ミリオンセラー『思考の整理学』(ちくま文庫)の著者であり、専門の英文学にとどまらず、幅広い分野で活動を続けている外山滋比古先生が、このたび『忘れるが勝ち! 前向きに生きるためのヒント』を上梓しました。ファン待望の書下ろしである本書は、私たちの思考や人生において、「忘れる」ことがいかに大切かを語った一冊です。刊行を記念し、95歳(2018年12月現在)の外山先生にお話をうかがいました。


『忘れるが勝ち!前向きに生きるためのヒント』外山滋比古(春陽堂書店)
人間が生まれ持った「忘れる」という能力が、いかに素晴らしいかを95年の長い人生を振り返りながら説く。大ベストセラー『思考の整理学』(ちくま文庫)以来、著者が一貫して読者に提示してきた考え方のコツを交えながら「忘却」の効用を披露し、前向きに生きてくための知恵が満載の一冊。

大切なのは頭のゴミ出し
── 私たちは、日常生活で情報や知識を得ることに懸命になっているような気がします。「忘れるが勝ち」というのは、知識重視の現代社会において逆説的な考え方のように思えます。そのように考えるようになったのはなぜですか?
外山 「忘れる」ことは人間の基本です。「覚える」ことは特別な努力を必要としますが、人は自然に忘れます。例えば、睡眠中に頭の中の余計な記憶を整理するレム睡眠というのは、そのためにあるのですから。すべての人は生まれつき忘れることができますが、覚えることは、努力をしないとできません。
 ただ、今の学校は教えたことをテストして点を付けます。そのため、多くの人が「忘れてはいけない」と思うようになりました。でもそれは大間違いです。だいたい人間は忘れるようにできており、それが自然だからです。
── 先生はお茶の水女子大学をはじめ、長年教鞭をとっていました。多くの生徒さんを教えてきた経験から、そのように考えるようになったのですか?
外山 学生には「覚えている」というのは後ろ向きな状態であって、過去のことを覚えているのだと話してきました。本当は、頭は前向きでなくてはいけません。前を記憶することはできないわけですから。人は生きていれば忘れるものなので、自然に任せれば結局うまくいくのです。へたに努力をして覚えても、たいしたものにはなりません。記憶の中身も、害のあることなどを覚え続けていたら絶対にダメです。必ず忘れなくては。
 学校は問題を出して答えを書かせ、それが合っているかどうかだけを評価します。教師が教えたことを生徒に忘れてもらっては困るのです。学校の成績のよい人というのは、本当の意味で頭がいい人なのかどうかはわかりません。最近は機械が記憶力を持つようになってきましたからね。
── 人工知能、つまりAIといったものですね。
外山 記憶することにかけては、機械のほうが人間よりはるかに優れています。しかし、機械はおそらく壊れない限り、「忘れる」ことはできないでしょう。ところが、人間は選択的に忘れることができます。眠っている間に記憶を自動的に選択しているのです。先ほど話したレム睡眠がうまくいっている人は、朝起きたときにゴミみたいな知識を捨てているので、朝の目覚めは爽やかです。朝、頭が重いのは、忘れ方が不十分で、知識のゴミが頭に溜まっていてうっとうしいからです。学校は記憶することが大事だと教えてきましたが、人間は記憶するよりはむしろ忘れることのほうが大事なので、忘れない人が出てくると困ります。そこで人間は、レム睡眠で忘れることが生まれつきできるようになっています。
 世の中の人は、忘れることは困ると思っていますが、どんどん忘れて頭が空っぽになっても、病気にはなりません。頭を空っぽにしたら、優秀な頭になって新しいことをどんどん覚えられるでしょう。頭はとかくゴミが溜まりやすいのです。
── 頭が知識でメタボリックシンドロームになってしまうということですね。そうなったときは、どうしたらよいのでしょうか?

