、これまで見逃されてきた安吾の魅力が伝わる作品の数々が収められています。
そんな作品の選定をしていただいたコレクションの編者・七北数人さんは、安吾の生涯をまとめた『評伝坂口安吾―魂の事件簿』の著者であり、また1998年から筑摩書房より刊行が開始した決定版『坂口安吾全集』の編集にも関わっていました。
ご遺族の坂口綱男さんが「安吾探偵」とも呼ぶ七北さんに、前回に引き続き本コレクション刊行に至る経緯と、伝えたかった安吾の魅力を語っていただきました。


坂口安吾の魅力
安吾との出会い
──初めて安吾の小説を読んだのは、おいくつぐらいのころでしたか?
七北 15歳ぐらいですね。中学校3年生ぐらいのころに、太宰治の小説に出会いました。いっきに引き込まれてしまい、高校生になるころには、ほとんどすべての作品を読み終えていました。そこで、太宰の友達ということで、坂口安吾も読み始めたのです。でも、当時刊行されていた安吾の文庫本は、新潮の『白痴』と、角川の『堕落論』しかありませんでした。角川書店はかつて多くの作品を文庫化していたのですが、すでにほとんどが絶版になっていました。
『白痴』を読んだとき、「難しいな」と思いました。太宰は作家本人のイメージがありますよね。だからそのイメージを踏まえて作品を読むことができます。でも、安吾は本人のイメージがなかったので、読んでいても、何を言いたいのかがよくわからなかった。惹かれるところはあるけれど、作家の全体的なイメージがつかめなかった、というのが本音です。
あらためて安吾を意識したのは、1989年にちくま文庫版『坂口安吾全集』の刊行が始まってからです。歴史小説の『信長』や、安吾の自伝的な作品が、やっと読めるようになった。筑摩書房は、安吾だけでなく、太宰などの文庫全集も出していました。ちょうどその頃、それらを担当していた加藤雄彌さんという編集の方と知り合いになって、よく呑みに行っていたんです(笑)。
── どのようにその方とは知り合いになったのですか?
七北 私は1984年に就職をしたのですが、1年でやめてしまいました。その頃は、作家になりたくて小説を書いていたのです。仕事を辞めてから4年間ぐらい、作品を書いては新人賞に応募する、という生活をしていました。新人賞は、原稿用紙100枚から200枚の分量なのですが、書き続ける中で、その分量が自分には合わないと感じ始めました。そこで、自分に合った分量、原稿用紙30枚ぐらいのものを書くようになったのです。その分量だと新人賞には応募できないので、いろいろな出版社に原稿を送りました。それを読んで連絡をくれたのが、加藤さんでした。

筑摩書房の文庫全集
七北 加藤さんが編集した『岡本かの子全集』という企画にも関わりました。呑みに行くたびに「かの子全集だしてよ」と言っていたら、企画を通してくれたのです。『岡本かの子全集』の最後のほうの巻に、本名で解説も書いています。ちくまのPR誌にも、岡本かの子について書きました。
そんな経緯もあって、筑摩書房がハードカバーで決定版『坂口安吾全集』を刊行することになったときも、「手伝ってくれ」と誘われたのです。1997年から、アルバイトで加藤さんを手伝うようになりました。刊行が始まったのは1998年ですね。
文庫の全集では、文字の表記がすべて「現代仮名遣い」になっていました。ですので、決定版全集が刊行されるまで、安吾のしっかりとした「全集」は刊行されていなかったのです。底本も、文庫の時は初出単行本でしたが、ハードカバーの時はすべて雑誌などの初出紙・誌にしました。あとは、小説だけではなくて、「断簡零墨」(注:メモや草稿など)も全て掲載したいという加藤さんの強い意志もありました。

