せきしろ

#18
想像から物語を展開する「妄想文学の鬼才」として、たとえる技術や発想力に定評のあるせきしろさん。この連載ではせきしろさんが、尾崎放哉の自由律俳句を毎回ピックアップし、その俳句から着想を得たエッセイを書き綴っていく(隔週更新)。18回目は次の2本をお届け。

こんなよい月を一人で見て寝る
  大正一四年 『層雲』新年号 色声香味(三七句)
考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
  大正一四年 『層雲』七月号 小浜に来て(二二句)
放哉の句から生まれる新たな物語。あなたなら何を想像しますか? 

 こんなよい月を一人で見て寝る
20代前半に少しだけ東北に住んでいたことがあって、時折東北新幹線に乗ることがあった。たしかまだ東京と盛岡間しか走っていなかった頃だ。
新幹線の車窓から景色を見ては、故郷に似ているようでそうではないな、なんてことをいつもぼんやりと考えていた。故郷には畑はあっても水田はほぼなかったし、民家の屋根も瓦ではなかった。加えて、大きな看板。それには『白松がモナカ』と知らないお菓子の名前が書かれていた。
その看板を何度か見ているうちに『白松がモナカ』の六文字が記憶に刻まれ、当時ラジオに投稿する時のラジオネームにしようとしたこともあった。
ある日、『白松がモナカ』の看板の近くまで行ってみようと思い立った。特に理由はない。当時は出かけるとしたらパチンコ店くらいしかないほど暇を持て余していたから、そんな突飛な行動がすぐにできた。
知人から原付を借りて、新幹線の線路沿いをあてもなく走った。今のように地図で調べようがなかったし、看板の情報が載っている文献もなかったから、看板に出会わなかったら出会わなかったで、途中にあったリサイクルショップで珍しいものでも探して帰ろうくらいの気持ちでいたら、田んぼの中に看板が現れた。
ただの看板であるのに私はなぜか感動し、聖地を訪れたような気持ちになって、原付を停めてひとりでしばし見続けた。
もっと近くから見ようとあぜ道を歩いて看板に近づいた。文字を見上げて謎の感心をした後、裏側へ回った。それは地球からは決して見ることができない月の裏側のように、車窓からは見られない裏側なのだ。


 考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
歩行者用の信号が点滅し始めると私はなんとか渡ろうと急ぎ足になる。特に信号の待ち時間が長いことを知っているところだと「これを逃すとしばらく待たなければいけなくなる!」との思いから時には走りだすこともある。
逆に待つことを選択する場合もある。横断歩道が長くて渡り切れそうにもない時や中央分離帯に取り残されそうな時だ。荷物が多くて走りたくない時なども待つ。
また点滅が始まった時の自分と横断歩道の距離も横断に関係してくる。点滅開始時に横断歩道のすぐ手前にいるならば渡ろうと急ぐし、ある程度距離があれば諦める。
このように私は自分の都合に合わせて自由に横断するのだが、誰かと一緒の時はそうもいかない。
特にまだそんなに親しくない人の場合は、その人が横断に対して貪欲なのかそうではないのかわからないから迷う。もしも私がなんとしてでも渡ろうとして駆け出すと無理矢理一緒に走らせることになってしまうのは申し訳ないし、「この人はせっかちなんだなあ」と決めつけられてしまうのは心外だ。一方渡らなかった場合は「なんだよ、急げば渡れただろ」と思われてしまうこともあるだろうし「この人はのんびりしている人」だとか「慎重派だ」と断定されてしまうのは解せない。私は活発な一面も落ち着いている一面もバランスよく出していきたいのに、一回の信号でどちらかの印象を与えてしまうのは困る。横断歩道を渡ることに関してどう考えているのか明記されているバッジなどを付けていてもらえるのならわかりやすいがそんなものあるわけがなく、結局どうするのが正解かわからないので、絶えず信号が点滅しないことを願うことしかできない。
似たような話に、あまり親しくない人と電車に乗る時、ホームへの階段を上ってすぐのところで待つのが良いのか、そのあたりは混むから端の方に行った方が良いのかわからなくて迷う、というのもある。

プロフィール
せきしろ
1970年、北海道生まれ。A型。北海道北見北斗高校卒。作家、俳人。主な著書に『去年ルノアールで』『海辺の週刊大衆』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』『たとえる技術』『その落とし物は誰かの形見かもしれない』など。また又吉直樹との共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『蕎麦湯が来ない』などがある。
公式サイト:https://www.sekishiro.net/
Twitter:https://twitter.com/sekishiro
<尾崎放哉 関連書籍>

『句集(放哉文庫)』

『随筆・書簡(放哉文庫)』

『放哉評伝(放哉文庫)』