新潟市の西大畑に生まれた坂口安吾は、その地で、少年期まで生活をしていました。その生家近くに残された、築90年を超える旧市長公舎を利用する形で作られたのが、「安吾 風の館」です。洋風の応接間を使用した展示室では、安吾の遺愛品や作品資料などが、テーマに沿って展示されています。
「安吾 風の館」の館長を務めるのは、カメラマンとしても活躍する、坂口安吾のご子息・坂口綱男さん。『坂口安吾歴史小説コレクション』の編者である七北数人さんとともに、安吾作品を後世に残すべく、活動をされています。
そんな坂口綱男館長に、「安吾 風の館」について、またご自身が関わっている「坂口安吾デジタルミュージアム」について、そして、父・安吾についてのお話を聞いてきました。


残された遺品
──「安吾 風の館」は、どのような経緯で作られたのでしょうか。
坂口綱男館長(以下、坂口館長) 坂口安吾が亡くなった時、小さな蔵ひとつ分ぐらいの遺品が残されたんです。安吾の衣類や、日記、書きかけの原稿、メモの類、そして蔵書が収められた本棚が5竿ほどです。本棚は、大きいものは高さと幅が1メートル80センチぐらい、一番小さいものは、この応接間で使用しています。

「安吾 風の館」で使用されている遺品の本棚

それらの遺品が、安吾が亡くなるまで住んでいた桐生の家に残されていました。
桐生は貸家だったのですが、安吾が無くなった後、母と私は東京で暮らし始めました。最初は向島の祖母の家へ行って、その後、四谷に移った。遺品は桐生の借家の土蔵に預かっていただいていたのですが、四谷に引っ越した時に、初めて引き上げたんです。その量は、目一杯詰め込んで8~10帖ぐらいのスペースがいっぱいになってしまうほどで、足の踏み場もないような状況でした。しかも、一般木造住宅だったので、底が抜ける恐れもあった。その後、早稲田に引っ越しをした際、ちゃんと遺品用の部屋を作ったのですが、きちんと整理された環境ではなかった。研究者の方や、卒論を書いている学生さん、あとはテレビの取材などで遺品を見たいという連絡がくると、必要な資料を探すのに、私の仕事を1日休まないといけないほど、対応が大変でした。だから、母が亡くなってから、遺品をどこかに預けたいなと思っていました。
預けるなら、ちゃんと公開したいなと思ったんです。かび臭いような、何年も展示を変えていないような記念館にはしたくなかった。何度足を運んでも見飽きないような記念館にしたかったんです。同時期に、遺品をWeb上で公開しようと考えていたのですが、なかなか思うように進められず手こずっていた時に、たまたま安吾の生家から100メートルも離れていない場所にある市長公舎が空いているという話が来たんです。

「風の館」の企画展について
坂口館長 2009年に「安吾 風の館」がオープンしてから、いろいろなテーマを決めて、展示をやってきました。最初は、坂口安吾とはどんな人物かがわかる展示をして、次の部屋で企画展示をしようと考えていたのですが、ここは記念館のために建てられたものではなくて、もともとあった建物を記念館にしているので、複数の展示室をつくる場所がない。だったら、安吾の紹介は少なくして、定期的に面白い企画展をやって、遊びに来てもらおうと考えたんです。最初の企画は、「安吾の娯しみ」というテーマで、子どものころから得意だったスポーツや、囲碁に関する展示でした。人間安吾にふれてもらいたかったからです。それ以降、年に3回展示を変えながら公開をしています。展示会の企画を考えたり、ポスターを作ったり、館の運営はすべて自分たちでやっています。
前回の展示は「旅 安吾、政宗の城に乗込む」というタイトルで、仙台と安吾をテーマにしました。『安吾新日本地理』という本の中に、「伊達政宗の城へ乗込む--仙台の巻」という章があります。その中で安吾が訪ねたゆかりの地を、私と学芸員と七北数人さんの3人で調査してきました。安吾が訪ねた場所の現在の写真を私が撮って、昔の写真と一緒に展示したりしました。

