せきしろ

#12
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。12回目は次の2本をお届け。

漬物桶に塩ふれと母は産んだか
  大正一四年 『層雲』三月号 独座三昧(三七句)
漬物石になりすまし墓のかけである
  大正一四年 『層雲』一一月号 足のうら(三六句)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 

 漬物桶に塩ふれと母は産んだか
昼間目覚めて風呂に入る。窓を開けると浴室に瞬く間に冷気が入り込んできて顔がひんやりとしてきて、まるで露天風呂に入っているような気持になる。なんだか気分が良くなって、私は口笛を吹き始める。
人も建物も密集した都会にあるアパート。隣人や通行人、郵便配達員等、誰に口笛を聞かれることになるかわからない。普段なら恥ずかしくて止めるところだが、露天風呂気分が「聞かれたっていいや」と私を開き直させて、口笛の音をさらに大きくなった。
どうせなら誰かに聞かれること前提で吹くことにしようと思った。この口笛を最も聞く可能性があるのは隣の部屋の住人だろうから、私は隣人の頭にしばらく残るような口笛にしようと思った。隣人が「この口笛の曲、聞いたことあるけど、曲名が思い出せない。なんだっけ?」という状況になることを想定し、昔のヒット曲か懐かしのCMソングを選ぶことにした。
などと考えていた時、外で物音がした。隣の部屋のドアが開き誰か出てきた。隣人だ。物音から判断するに玄関横に設置された洗濯機で洗濯を始めるようだ。
口笛を吹くなら今だ。それなに私は息をひそめる。いざとなったら口笛を聞かせる勇気などないのだ。お昼からお風呂に入って、窓を開けて露天風呂気分を味わい、湯気を外にまき散らしていることが恥ずかしいし、「入浴中か」と相手に気を遣わせることになるかも嫌だ。
私はじっとしながら、時が過ぎるのを待った。動けばお湯が音を立ててしまうだろうから我慢した。その昔、入浴中に大家さんが滞納分の家賃の取り立てに来た時の居留守を思い出した。あの時も1時間くらいじっとした。


 漬物石になりすまし墓のかけである
何か都市伝説があったとして、それが流行ってしまえば様々な情報が飛び交うわけであるから対処法を知ることができる。
例えば『小銭さん』みたいな小銭を落とす人の都市伝説があったとして、小銭さんに「その小銭を拾って」と言われた時に拾わないと殺されてしまうみたいな内容だったとする。その『小銭さん』が流行ってしまえば「小銭を拾う」という行動を選択すれば良いことを知るから対処できるのだが、もしも流行る前に出会ってしまったら、小銭を拾う方が良いのか、拾わない方が良いのかわからない。拾ってあげるのが正解、いや逆に拾うとダメ、あるいは拾わずに逃げればOKなど選択肢は無数にある。
厄介なのは小銭に対する行動ではなく、まったく別の行動をしなければいけない時で、小銭さんに「自分で拾いなさい!」と強く言わなければいけないとか、その昔私を恐怖に陥れた『口裂け女』の「ポマード!」のようになんの情報もない状態では絶対に思いつかない言葉を叫ぶ系だともう終わりだ。「1円に泣く!」くらいならまだ咄嗟に出る可能性はあるが、「ラストオーダー!」と言わなければいけないなんてわかるはずがない。
都市伝説とは違うが、もしもメデューサに会った場合。メデューサの目を見ると石になってしまうことは知っているから対処できたとしても、一緒にいた私の友人が石になってしまったら、私はその人を元の姿に戻そうと動き回ることになる。石化について調べ、情報を得て、元に戻そうとする。壮大でファンタジーな冒険になるかもしれない。それは嫌でも面倒でもない。努力を惜しまず必死になるはずだ。
ただ冒険から帰ると、親が漬物石代わりにしている可能性はある。

プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
<尾崎放哉 関連書籍>

『句集(放哉文庫)』

『随筆・書簡(放哉文庫)』

『放哉評伝(放哉文庫)』