『坂口安吾歴史小説コレクション』全3巻が、いよいよ12月に完結します。歴史上の人物をモデルに執筆された作品をまとめた本コレクションには、これまで見逃されてきた安吾の魅力が伝わる作品の数々が収められています。
そんな作品の選定をしていただいたコレクションの編者・七北数人さんは、安吾の生涯をまとめた『評伝坂口安吾―魂の事件簿』の著者であり、また筑摩書房の決定版『坂口安吾全集』(1998~)の編集にも関わっていました。
ご遺族の坂口綱男さんが「安吾探偵」とも呼ぶ七北さんに、本コレクション刊行に至る経緯と、安吾の魅力を語っていただきました。


坂口安吾の歴史小説
なぜ「歴史小説」だったのか?
──坂口安吾のアンソロジーを企画するに際して、なぜ「歴史」というキーワードを選んだのでしょうか?
七北 最初に、春陽堂書店から安吾の本を出したいという相談がありました。シリーズで、三冊程度にまとめたいと相談され、テーマを考えた時に浮かんだのが「歴史」というキーワードでした。
安吾は多くの歴史小説を書いていますが、いま書店で手に入るものが少なくなっています。かつては河出文庫や講談社文芸文庫などで刊行されていましたが、そこに入っていなかった作品も多かった。だから、三冊ぐらいならまとめられるかもしれないなと、あたりがつきました。
でも、実際に作品を選び始めたら、五巻ぐらいの分量になってしまった(笑)。それは歴史エッセイも含めて全部入れようというコンセプトだったからです。でも、エッセイは補足的なものでもあるので、解説で触れればいい。そうやって作品を絞り込んだ結果として、いまのラインナップになりました。
以前刊行されていた講談社文芸文庫は、一冊の中に歴史小説と現代小説が混じっていました。でも、本屋に行くと、歴史小説やミステリ小説はジャンル分けされて陳列されていますよね。安吾は歴史小説もミステリも書いていますが、その棚には並ばない。今回のコレクションは文庫ではなくハードカバーで刊行したので、現在、書店の歴史小説の棚に並んでいます。安吾の本が、歴史小説の棚にならんでいるのは新鮮でした。
もうひとつ、大きな理由は、僕が安吾の歴史小説が好きだからです(笑)。安吾のすべての小説で好きな小説を三つ上げるとしたら、真っ先に「信長」を入れます。あとは、「桜の森の満開の下」と、自伝物からひとつといったところでしょうか。
書痴としての安吾
── 安吾はなぜ1940年代に歴史小説を書き始めたのでしょうか?
七北 安吾は若いころから文学青年で、書痴といえるほど、ものすごい量の本を読んでいます。本を読むことで、世の中の真実を探求したい、明らかにしたいという意欲を強く持っていた人です。だから、素質的に歴史小説に向いていました。歴史の「事実」を探求して、そこに自分の見つけた「真実」を投影しています。それは現代小説を書く時も一緒だったようで、本人も「歴史ものと現代ものを分けて考えてはいない」と書いていました。
最初に書いた歴史小説は「イノチガケ」ですが、それは小田原で三好達治にキリシタン関係の資料を大量に紹介されたことがきっかけのようです。その資料を読んでみたら、とにかく面白かった。そこで、何とか小説にしたいと考えたようです。ただ、安吾はとてもマニアックな人ですので、ものすごく調べた上で書いたのだと思います。歴史小説にかぎらず、安吾は、まずは本や資料を読んで、そこから得たインスピレーションを基に小説を書く人だったと思います。ミステリも大量に読んでいたようです。誰の言葉だか忘れましたが、なぜ小説を書いたのかと聞かれて、「小説を読んだからだ」としか言えないと。安吾も、そういった側面があったと思います。

