岡崎 武志

【第3回】事典に自分で書き足す──大阪オールスターズ編『大阪呑気大事典 第一版』JICC出版局(1988)


 大阪土着の執筆陣多勢が、大阪について立てたあらゆる項目をそれぞれ担当し、存分に書き尽くす企画本である。大阪出身者、それに本が出た1988年にはまだ大阪にいた私としては「こてこて」に面白い。挿絵もふんだんに収録し、いいアクセントになっています。
 帯には「超豪華執筆陣‼」と謳っているが、あくまで「大阪」を1つの国として考えた基準で、一般的には無名の人もずいぶん混じっている。私だって「え、誰やろ?」と思える書き手が半分以上いる。その代わり、取材を含め面識のある人が金森幸介、高取たかとりえい、田川律、土橋とし子、中川五郎、中島らも、三浦純(みうらじゅん)、村上知彦、森英二郎という具合だ。関西で出ていた情報誌『プレイガイドジャーナル』臭がぷんぷんする。
 どんな項目が拾われているか。「か」の章から挙げると「買い食い」「会長」「回転焼き」「顔見世」「掛布雅之」「笠置シズ子」「貸本屋」「かしまし娘」とローカル色が徹底している。たとえば「買い食い」。「祖母がいなかの人だったのでかいぐいはゆるされなかったが」と、執筆者である二階堂茂のあくまで私的体験に終始している。それを「よし」とする空気の緩さが本書の魅力でもあるのだ。
「住吉さん(すみよっさん)」は「大晦日には、紅白歌合戦でサザンオールスターズを見て、親子五人で自転車でダダッと住吉大社へ駆けつける。参道は、もうごったがえしの人の群れ。下の子を肩車して押し合いへし合いしていると、警官がスピーカーで『そこのお父さん!坊やを下ろしなさい』とがなりたてる」(後略)と極私的だ。仮にも「大事典」と名乗る以上、本来なら神功皇后がこの地に大神を鎮座し、以来1800年の歴史を……と説明するところ。そこをあっさりスルーしてしまう。阪急シネラマ(阪急プラザ劇場)近くにかつてあったらしい「宇宙亭」というレストランにしても「アイビールックで身をかため、前田くんと中西くんと僕はいつもここでメシを食ってから阪急東通りを流すのだ」(日下潤一)で済ませてしまう。「前田くん、中西くんって、誰やねん?」と思わず突っ込みが入るところ。
「大阪球場」は、かつてミナミの繁華街の中心地(ど真ん中)にあった球場で、シンボリックな存在だったが、この事典ではたった4行(1行18字)。執筆はみね正澄まさずみ
「南海ホークスのフランチャイズ。繁華街ミナミにある。ホークスの牧歌的ゲームを観終えて球場を出ると、いきなり都会の喧騒に出会う。何か変だ」
 いやいや、これで終わりかい! 我々の世代なら水島新司の野球漫画『あぶさん』でおなじみの球場で、一歩外へ出ると「蓬莱」の豚まんの店、場外馬券場などがあり混とんとしていた。あるいは球場内に古本街があったことなどぜひ付け加えたいところだ。しかし繰り返しになるが、客観性より私的体験を優先させている点こそが眼目でもある。つべこべ言うべきではない。つべこべ言いたかったら、私がしたように書き足せばいいのだ。
 おおむね「合格」の本ではあるが、不満なのが地域的な偏りがあること。「大阪」と看板を出しながら、ほとんどは市内の話題が中心で、町ネタなどが市外(大阪府)まで及ぶことが少ない。鉄道路線で言えば、私が通学や生活圏として酷使した京阪本線はスルーされてしまっている。不満というしかない。京橋、千林、守口、寝屋川、香里園、枚方などの地名を抜きにして大阪を語ってしまうことは看過できない。「責任者出てこい」と言いたい。「ほんまに出てきたらどうするねん?」「謝ったらしまいや」と……これはわかる人にはわかるでしょう。
 そこで、だ。先ほどの「大阪球場」ではないが、不満なら自分で書き足せばいいではないか、という結論に行きついた。『大阪呑気事典』岡崎武志増補版である。

「いらち」
 大阪人の気性を表わす言葉で、標準語で「せっかち」に当たるだろうか。「待たされる」ことを死ぬほど嫌う。梅田駅から阪急百貨店を抜けて大阪駅へ行く際、御堂筋の交差点の信号を待つことになるが、これが待てない。フライングでまだ赤の信号を渡る人続出。ついに『あと〇秒』を示す電光表示を日本で初めて設置したのは有名な話。それでも、残りが1つくらいになると渡り出す人がいる。「そんなことしたら死んでしまうで」「待つぐらいやったら死んだ方がましや」と会話があったとかなかったとか。