坂口安吾デジタルミュージアムについて
── 坂口安吾デジタルミュージアムは、どのように立ち上げたのでしょうか?
坂口館長 「風の館」がオープンする前から、Web上で全遺品を公開しようと考えていたんです。実物を見せたいという思いもありましたけど、手元にある全遺品を公開したかったのです。でも、セキュリティーはしっかりかけたかった。生原稿などがコピーされたりするとまずいので、きちんとやろうとしたら…… そこで躓いてしまったんです。だから、本来の計画を少し変え、画像のサイズなどを調整して、デジタルミュージアムを公開しました。開設が2004年ごろなので、そろそろリニューアルが必要なのですが、なかなか手がつけられていませんね。
── デジタルミュージアムを公開してからの反響はどうでしたか?
坂口館長 アクセスは、びっくりするぐらい多いですよ。「坂口安吾」と検索すると、大概トップに出てきます。いまも、安吾のことを調べるなら、Wikipediaかデジタルミュージアムか、というぐらい見られている。でも、自前で運営しているので、何かと不具合も多いです。データの保管の問題もあります。残された資料の撮影、映像化は私がすべてやりましたが、データの形式や保管するメディアは年々変化するので、以前撮影したものが使えなくなることもあります。デジタル写真の世界でいう「劣化」というものですね。
継承者であることの愉しみ
── デジタルミュージアムの運営も、資料の撮影も坂口館長がされているんですね。
坂口館長 継承者だからこそ、いろいろなことがやりやすいですね。それがおもしろくて、抜けられなくなったところもあります。生原稿をスキャンして、印刷して、吹雪の中に置いて写真を撮ってみたこともあります。こんなこと、普通はできないですよね。遺品をつかって、安吾の部屋を再現したこともありました。
── デジタルミュージアムにしても、記念館にしても、安吾に関わることを愉しんでいるんですね。
坂口館長 資料を整理しながら、それがどんなものなのかを知ると、作品の間にストーリーができあがってきます。それも面白いですね。資料を貸し出すときに、受け取る方の手が震えていたこともありました。遺族からしてみれば、ただの紙一枚なんですが、人にとってはそうじゃない。もともと遺品は身近にあったものです。子どもの頃、安吾が使っていた野球のバットを振り回したり、父の釣り竿とかをつかって市ヶ谷の釣り堀で遊んでいたわけですから。遺品というより、昔からあるものなので、親近感がある。逆にいうと、それらが作品の中に出てきたりするのが、面白いなと思いますね。

「安吾 風の館」坂口綱男館長インタビュー(後編)へつづく

 坂口綱男(さかぐち・つなお)

1953年8月、群馬県桐生市に坂口安吾の長男として生まれる。写真家/日本写真家協会会員。1978年よりフリーのカメラマンとして広告、雑誌の写真を撮る。同時に写真を主に文筆、講演、パソコンによるデジタルグラフィック・ワーク等の仕事をする。1994年11月、安吾夫人・三千代の没後は、息子という立場から、作家「坂口安吾」についての講演なども行っている。また写真と文で綴った「安吾のいる風景」写真展を各地で開催。主な著書、写真集に、『現代俳人の肖像』(春陽堂書店、1993年)『安吾と三千代と四十の豚児と』(集英社、1999年)、『安吾のいる風景』(春陽堂書店、2006年)などがある。
関連書籍

『安吾のいる風景』(春陽堂書店)無頼派作家・坂口安吾を父に持つ坂口綱男が、父の彷徨の足跡を辿るフォト・エッセイ。坂口安吾とゆかりのある場所を訪ね、そこで父が何を想ったのかを推測し、そのイメージを写真として収録しています。名作「桜の森の満開の下」も収録しています。

坂口安吾歴史小説コレクション第1巻『狂人遺書』(春陽堂書店)
安吾の「本当の凄さ」は歴史小説にあるー。第一巻には、「二流の人」「家康」「狂人遺書」「イノチガケ」など、全11作品を所収。(解説・七北数人)

坂口安吾歴史小説コレクション第2巻『信長』(春陽堂書店)
無頼派作家×天下のタワケモノ 坂口安吾が描く、若き日の信長の姿とは―(解説・七北数人)

坂口安吾歴史小説コレクション第3巻『真書 太閤記』(春陽堂書店)
安吾が描く、孤絶のバガボンドたち。全3巻完結編!(解説・七北数人)