七北 くわえて、出版社が何を求めるかによって、書き分けていました。安吾が「ドストエフスキーもそうだった」と言っていますが、当時は、安吾の元に俗悪な注文がいっぱいきていた(笑)。それに応じつつも、ちゃんと面白い小説にする。そういった気概がありました。注文に応じて料理する楽しみもあったのではないでしょうか。
「歴史の事実」を描く
── 安吾が歴史小説を書いていた時期は、他にどんな作家、作品が出ていたのでしょうか?
七北 吉川英治は、安吾が歴史小説を書く数年前に、『宮本武蔵』を書いています。安吾自身、吉川の『宮本武蔵』をある年のベスト作品だったと、座談会で言っています。一方で、『宮本武蔵』はおもしろいが、自分が考える武蔵とは違うとも書いています。吉川英治に触発されて、歴史小説を書いたという面もあるでしょう。
それまでの歴史小説は、小説が「歴史の真実」と乖離していてもよかった。いわゆる「読本」などがそうですよね。吉川英治の作品もそうで、架空の人物もたくさん登場します。現在の水準で学者がみたら、安吾の「歴史の事実」は中途半端に調べたものにすぎないのかもしれません。ただ、意識の上で、「事実」を描くことを目指していました。
この時期は、雑誌などで「これからの歴史小説」といったタイトルで座談会が行われるなど、「歴史」をどう描くのかが問われていました。まわりの友人たちも歴史小説を書いていたようなので、安吾にとって、歴史小説を書くという事は自然なことだったと思います。その座談会には、安吾も参加をしていました。ただ、その時は全然しゃべっていないんですけどね。
── 刊行前に各作品を読んだのですが、いま現在、歴史上の偉人に付されているイメージの根底には、安吾の作品があるのかなと感じました。
七北 一般的に、そうだと言われています。例えば、司馬遼太郎は安吾が好きでした。二人の信長像は違いますが、安吾が描いた「ヒーローとしての信長」というイメージは、当時は新しかったと思います。他の作品でも、選んだ人物も含めて、後世への影響は大きいと思います。
安吾と信長
── 安吾は様々な歴史上の人物を描いていますが、誰に親近感を抱いていたと思いますか?
七北 それは信長だと思います。いちばん「ハグレモノ」で「タワケモノ」で、いちばん孤独な人物です。安吾は戦後の1948年に「織田信長」を書き始めます。でも、その後生活が厳しくなって、5年ぐらい執筆が止まってしまいます。その止まっていた時期に、ミステリやエンターテインメント寄りの作品を多く書いていました。そして、また歴史小説に戻ります。歴史小説を書くときは、身構えるのかもしれませんね。作品にかける労力が、エンタメを書く時と、歴史小説や純文学を書く時は違うのだと思います。そういう意味では、安吾にとって歴史小説を書くことは、純文学作品を書くことと、感覚的に近かったのだと思います。作家が自由に描ける世界と、そうではない、事実などを基にした小説の違いです。
いよいよ「信長」に取りかかった安吾の熱意が相当なものだったことは、「信長」の連載以外ほとんどの仕事を断って集中していたことからもわかります。「信長」本篇も、業火に包まれるように熱い、と感じます。こんな熱さは、現代小説ではなかなか書けないものですから、安吾は歴史小説を「書かねばならなかった」のでしょう。後半生のライフワークが「信長」で果たせたんじゃないかな、という気がします。
歴史小説コレクションの魅力
── 歴史小説コレクションで一番読んでもらいたい作品はどれでしょうか?
七北 安吾が最初に書いた歴史小説、「イノチガケ」を、まずは読んでほしいです。安吾は「白痴」や「堕落論」が代表作といわれますが、僕はそうは思っていません。僕にとっては、この三冊のコレクションにまとめた歴史小説の方が、安吾らしい作品だと思っています。安吾の「孤独」や「ハグレモノ」という感覚が詰まっている。「イノチガケ」で生きるしかなかった時代に、頑張って生きていていた人々の姿が描かれています。
── 歴史小説ではある一方で、作品を発表した時代に生きていた人々とも、パラレルな世界だったということですね。
七北 「白痴」は、空襲の場面を除くと、それまでの安吾作品とそんなに変わりはないんです。小林秀雄との対談で、小林が「白痴」をすごく褒めるのですが、安吾はあんまりピンとこなくて、「『白痴』なんかよか、さっきの将棋の観戦記みたいなもののほうが、かえっていいんじゃないかと思ってるよ」と述べています。「散る日本」など、この当時書いていた安吾の観戦記は、作中で宮本武蔵や織田信長などを例に挙げて、なりふりかまわぬイノチガケの勝負師たちの生きざまを描くものでした。将棋の世界でも文学の世界でも、安吾は真正の勝負師だけを愛していて、こういう世界を小説で描くにはやっぱり歴史小説がピッタリだったんだと思います。
── 安吾の代表作には、短編があげられることが多いですよね。
七北 安吾は長編小説を書く際、ドストエフスキーを模範にしていたところがあります。ドストエフスキーの長編は散漫というか、章ごとに、出て来るものが全然違います。主人公も変わるし、全然違う話になったりする。安吾も、そういうところがあります。安吾は、仲間たちと研究会を立ち上げるほど、ドストエフスキーを意識していました。
── 安吾の長編小説が読めるのも、「歴史小説コレクション」の魅力ですね。

坂口安吾歴史小説コレクション刊行記念 編者:七北数人さんインタビュー 後編へつづく

七北数人(ななきた・かずと)
1961年9月23日、名古屋市生まれ。大阪大学文学部卒。出版社勤務を経て、90年頃から文芸評論活動を始める。97年より決定版『坂口安吾全集』(筑摩書房)の編集に携わり、同全集第13巻月報に「信長」論を執筆。同別巻に詳細な坂口安吾年譜および関連人物名鑑を執筆。2002年、集英社より『評伝坂口安吾―魂の事件簿―』を刊行。2006年から現在まで、坂口安吾デジタルミュージアムの「作品紹介」を毎月執筆している。編著書に岩波文庫版坂口安吾作品集、実業之日本社文庫「無頼派作家の夜」シリーズなど多数ある。


関連書籍

坂口安吾歴史小説コレクション第1巻『狂人遺書』(春陽堂書店)
安吾の「本当の凄さ」は歴史小説にあるー。第一巻には、「二流の人」「家康」「狂人遺書」「イノチガケ」など、全11作品を所収。(解説・七北数人)

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無頼派作家×天下のタワケモノ 坂口安吾が描く、若き日の信長の姿とは―(解説・七北数人)

坂口安吾歴史小説コレクション第3巻『真書 太閤記』(春陽堂書店)
安吾が描く、孤絶のバガボンドたち。全3巻完結編!(解説・七北数人)
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