外山 よく、「覚えて忘れる」と言いますが、忘れるほうが先です。忘れると頭の中の容量が空くので、新しい知識を入れることができます。「忘れて覚えて、忘れて覚えて」いく。これが「覚えて忘れる」だと、頭の中の知識のゴミが残ってしまいます。その結果、覚えるのが得意で成績がよく、いわゆる秀才タイプの人は、30歳ぐらいになるとただの人になってしまうのです。そういう人は、運動をして頭を空っぽにするといいですね。
よく学び、よく遊べ
── 先生も長い間、散歩を習慣にしていました。社会人もたまには運動をして、頭を空っぽにするのがよいのですね?
外山 入浴やジョギングは、汗を流すことで頭の中がきれいになります。身体と頭が一緒になるのです。ときどき遊んでもいいし、酒を飲んでもいいと思います。悪いことはなかなか頭にこびりついて忘れられませんから、酒を飲むと頭の中がきれいになります。普通、机に向かって本を読んだり、書いたりする時間が長ければ勉強になるといいます。しかし、それは違います。
 昔、「よく学び、よく遊べ」ということわざがヨーロッパから入ってきました。日本では何でもヨーロッパのまねをするので、日本の小学校には、「よく学び、よく遊べ」という標語が掲げられています。なぜ、「よく遊べ」なのか。それは、勉強ばかりしているとダメになってしまう、「よく学び、勉強したら、よく遊びなさい」というヨーロッパの基礎教育の原則です。日本では明治時代に輸入しましたが、うまくいかなかったのです。現代では、そこに人工知能が出てきて、学校は目標を失って、どうしていいかわからなくなっているのではないでしょうか。
大いに失敗すべし
── 人間は、どうしたら人工知能に負けないでいられるのでしょうか?
外山 一つは「忘れる」ということですが、もう一つは「間違う」ということです。
「間違う」こと、「失敗する」ことを、われわれは今まで恐れてきました。しかし、間違わずに正解ばかりを出すことはできないのです。間違えてから正解にたどり着く。まず失敗があって成功する。正解より間違いが先行するのは、ちょうど忘れることが記憶より先行しなくてはいけないのと同じです。
「七転び八起き」ということわざがあります。一回失敗したら、次は必ず成功するわけではありません。成功するまで、何度も失敗を重ねることもあります。一度失敗すると、たいていの人はがっくりきて、挑戦しなくなります。ですから七転び八起きと昔の人が言ったことは大事です。六回か七回ぐらい挑戦するといい結果が出てくる、と。
 われわれは、まず成功しなければいけないと思いがちです。でも失敗して絶望したらダメです。失敗を繰り返すと、みな諦めて自分はダメだと思い込んでしまいます。失敗して転んだら立ち上がる。また転んだら、また立ち上がる。これが人間の価値を決定します。それにはまず失敗しなければいけません。
── 最初からうまくいっている人は、成功するのが難しいということでしょうか?
外山 例えば、恵まれた家庭に生まれたということは、ある意味、不幸です。親は二代目には苦労をさせないように、自分よりもいい教育を受けさせますが、二代目は親よりもダメになることがあります。二代目は初代に絶対かないません。それは個人の責任ではなくて、いい失敗の経験が不足しているからです。
初代は失敗をして成功したのに、親は失敗を取り去って、成功だけを子どもに伝えようとする。失敗経験がないわけですから、世の中を甘く見てしまいます。いい加減な気持ちで行けば必ず失敗します。失敗したとき跳ね返す力がないから、また失敗を呼ぶ。世襲制度がよくないのは、失敗の経験を伝えるすべがないからです。

人間は走り続ける自転車である
── ところで、先生は現在も精力的に執筆活動を続けています。ずっと書き続けていられる秘訣などがあったら教えてください。
外山 人間というのは自転車と同じです。止まるとダメなのです。人間は二本足だから、走っているときは強い。走っていれば転びませんが、止まると転びます。早く走って、スピードに乗る方がいいのです。
 人間は二本足で歩いていること自体、動物としては不自然です。普通の人は、自転車に乗っていることを忘れて、車に乗っているつもりになっています。そして、ふと休んでしまうと、動けなくなってしまいます。人間は動いてさえいれば大丈夫。健康にとって一番いいのは、休まないで前に向かって走ることです。ただ、気持ちはそうあっても、だんだん体はいうことをきかなくなります。長寿になると、先に体が衰えてきて、頭の方が長生きします。長生きする頭と、衰えていく体とを、うまくバランスを取っていくのが自転車の新しい乗り方です。つまり、ごくゆっくりしたスピードでも、転ばずにちゃんと前に進む方法です。そのために、年を取った人は何か新しい生き方を考える必要があります。面白いことや、世のため人のためになることをするのはどうでしょうか。
── これから人生の後半戦を生きていくには、とにかく走り続けていくということですね。
外山 そうです。走り続けるために、面白いことをし続ける。そのためにどうしたらいいかというと、面白いことは人によって違うので、それぞれが考えなければなりません。お金を増やすことが面白いという人もいるし、仲間を増やしてみなと一緒にいろんなことをしたい、という人もいます。政治的なことは年を取ったら面白いかもしれません。一人でいるとダメです。善いことをしなくても、多少悪いことをしても、みなと一緒に動いて生き生きと年を取る。それが自転車の新しい乗り方です。
 サラリーマンの一番の壁は定年です。それをうまく乗り超えると、あと30年ぐらい生きるのは何ということはありません。ですから年を取ったら、自分なりの、人間としての生きがいや、明日いいことがあるかもしれないと思える面白いことを、ぜひ、見つけていただきたいと思います。(終)

外山滋比古(とやま・しげひこ)

1923年、愛知県生まれ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学英文学科卒業。1951年より、雑誌『英語青年』編集長となる。その後、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。現在は、お茶の水女子大学名誉教授。専門の英文学にとどまらず、思考、日本語論の分野で活躍を続ける。主な著書に、『思考の整理学』(ちくま文庫)、『外山滋比古著作集』(みすず書房)など多数。


この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。