『老後は非マジメのすすめ 後半生は落語的に生きるべし』出版記念特別インタビュー

落語界の希代の天才・立川談志。
9年半の間、前座として身近にお仕えしたのが談慶師匠です。
『老後は非マジメのすすめ』本文中には人生の後半戦を生きるための談志珠玉の言葉が随所にちりばめられています。
ここでは代表的な3つに絞って、師匠にその意味を語っていただきました。

真打ち昇進直後、談志師匠(右)との貴重なショット。
(談慶さんご提供)

談志の言葉①
「落語とは人間の業の肯定」(本書35ページ・62ページ)
──談志を語る上で欠かせない言葉ではないでしょうか。
がつんとやられます。

立川談慶(以下、談慶) 人間はもともとダメなもんだ、だらしないもんだ──落語はそうした考え方を分かち合っているからすばらしい、という意味です。すべての落語にあてはまりますね。
だらしなくてもいい。きまじめに対する非マジメ的な、人間回復宣言です。ほっこりするでしょ。許し合えば戦争だって起こりません。
私が初めて聞いたのが大学3年の頃で、すごい言葉だなぁと思いました。
談志に入門するきっかけはここにありました。予言者に導かれるように落語の世界に入ったのです。背中をたたいてくれたのですね。
談志49歳、立川流を立ち上げて2年目、1985年の言葉です。
談志の言葉②
「男にできて女にできないものなんて、ない。男が勝手に作ってダメになったのがいまの世の中なんだから、女が変えていくしかないだろう」(本書68ページ)
──これぞフェミニスト! 驚きの視点です。
談慶 談志って独裁者で強権発動する男というイメージがありませんか? でもそれは弟子たちがおそれ敬ったからで、強引なイメージを与えているんだと思います。
それにキャラがはっきりしていた方がネタにしやすい。お客さんもそんなイメージを期待していましたね。
実際は、おかみさんを大切にしていました。前座時代に私の妻が出した手紙にも必ず返事をくれましたね。
本当に世の中は男が作ってダメにしたと言い切ってましたし、女性の可能性を信じていたのです。
つまり、平等主義者だったのです。
それは誰にでも可能性があるんだという意味で「お前ら、いつでも俺を超えていけ」と常々言っていました。
談志の言葉③
「“田舎者”とは了見の問題で、出身地のことではない」(本書167ページ)
──慧眼(けいがん)ですね。東京都心に住んでいても洒脱(しゃだつ)じゃない人間もいるでしょうし、地方の方でも粋に暮らしている人は大勢いるように思えます。
談慶 (師匠は)デリカシーのない人が嫌いでした。照れのない人、遠慮のない人が嫌いと言ってもいいと思います。人の空間にズケズケと入ってくるような。
談志と一緒に地方公演に出かけて、地元の農家の方から新米をふるまわれたことがありました。とってもおいしかった。その時の(師匠の)言葉が忘れられません。
「いいか、このお米ができるまでにはこちらの方々が草を取り、田を耕し、苗を植えて、稲に成長してお米になるんだ。この米こそお金なんだよ。都会の真ん中でクーラーの効いた部屋で右から左へと動かして儲けたものなんてお金じゃない。この2つはしっかり色分けして考えろ」
これこそ、教育者・談志の面目躍如。都会や地方の単純な二元論は語らない人でした。地道に仕事と向き合う地方の人を評価して向き合っていたのです。
(インタビューを終えて)
前座の期間、四六時中、談志の薫陶(くんとう)を受けた談慶師匠。
「ほんとめんどくさい人」「小言のビッグデータ」と語りながらも、吸収できるエキスはグッと自分の財産にしています。
そのすべてが詰まった『老後は非マジメのすすめ』
みなさま、ぜひ、お読みください!

(取材・構成、岡崎成美)

「非マジメに生きよう‼」談慶師匠(筆)

 立川 談慶(たてかわ・だんけい)
落語家。1965年生まれ。長野県上田市出身。
慶應義塾大学経済学部卒業の後、株式会社ワコール入社。1991年、一念発起して立川談志十六番目の弟子となる。前座名は立川ワコール。2000年二つ目昇進。立川談慶となる。2009年4月真打昇進。特技はボディビルでベンチプレス120Kgをらくらくとこなす。

『老後は非マジメのすすめ 後半生は落語的に生きるべし』
(春陽堂書店)立川談慶・著

落語の舞台は、「定年」という概念が存在しなかった江戸時代。
『長屋の花見』『芝浜革財布』『小言幸兵衛』他、魅力的な登場人物から読み解く、老後の【非マジメ】な生き方とは?
師匠・立川談志との貴重なエピソードも満載! 落語ファンのみならず、引退を控えた日本の功労者たちに贈る人生後半戦の参考書。