「たいがいにせぇよ」
「ええかげんにせぇよ」の派生形か。会話や行動で行き過ぎがあると、止めに入る時に使用する。「おまえの姉ちゃん、高校中退したやろ」「ああ、そうや」「えらい派手な格好で十三じゅうそう歩いてるの見たで」「いや、ほんま恥ずかしいわ」「タバコ吸ってたで」「まあ吸ってるかもしれん」「男連れてた」「好きやからな、男が」「一緒にラブホテルへ入った」「……(無言)」「あれ、金取ってるんとちがうか」とまで言うと、この言葉が返ってくる。

「へぇ(屁)かます」
 そのままだったら、放屁するという意味だが、大阪では「ごまかす」の意で使われる。あるラジオ番組の公開放送で、アナウンサーが会場に来た人にインタビューをしていた。大阪のラジオやテレビは、一般人の面白さに頼って作られている。そこで、小学校低学年の男の子にお小遣いを聞いたところ、あまりの低額に驚き「それでは足りんやろう」と言ったところ、「だいじょうぶや、おつかいの釣銭、へぇかましたんねん」と答えが返ってきた。アナウンサーが少し動揺し、「君な、これいちおうラジオやから、そういう言葉遣いは」とあわてていたのが可笑しかった。

「京橋」
 東京と大阪に「日本橋」がある、とはけっこう知られている。東京では「にほんばし」だが、大阪では「にっぽんばし」。同様に、「京橋」も東西ともにある。読みは同じ「きょうばし」だが、大阪の方は「きょう」にアクセントがある。京阪小僧だった私にとって、高校時代の土曜の午後、友だちと遊びに行くなじみの繁華街が「京橋」だった。「きょうばし」と口に出せば「~はええとこだっせ グランシャトーがおまっせ」と深夜にしつこく流れたCMソングが頭の中で鳴る。1971年オープンの総合レジャービルで、サウナ、パチンコほか、ナイトクラブもあった。男性の欲望をすべて満たす竜宮城で、高校生だった私には縁がない。「王将」(まだ「京都」「大阪」の区分なしの時代)でギョーザを食べ、喫茶店で駄弁だべる、あるいは「ダイエー」でお買い物というのがコースであった。20歳を越えて、京橋では串カツ屋でよく飲んだし、青春のかけらがいっぱい落ちている街だ。

「枚方」
「ひらかた」と読む。私が生まれ、あちこち転居しながら20歳までを送った街だ。「ひらかたパーク」は全国区らしく、上京してから「出身は大阪の枚方」と言うと、「ああ、まいかたって書くんですよね。ひらパーのある……」とかなりの確率で返ってくる。そんなに有名とは知らなんだ。ただし、我々の頃は「ひらパー」などと略さず、ちゃんと「ひらかたパーク」と正式名称で呼んでいた。「ひらパー」というぞんざいな短縮形には今でも抵抗がある。

「萱島」
 京阪本線にあった駅。高校のあった守口市駅から4つ目。私が降りる枚方市駅はまだその先ながら、よく途中下車したのは、高校3年間をべったり一緒に送った友人Iが住んでいたからだ。地味な町で、大阪のテレビ番組でも話題に乗ることはない。私の時代は地上駅だったが、高架化により駅は改築。これにより移転した神社の御神木を伐る予定だったが、地元の反対にあって断念。現在もホームをくりぬいてそのままに生かされた大木が葉を茂らせている。

「カークランド」
 阪神タイガース球団史上、というよりNPB史上最強の助っ人外国人はランディ・バースだろう。2度の三冠王、1985年優勝の立役者だ。1985年優勝の年、大阪の居酒屋で知人数名して飲んでいた時、客の中に白人のアメリカ人を見つけた誰かが、「あ、バースや。バースがおる!」と叫んで、店内が異常に盛り上がった。似ても似つかぬ痩せた白人だったが、たちまち「バース」コールが店内をこだまし、そのアメリカ人、仕方なく立ち上がり、割り箸を持ってスイングをした。わあわあと歓声が頂点に達し、悪夢のような光景であった。それはそれとして、私も阪神の助っ人でまず指折るのはバースだが、忘れがたいのがウィリー・カークランドだ。私が父親の影響で阪神ファンになったのが小学生の頃。ラジオやテレビで熱心に応援しているなか、ひときわ目立つ助っ人がカークランド。阪神の在籍は1968年から73年。6年もいたのか。三振かホームランという極端でむらのある選手だったが、バッターボックスで爪楊枝を加えて立つ姿は話題になったのである。ちょうど同時期にテレビドラマで人気の「木枯し紋次郎」になぞらえて「モンジロー」と呼ばれた。あの真似をして、爪楊枝を見るとくわえて「カークランドや」と叫んだ小学生は数万人いたと思われる。

(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。