筑摩書房刊行の文庫版、決定版『坂口安吾全集』

決定版全集の刊行と坂口安吾研究会
七北 全集の第16巻は、ほとんど私が作っています。この巻には手紙などを掲載したのですが、その整理と補注をつける作業には、予想外の苦労が待っていました。手紙一式を受け取ったときは、もうぐちゃぐちゃの状態で、差出人だけはわかるけれど、いつ、どんな状況で出した手紙なのかわからない。手紙は坂口家に保管されていたのですが、ご子息の綱男さんが子どものころ切手収集が趣味で、手紙の封筒から切手を全部切り取ってしまった。だから、大部分の手紙は消印がなく、送られた日付がわからないんです(笑)。
さまざまな事実関係を調べて、手紙が書かれたであろう日付を解明していく。整理をしながら、それぞれの手紙がどんな状態だったのかもメモをしておいて、それも補注にしてまとめました。歴史小説と同じかもしれませんが、面白いことに、事実を積み重ねていくと、「この手紙はこれだ」という「答え」が見えてくる。
その書簡の整理には、半年かかりました。探偵のような大変な作業でしたけど、いま振り返ると楽しかったですね。
手紙の整理をした経験は、その後に刊行した『評伝坂口安吾』にもつながりました。安吾自身が書いたものも含めて、それまでに刊行されていた本の年譜は、事実関係の誤りが多かった。それをちゃんと正したいと思って、評伝を書きました。
── 全集の刊行後は、何か変化したことはありましたか?
七北 反響はものすごくありましたね。編者の一人だった関井光男さんも関わっていましたが、「坂口安吾研究会」が立ち上がったのは全集の刊行後です。いま新潟にある安吾の記念館「風の館」の話が出てきたのも刊行後ですね。
── いまでこそ安吾は、純文学を代表する作家という位置づけです。でも、多くの読者を得たのも、研究の対象になったのも、全集が刊行されてからなのですね。
七北 この全集を見たら研究したくなりますよね(笑)。全集が出る前に比べると、「安吾はこんなにもメジャーな作家になったか」という思いがあります。以前は、薄暗いというか、同じ無頼派でも、太宰治に比べればまったく読まれていませんでしたから。

七北数人『評伝坂口安吾―魂の事件簿』(集英社、2002年)

さいごに
── では最後に、改めて「歴史小説コレクション」の魅力を教えてください。
七北 安吾の歴史小説がまとめられた本は初めてです。特に第一巻は、時代順、人物順に作品を並べたので、話がつながる箇所も多く、面白く読めると思います。
安吾という作家の魅力の根本は、「イノチガケ」で生きた人間たちの姿を描いた、ということにあると思います。代表作は「堕落論」や「白痴」といわれますが、私としては、安吾の魅力が発揮されているのは、歴史小説だと思っています。「本当に面白いのはこっちなんだよ」ということが伝わればうれしいですね。(終)

七北数人(ななきた・かずと)
1961年9月23日、名古屋市生まれ。大阪大学文学部卒。出版社勤務を経て、90年頃から文芸評論活動を始める。97年より決定版『坂口安吾全集』(筑摩書房)の編集に携わり、同全集第13巻月報に「信長」論を執筆。同別巻に詳細な坂口安吾年譜および関連人物名鑑を執筆。2002年、集英社より『評伝坂口安吾―魂の事件簿―』を刊行。2006年から現在まで、坂口安吾デジタルミュージアムの「作品紹介」を毎月執筆している。編著書に岩波文庫版坂口安吾作品集、実業之日本社文庫「無頼派作家の夜」シリーズなど多数ある。


関連書籍

坂口安吾歴史小説コレクション第1巻『狂人遺書』(春陽堂書店)
安吾の「本当の凄さ」は歴史小説にあるー。第一巻には、「二流の人」「家康」「狂人遺書」「イノチガケ」など、全11作品を所収。(解説・七北数人)

坂口安吾歴史小説コレクション第2巻『信長』(春陽堂書店)
無頼派作家×天下のタワケモノ 坂口安吾が描く、若き日の信長の姿とは―(解説・七北数人)

坂口安吾歴史小説コレクション第3巻『真書 太閤記』(春陽堂書店)
安吾が描く、孤絶のバガボンドたち。全3巻完結編!(解説・七北数人)
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